暘州通信

日本の山車

00095 竹鼻祭

2006年06月30日 | 日本の山車
現在は山車が13臺ある。大正十一年より年毎にづつ交互に曳くようになっている。
また曳行するのは本楽の日のみで、試楽の日は自由であったがいまは曳かれない。
山車が各町内を曳き、芸を披露する。
昭和48年3月に岐阜県重要民俗資料に指定された

かってのさん社曳順を記録に見ると、
 1 宮町    子供の手踊り
 2 大西町   からくり     お湯取り
 3 上鍋屋町  縫いぐるみによる布袋踊り
 4 下鍋屋町  からくり     太鼓打ち
 5 川町    子供の午踊り
 6 下城町   子供獅子
 7 上城町   からくり     太鼓打ち
 8 福江町   からくり     文字書き
 9 新町    子供の手踊り
10 中町    子供の手踊り
11 本町    子供の手踊り
12 上町    からくり     岩船
13 今町    子供の手踊り

・大西町
からくり人形によるお湯取り
曲芸囃子

・上鍋屋町
布袋踊
踊りの種類は七福神、三社祭浮かれ座頭、かんかん踊、夏の夕立、
坊さんの頭、そのほか。

・下鍋屋町
からくり人形による太鼓打ち
桃の老樹につるしてある太鼓を、小唐子が大唐子の肩車に乗って打つ。
次に肩車をはずす。

・上城町
からくり人形による太鼓打ち
前人形の唐子は前半は妙鉢をならして遊び、後半は猿の面をかぶり狂舞する。
後人形の唐子は楠の上に上り左手で逆立ちをし、自由に体を転回しつつ、
右手に持つ撥で木につられている太鼓を打ちならす。

・福江町
からくり人形による文字書き
下の端の囃子にのせて台上に立つ人形が旗に貼り付けられた紙に筆で文字を書く
書き終わると白引きの囃子に変わり、台側にいる二人の唐子が嬉しそうに首を
振り、手足を動かして台を回して書かれた文字を披露する。

・上町
からくり人形による岩船
人形は勅使唐子で、勅使が持っている中啓で壺を割ると、中から唐子がでてきて
すぐに龍神の面をかぶり、謡曲の「岩船」の謡につれて舞う。


01487 宮代白山神社祭

2006年06月30日 | 日本の山車
本社は山腹に祀られるが、平地の境内には宝物館や立派な狂言舞臺が建てられている。
素朴だが瀟洒な感じのする山車には上臺でからくりが奉納される。
高山が金森氏の支配を受けていた元禄4年、金森氏はとつぜん庄内(山形県)の上山に転封となった。そのわずか4年後さらに郡上八幡に再度移された。
 二度と再開できないと思ってわかれた縁者は高山と郡上八幡を往来した。
 このようばことが機縁となって、郡上の町にも山車が曳かれるようになったが、そのかたちは高山の旧臺をよく映している。
残念なことにいま郡上八幡には郡上踊の囃子屋臺、太鼓臺、傘鉾などしかみられないが、この宮代の山車は金森時代に高山で曳かれた屋臺の旧態をよく残していて貴重である。





00056 戸隠神社例祭

2006年06月30日 | 日本の山車
戸隠神社は古社で室町時代高山松倉の城主三木自綱の納めた般若心経があった。下呂市
(旧萩原町)の久津八幡宮の本殿の寄進とともに三木氏の旧跡がしのばれる。境内には
およそ7千貫(約26トン)といわれる巨石が岩の上にのっており、不思議なことにこれが片手で用意に動く。磐坐の遺構だろうか。
山車2臺を曳く。からくりが行われる。
もと村内からの出身者が高山で成功して郷里に山車を奉納したと伝えられる。




00203 美濃祭

2006年06月30日 | 日本の山車
祭礼は昔は八月十五日だった。明治末年までは「上有知祭(こうずちまつり)」といっていた。上有知は美濃市の地名である。各町内のからねりものがでてにぎやかになったのは寛永11年(1634)からである。
「上有知旧事記」に、「御祭礼八月十五日、往古よりこれあり候ところ中絶仕り、そのうちは「湯ノ花」ばかりと承り候。寛永十一年、申戊のとしより再行、またまた組々より「ねりもの」など拵え御神事にぎわしくまかりなり候」とある。
祭礼日は、明治の新暦採用で10月14、15日になり、明治13年に
9月14、15日に変更されたが、明治三十年現在の4月14、15日になった。
旧暦の8月14、15日には小祭が執行されている。
ねりもの1、山車6臺がある。このごろは美濃紙の花をつけた花神輿30臺あまり、囃子は、
「打切」
「津島」
「道行」
「戻り囃子」
「春道」
「音羽屋」
「十日恵比須」
「数え唄」
などが演奏される。

かって上有知の各町内では種々の作り物をつくりこれを若衆連がかついで太鼓や「婆娑踊り」とともに町中を騒ぎ廻る雨乞い行事が江戸時代からしばしば行われたが、雨乞いの時ばかりでなく、「お鍬様祭」にもおこなわれた。祝いごとかあると作り物を作ってかつぎ、騒ぎ廻ることを好む気風が習慣化した。町騒ぎといっている。
 夜は松をたてた太鼓臺を曳いて辻々で流し仁輪加が行われ、岐阜県の県の重要民俗文化財に指定されている。

練物
・ねりもの 加治屋町
笹渡りのねりものが行われる。
神事行列の先頭先頭に立つ。もと「笹渡り」は、旧上有知の氏神であった熊野社の古い神事であった。

山車
・布袋車 吉川町
大幕の箱書きに文化7年(1840)の墨書きがあることからこのころのの建造と考えられている。もと魚屋町が所有していたものを、明治25年に譲り受けた。
上臺の本座人形は「布袋和尚」

・花咲爺山 広田町。
人形ではなく人間が乗る

・靭車 常盤町。
記録がなく建造年代は不明。
名古屋益屋町に同型のものがあるので、江戸時代にはあったものと推定されている。
常盤町にはこの山車以前に「唐子車」があったが破損したので名古屋の富沢町から購入し、大修理をし、明治三十一年に初めて曳かれた
上臺には、大名、家来、猿回し、童子の四体の人形が乗り狂言の「靱猿」を舞うからくりが行われる。

・桃太郎山 米屋町。
明治22年に米屋町が出来たとき、町内に長子誕生を祝して作られた御所車を譲り受け、黒馬を乗せた傘鉾をたてて曳き始めた。この傘鉾はそれ以前からあったものといわれる
。大正十五年に車を改造して宝物を積んだ「宝車」にし、桃太郎、犬、猿、雉が鬼ヶ島から凱旋する様子を行列に仕立てた。

・三輪車 殿町。
建造年代は不明だが、江戸時代と推定されている。明治25年岐阜の白木町から譲り受け、大改修をした。
上臺本座人形が、謡曲「三輪」の一節を舞う

・浦島山 泉町
 浦島と乙姫のからくりがある。
山車の柱に天保13年(1842)名古屋車町の墨書きが残る。明治12年に名古屋の幅新道町より譲り受けた。上臺には浦島太郎が鯛を釣り喜んで舞う。からくりが行われる。見送りは万葉仮名の祝文を刺繍する。

・八幡丸  相生町
神功皇后の人形を乗せた船形山車
美濃市の山車では最も歴史が古い。正保3年(1646)頃の山車は「だんじりやま」で「蜘蛛舞」の曳き物であった。だんじりを曳く綱をつくるため近辺の村々から藁の寄付を得てつくった。
宝歴4年(1754)山車を新しく作りかえ、宝歴10年には八幡社境内に山車蔵を建てた。
明和9年(1772)名古屋の末広町が延宝2年(1674)に山車を再建し、若宮八幡宮の祭礼で曳いていた「黒船車」が売りに出されたので、これを購めた。
その年10月、名古屋の「黒船車」を解体し、船で上有知湊へ運び、翌、安永元年8月までかけて大改修を施し、8月12日の八幡祭に曳かいいている。
天保年間に大改修が行われ、文化元年には町印を「いかり」にあらためた。
現在の黒船車・八幡丸は、明治31年(1898)に改修され、このとき人形や幕も新調された。
この山車を相生町に譲った名古屋の末広町では、おなじ型の船山車を作って長く曳いたが、戦災に遭い焼失した。

・聖王車 新町
人形の箱書きに享和2年(1802)の墨書きがある。
明治13年に湊町から譲り受けた。上臺本座に「聖王始皇帝」を飾る。
見事な彫刻が施され、緋の大幕には金の龍を刺繍する。藩主金森公に因むという。

・七福人 本住町

・牛若丸と天狗 魚屋町

・花咲爺 広岡町

・傘鉾 長重町

・風流傘

など。休止されるものがあり、すべてが一度には見られない。