暘州通信

日本の山車

23665 谷口與鹿の墓

2007年02月08日 | 日本の山車 谷口與鹿
23665 谷口與鹿の墓

谷口與鹿現在は、現在の猪名川町の一庫(ひとくら)温泉に、かって伊丹明倫堂の塾頭だった橋本香坡と保養に出かけたが滞在中に死去した。元治元年九月、享年四十一歳であった。
香坡は当時すでに大坂にでていたが、伊丹の諸友ともはかって、かねて與鹿が描いた十六羅漢図をかけて葬儀をおこない、墨染寺に葬ったり、墓がたてられた。墓誌は橋本香坡が撰んだ。
よく與鹿の記述に「酒が好きで、墓も徳利がたになっている」とあるのは誤りで、正しくは印紐型である。
過去帳に「文人にて」とあるが、いかにも與鹿の墓にふさわしい。
この橋本香坡もこののちわずか一年後に不慮の死を遂げることになる。
(寥郭堂文庫資料)。


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26112 上一之町の麒麟臺下臺彫刻の題は諌鼓鳥

2007年02月08日 | 日本の山車
26112 上一之町の麒麟臺下臺彫刻の題は諌鼓鳥
山王祭(日枝神社・春の高山祭)上一之町の屋臺・麒麟臺、下臺彫刻は谷口與鹿の代表作のひとつである。師の中川吉兵衛の紹介で、千葉県成田山新勝寺、勝浦市の脇障子彫刻でも知られる島村俊表の諌鼓鳥を参考にしてつくられた。
原作に忠実に作られたが「諌鼓」がない。
すでに臺名が麒麟であったため、意図的に除外されている(寥郭堂文庫資料)。

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28445 上二之町の龍神は猩々

2007年02月08日 | 日本の山車
28445 上二之町の龍神は猩々
山王祭(日枝神社・春の高山祭)上二之町の屋臺・龍神臺のからくり人形戯は巧妙な技術で操られ、見る人を感嘆させる。
この人形はもと櫻山八幡宮祭(秋の高山祭)下一之町の屋臺の本座人形であった。文化年間に田中大秀の監修のもとで大八臺が建造されたとき上二之町に譲られたもので、もとの人形は猩々である(寥郭堂文庫資料)。

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