暘州通信

日本の山車

玉依姫 様(一三六)

2013年03月28日 | 日本の山車
玉依姫 様(一三六)

 千葉県館山市には【相浜御船祭】が伝わります、さらに、千葉県内各地には陸曳きの【御船】が見られます。
 日氏につながる、讃岐忌部氏、紀州忌部氏、阿波忌部氏、中臣氏、金刀比羅神社、大神神社に連なる祭神【ニギハヤヒノミコト(饒速日命)】を祀ったと考えられる、物部氏、大物氏。海神系の【トヨタマヒメノミコト(豊玉姫)】を祀ったと推定される同族のカモ氏。これらの氏族は、房総の鉄を求めて、瀬戸内から、太平洋を黒潮に乗って北上。神奈川県の稲村ヶ崎の製鉄では猶、不十分だったのでしょうね。
 かくて、一大産鉄の地としての地位を得た各氏族は、のちに勃発した大和朝廷の【國譲りの要請】には出雲氏、諏訪氏に叛旗を翻し、これを強引に成功させたのは、房総の鉄を背景にした武力には、とても抗しきれないことを出雲氏は自ら悟っていたと考えられます。

玉依姫 様(一三五)

2013年03月28日 | 日本の山車
玉依姫 様(一三五)

 北海道の縄文遺跡から。奄美大島や沖縄などの温かい海に生息する【夜光貝。やこうがい】でつくられた【釧・くしろ(腕輪・ブレスレッド)】が出土しています。ベンケイガイや、イモガイのものもあります。
 夜光貝は、漆細工で螺鈿細工(らでんさいく)としても用いられる美しい貝で、正倉院御物の【琵琶】、岩手県中尊寺の金色堂の道内装飾にも使われていることが知られます。その美しさは相当古くから知られていたのですね。奄美大島には古代の工房あとが見つかっています。
 縄文人は、沖縄と北海道を結ぶルートをかんせいしていたことを立証するものでしょう。遣唐使を中国に送った立派な構造船でも、難破、漂着しています。九州ー奄美大島ー沖縄を往き来するのは、命がけの危険な海路だったはずです。これを克服して大海に乗り出していった縄文人を始めとする諸民族はまさに【海洋族】ですね。

玉依姫 様(一三四)

2013年03月28日 | 日本の山車
玉依姫 様(一三四)

>上記の船祭から推測すると(日本人は海洋民族)であることを実感します……
 仰言るとおりだと思います。あなたから始めてメールをいただいたころ、【日本人は、すべて渡来民族……】とお返事しましたね。いちはやく日本全域に居住地を広げた縄文人は、日本の北方に渡来し、次第に居住域を広げ、奄美大島、沖縄にまで、韓半島(朝鮮半島)にいたってかの地に定住し、中国にもわたったと考えられます。
 一方、東南アジアから北上渡来した氏族は、日本に居住したと考えられます。さらには、オリエント、ヨーロッパ方面からの渡来人が会ったことは、ストーンサークル、ドルメン、メンヒルなどのストーンヘンジの遺構が日本各地に見られることから
明らかです。ここまでは、これまでにお話しましたね。
 このことに関連して、玉依姫さんからあたらしいまったく知らなかった知識や
知見が得られたことをよろこんでいます。