暘州通信

日本の山車

00138 善光寺奉御開帳奉賛屋臺巡行

2007年02月25日 | 日本の山車
00138 善光寺奉御開帳奉賛屋臺巡行
長野県長野市上西之門町 
弥栄神社
7年ごとの善光寺奉御開帳奉賛として24地区のうちから不定数の山車(屋臺)が曳かれる。

□山車(屋臺)
・権堂町
・大門町
踊屋臺と飾屋臺がある。
本座に飾られた高砂人形がある。
・元善町
床のない底抜屋臺がある
・西後町
明治6年、妻科の山崎儀作の建造。総欅造。
・緑町
昭和27年、鬼無里の松原より譲渡を受けた。江戸期建造と推定。
・南石堂町
踊屋台。
・北石堂町
昭和4年(1929)の建造。二輪車
・南千歳町
昭和5年(1930)の建造。
・上千歳町
踊屋臺。大正年間末期に建造にかかり昭和のはじめに完成。
・桜枝町
明治28年(1895)の建造。総欅造。神武天皇の人形がある。
・横沢町
明治6年の建造。笠鉾とともに長野市立博物館に出展している。
・西之門町
踊り屋臺。明治26年(1893)の建造。
・西町上
漆塗。寛政5年の建造。
・栄町
素木造。明治36年(1903)の建造。
・東之門
二層式。大正末期の建造。
・伊勢町
屋臺、踊屋臺、底抜け屋臺各1臺を保有する。
・岩石町
踊屋台。
・東町
屋臺。明治5年(1872)の建造。
・東後町
踊屋臺。大正7年(1918)の建造。
・問御所町
漆塗。明治5年の建造。
・新田町
踊屋臺。建造期は不明。
・篠ノ井芝沢
二層式。一層は囃子を演奏する藝座、二層は踊の舞臺。大正2年(1913)の建造。
・篠ノ井内堀
二層式。大正2年(1913)の建造。

□汎論
長野市の山車(広義)は、山車、屋臺、踊屋臺と多様で、様式も単層、二層がある。また山車に床を張らないいわゆる「底抜け屋臺」が見られる。ほとんどが解体して保存される弘化4年の善光寺大地震(1847)屋臺も罹災して大部分を失った。西町上組、
下西町のみ残ったがその後下西町の屋臺も明治6年に焼失した。 西町上組が寛政5年に建造した漆塗屋臺が唯一残るのは貴重である。いま、長野市立博物館に出展されている。山車が曳かれたが、その後の歴史に消長があり、休止の時期を経て、現在は7年ごとの善光寺の開帳にあわせて曳いている。

□問い合わせ
善光寺御開帳奉賛会
電話 026-227-2428

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