暘州通信

日本の山車

05821 源関神社御柱祭

2007年02月15日 | 日本の山車
05821 源関神社御柱祭
長野県長野市松代町豊栄428
源関神社(げんせきじんじゃ)
□祭
御柱が立てられる。
□汎論
諏訪神氏一族の関氏が奉斎したと伝えられる。御柱が立てられる余蘊あったのは明治初期からという。
棟札によれば、本殿は、延宝6年(1678)の建造で、新村藤之丞、金沢与七郎、新村市之助の名がある。


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05820 祝神社御柱祭

2007年02月15日 | 日本の山車
05820 祝神社御柱祭
長野県長野市松代町566
祝神社(ほうりじんじゃ)
□祭神
建御名方大神
八坂刀売大神
□祭
御柱を立てる。
□汎論
松代町は、長野市の東にあり、戦国時代には川中島の合戦で武田信玄が海津城を築城した。江戸時代には真田氏10万石の城下町だった。
祝神社境内には、西宮神社、八幡社、稲荷社、宗像社などが祀られる。
祝神社は上田市にもあり、上田市の祝神社を移したとの説があるが、祝氏にゆかりのあるものは見られない。


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00138 善光寺奉御開帳奉賛屋臺巡行

2007年02月15日 | 日本の山車
00138 善光寺奉御開帳奉賛屋臺巡行
長野県長野市上西之門町 
弥栄神社
7年ごとの善光寺奉御開帳奉賛として24地区のうちから不定数の山車(屋臺)が曳かれる。
□山車(屋臺)
・権堂町
・大門町
踊屋臺と飾屋臺がある。
本座に飾られた高砂人形がある。
・元善町
床のない底抜屋臺がある
・西後町
明治6年、妻科の山崎儀作の建造。総欅造。
・緑町
昭和27年、鬼無里の松原より譲渡を受けた。江戸期建造と推定。
・南石堂町
踊屋台。
・北石堂町
昭和4年(1929)の建造。二輪車
・南千歳町
昭和5年(1930)の建造。
・上千歳町
踊屋臺。大正年間末期に建造にかかり昭和のはじめに完成。
・桜枝町
明治28年(1895)の建造。総欅造。神武天皇の人形がある。
・横沢町
明治6年の建造。笠鉾とともに長野市立博物館に寄託している。
・西之門町
明治26年(1893)建造の底抜けの踊屋台。
・西町上
寛政5年の建造。長野市立博物館に展示されている。
・栄町
明治36年(1903)の建造。
・東之門
大正末期の建造、二層。
・伊勢町
明治末期制建造の屋臺、踊屋臺、底抜け屋臺が各1臺ある。
・岩石町
踊屋臺。底抜け屋臺。
・東町
明治5年の建造。
・東後町
大正7年の建造、踊屋臺。
・問御所町
明治5年の建造。
・新田町
踊屋臺。
□汎論
横沢町には笠鉾が残り、西町上には寛政5年建造の屋臺、そのほか本座に飾られた人形が残り、山車が曳かれた由緒は古い。長野震災で屋臺、その他多くの記録が失われ、詳細不明の部分が大きい。山車(屋臺)はいずれも組み立て式で祭礼にあたって組み立て、終われば解体して保存される。


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