暘州通信

日本の山車

◆05415 石見神社祭 更新

2013年03月13日 | 日本の山車
◆05415 石見神社祭 更新
□社名 石見神社
□所在地 兵庫県たつの市(旧御津町・みつちょう)中島
□祭神
□祭は一〇月中旬。
□山車
山車の呼称は、屋臺とだんじり。
・中島地区
岩崎の屋臺が出る。
明治十二年に建造記録がある。現在の屋臺は昭和五六年の建造。平成八年に漆掛けが行われた。
格狭間の彫刻は飾磨の初代、松本義廣と伝わり「飾万津 松本長五郎」の銘がはいる。明治十二年に建造された当時のものが使われている。題は、神功皇后、源平屋島の合戦から景清の錣(しころ)引き、天神記。
□汎論
 当社の祭礼には地区外の、姫路市上余部から参加があり、壇尻(だんじり)が曳かれる。
□参考
次を参考にさせていただきました。
・【動画】石見神社2008 ハイライト・中島岩崎
 http://www.youtube.com/watch?v=4br7qZbwKXQ
・石見神社の秋祭り
 http://prosv8.tok2.com/~harima/mitsu/iwasaki.htm
・神保町の楽しみ方①   会社の上司から、神保町の楽しみ方をブログで紹介しろと言われた
 まほろば 日本 相互リンクよろしくお願いします!
 http://blogs.yahoo.co.jp/yamazaki_zack
・昨日の黄砂は凄かったですね。 私は山の上の?学校にいましたが、空が黄色っぽく先が見えない……
 三姉妹のママのブログ 雲の観察にはまってます
 http://blogs.yahoo.co.jp/romihiruna
・2013.2.24  第3回 アビシルベまつり  YouTube動画UP
 あび散歩 我孫子・手賀沼散歩 http://ameblo.jp/abiko-watching/
 http://blogs.yahoo.co.jp/abi_sanpo
・福島正則の広島治世
 閑居不善爺児 残照録 今、古文書で戦国時代を彷徨っています
 http://blogs.yahoo.co.jp/karenaina77y77jazzypretty
・農耕族が来る前の日本の状況は、ネイティーブの弥生人や縄文人がいたはずです
 ヤマト王権発生仮説(2)-農耕族の建国と信仰
 El gato de Schrodinger
 http://blogs.yahoo.co.jp/kamitukeno_k/58386582.html
・熊野神社 をご紹介します  宮崎小学校裏を回ると大きく熊野神社と書かれた柱が目につきました  
 遠く紀州から移住者があり、故郷の神様を奉斉・分霊した……
 宮城県加美町発 薬菜山のふもと 宮城県加美町発
 http://blogs.yahoo.co.jp/yakurai1222

地域を特定しやすくするため行政コード番号は変更せず、従前のままです。
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玉依姫 様

2013年03月13日 | 日本の山車
玉依姫 様
>イザナギノミコト・イザナミノミコトの名前なのですが、どのような意味なのでしょう?
お答え。
 残念ですが不明です。
 だが、こんなお話を聞いたことがあります。
 イザナギノミコト(伊弉諾命)、イザナミノミコト(伊弉冉命)の名称は。綿津見氏につながる【海に由来】し、ナギは【凪ぐ】、ナミは【波】。イザは【結坐・ゆいざ、いざ】のこと。【由比ケ浜】も、波静かな浜に因むそうで、大意は「波頭などの立つことのない穏やかな海に坐(います)神」の意だそうです。
 いかがなものでしょうね?

玉依姫 様

2013年03月13日 | 日本の山車
玉依姫 様

>・小彦名命ー粟島神社ー関東台
 ・櫛御毛野命ー熊野神社ー陣屋
 ・罔象命ー水神社ー下の原
お答え。
 ・スクナヒコナノミコト(小彦名命)は、出雲系の神、オオナムチノミコトと一緒に祀られることが多い神ですが、その祭祀範囲は限定されます。
 ・クシミケヌノミコト(櫛御毛野命)は、スサノオノミコト(素盞嗚命)のこと。江戸時代に病魔降伏を祈願しおおくの八坂神社が祀られていますが、陣屋の熊野神社は、紀州の周参見(すさみ)に通じるスサノオノミコトの祭祀をうかがわせます。櫛御毛野命の【櫛は奇】と同義。妃の、クシイナダヒメも、櫛稲田姫、奇稲田姫と表記されています。
 【毛野】の名称は、上野國、下野國を連想させますが、何か関係があるでしょうか?
 ・ミズハノメノカミ(罔象命)は水分(みくまり)の水をつかさどる水神として各地に農耕神として祀られます。水波女神などと書かれることもあります。

玉依姫 様

2013年03月13日 | 日本の山車
玉依姫 様

>・大物主命ー蔵王神社ー内宿
お答え。
 日氏ー物部氏ー大物主命ーニギハヤヒノミコト(饒速日命)…香取ー鹿島  と連続すると考えます。神武の東征では、茅渟海(ちぬのおうみ)から淀川を遡上し、生駒越えをしようとしたが、ニギハヤヒノミコトとその義兄であるナガスネヒコト(長髄彦・妹の、ミカシギヤヒメ(三炊屋媛)、一名、トミヤヒメ(登美夜毘賣)はニギハヤヒノミコトの妃))の反撃に遭い、ジンムテンノウの場にであるイツセノミコト(五瀬命)は大きな怪我をし、結局これがもとで薨去されます。
 古代の大和入りは、紀ノ川に沿って遡上する。大和川を遡上する。竹之内街道よりはいる。などが考えられますが、ジンムテンノウがこの道をとらなかったのはカムヤマトイワレヒコ(神日本磐余彦尊、のちの神武天皇)がこれらの道を通って大和入りするするのを阻む大きな勢力がすでに成立していたことを示すものでしょう。
 ナガスネヒコトには、アビヒコ(安日彦)という兄弟があったといわれますが、その名称から、この人物も日氏ゆかりと推察されます。
 大神神社は三輪山を御神体山とする古社ですが、祭神は、オオモノヌシノミコト(大物主命)。オオモノヌシノミコトはオオナムチノミコト(大己貴命)と同じとする説がありますが、オオナムチノミコトは、日氏惠のオオモノヌシの後を襲った出雲氏族ではないかと考えます。東北地方に大物系氏族の痕跡が残りますが、これらは、大和政権(皇室)支配よりはるか以前のことと考えられます。青森県と北海道の間にある津軽海峡は前世紀の張る改善に存在が知られていて古代氏族が縦横に往来していたと推察されます。

玉依姫 様

2013年03月13日 | 日本の山車
玉依姫 様

>八衢比古命・八衢比売命・久那斗命ー塞神社ー道祖神
お答え。
 【道祖神】は、【庚申】とともに祀られることが多く、集落の入口と出口にそれぞれ祀られたようですが、地域的に偏りがあり、まったく見られない地方も有ります。道祖神は、本来は道の神であったはずですが、塞の神、和合神ともよばれ、子宝を求める方が参詣することも多い神です。
 神社に祀られる神と、民間に祀られる神に二大別されますが、神社に祀られるときは、神奈川県、山梨県、長野県、群馬県などではお祭は正月が多く、年明け早々に行われるようです。【庚申】は、青面金剛童子を祀りますが六臂のもの八臂のものがあります。左下部に縄状の物を下げたものがしばしば見られ、【羂索】とする解説を見ますが、これは英字の髪で、ときに赤ちゃんをぶらさげた像も見られます。三猿が彫刻されるものが見られます。中国の道教起源といわれます。
 日本海側では、石川県、富山県、新潟県ではまだ見ていません。岐阜県では飛騨川東、宮川東部に分布し、中津川市下野の庚申は日本三大庚申のひとつにあげられ、山岡鐡舟が揮毫した額がかかっています。

玉依姫 様

2013年03月13日 | 日本の山車
玉依姫 様

>・大山祗命ー山神社ー柚の木  ・木花開耶姫命ー浅間神社ー細田
お答え。
 伊豆の三島大社と伊豫の大山祗神社の創祀は、いずれが先か? との議論がよくなされます。大山祗神社の祭神は、三島大社から分祀されているともいわれます。
 仮説になりますが、三島大社、大山祗神社の創祀がカモ氏に繋ると考慮すれば、大山祗神社
のほうが、三島大社より先であるのは自明ではないでしょうか。皇統史から見ると、オオヤマツミノミコト(大山祗命)は、イザナギノミコト・イザナミノミコトの孫、コノハナサクヤヒメノミコト(木花開耶姫命)はその娘。ホノカグツチノミコトは伯父さんにあたります。静岡市葵区宮ケ崎町に浅間神社に浅間神社が鎮座します。古くは富士山を御神体とし、コノハナサクヤヒメノミコトを祀る神社だったと考えられますが、現在の祭神はオオトシミオヤノミコト(大歳御祖命)、雷神が廃止されていますが賀茂氏の祖神ということでしょうか。

玉依姫 様

2013年03月13日 | 日本の山車
玉依姫 様

>・大山咋命ー日枝神社ー下村
お答え。
 オオヤマクイノミコト(大山咋命)は、豊前・豊後(大分県)に早く定住した、宗像氏・秦氏が出雲系氏族と合流しながら山城國(京都市右京区)の松尾、太秦地区を占め、伏見区に伏見稲荷大社を創祀、さらに、八坂神社、比叡山、その日脚の日枝神社(山王宮)に深いかかわりがありますが、比叡、比良山などの名称は【日氏】の系譜を曳いていると推察されます。
 仮説ですが、伊豫大三島の大山祗神社の【大山祗神】と近江日枝神社の祭神、【大山咋命】は古くは同じ神だったのではないかと推定しています。
 秦氏の出自は不明ですが、一説では韓半島(朝鮮半島)南部の新羅系氏族とする説が有力のようです。しかし、倭と新羅のあいだには大戦がありましたから、大分県に隣接する、福岡県の海神系・綿津見(倭氏)との間が平穏だったとは考えにくいと思います。
 下村の日枝神社の創祀が不明ですが、もし江戸時代以前だったら旧社号は山王宮だったはずです。

玉依姫 様

2013年03月13日 | 日本の山車
玉依姫 様

>・白山比売命ー白山神社ー上宿
お答え。
 白山神社は、シラヤマヒメ(白山比命)を祀る神社ですが、北陸(ほくろく)起源の神です。能登半島に上陸した古代朝鮮・新羅からの渡来神とする説がありますが不明です。白山の北部、飛騨と越中境に【白木峰】がありますが、【新羅峰】ではないかとの説があります。シラヤマヒメノミコトの表記は【白山比命】で、女神の「ヒメ」にはおなじ訓みの「比賣、毘売、姫、媛」がありますが使い分けられているようです。シラヤマヒメノミコトの「比」も他に使用例がないわけではありませんが、「白山比賣命」は、少ないのではないでしょうか。非常に限定的に分布する女神ですが、近畿、中国、四国、九州などの西には祭祀例が少なく、出雲系、あるいはその子孫にあたる、諏訪神社の鎮座地には少ないようです。信濃は、諏訪神の本拠地ですが、やはり、白山神社は稀のようです(皆無ということはありません)。春日神社も信州では忌避されていますがこれは肯けますね。東北には藤原氏の文化圏に祭祀されている例があります。東北地方の、早池峰山、遠野一帯にセオリツヒメノミコト(瀬織津比賣命)が祀られていますが、瀬織津女神が白山女神に置き換わったものか、あるいは瀬織津比賣命と白山比命がおなじ神なのかは不明です。奥州藤原氏、下総藤原氏が近縁のようですから、千葉県の白山神社も藤原氏につながるかもしれませんね。房総の藤原氏族の祖神は日氏に始まる、フトダマノミコト(太玉命)ー中臣氏ー忌部氏とつづくというのは一連の仮説(私見)です。

玉依姫 様

2013年03月13日 | 日本の山車
玉依姫 様

>事代主命ー三島神社ー上宿
お答え。
 コトシロヌシノミコト(事代主命)はオオクニヌシノミコト(大國主命、大己貴命)の御子とされ、出雲系の神で、七福神の一神としてもよく知られる恵比寿さんのことです。兵庫県の西宮にある恵比寿さんは有名で、新年の初恵比寿には多くの人々が参詣に訪れます。漁業関係者にも豊漁の願いをかなえて下さる神として篤く敬われています。古社は【廣田神社】が伴ないます。

>・誉田別命ー八幡神社ー陣屋内

2013年03月13日 | 日本の山車
玉依姫 様

>・誉田別命ー八幡神社ー陣屋内
お答え
 私見ですが……
 ホムダワケノミコト、ホンダワケノミコト(誉田別命)は、仲哀天皇とジングウコウゴウ(神功皇后)の間に生まれた天皇とされますが、オウジンテンノウ(應神天皇)が在位時の名称、崩御後の諡号がホムダワケノミコトで、【品陀別命】とされる場合があります。日本で最初に仏教の縫合の付けられた天皇で、最も多い神社のひとつであり、あるいは、初代天皇に当たるのではないかと推理しています。従来より、仲哀天皇の死去後のご出産は、妊娠期間があまりに長いことから疑問が持たれており、竹内宿禰の御子ではないかと考える方は多く、憚りあるため、表立った説は立てられていません。八幡神社の総本社は、宇佐八幡宮ですが、この神社はもともと應神天皇をお祀りする神社ではありませんでした。