23665 谷口與鹿の墓
谷口與鹿現在は、現在の猪名川町の一庫(ひとくら)温泉に、かって伊丹明倫堂の塾頭だった橋本香坡と保養に出かけたが滞在中に死去した。元治元年九月、享年四十一歳であった。
香坡は当時すでに大坂にでていたが、伊丹の諸友ともはかって、かねて與鹿が描いた十六羅漢図をかけて葬儀をおこない、墨染寺に葬ったり、墓がたてられた。墓誌は橋本香坡が撰んだ。
よく與鹿の記述に「酒が好きで、墓も徳利がたになっている」とあるのは誤りで、正しくは印紐型である。
過去帳に「文人にて」とあるが、いかにも與鹿の墓にふさわしい。
この橋本香坡もこののちわずか一年後に不慮の死を遂げることになる。
(寥郭堂文庫資料)。
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谷口與鹿現在は、現在の猪名川町の一庫(ひとくら)温泉に、かって伊丹明倫堂の塾頭だった橋本香坡と保養に出かけたが滞在中に死去した。元治元年九月、享年四十一歳であった。
香坡は当時すでに大坂にでていたが、伊丹の諸友ともはかって、かねて與鹿が描いた十六羅漢図をかけて葬儀をおこない、墨染寺に葬ったり、墓がたてられた。墓誌は橋本香坡が撰んだ。
よく與鹿の記述に「酒が好きで、墓も徳利がたになっている」とあるのは誤りで、正しくは印紐型である。
過去帳に「文人にて」とあるが、いかにも與鹿の墓にふさわしい。
この橋本香坡もこののちわずか一年後に不慮の死を遂げることになる。
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