暘州通信

日本の山車

玉依姫 様(八九) 國と氏族の変遷

2013年03月07日 | 日本の山車
玉依姫 様(八九) 國と氏族の変遷

 仮説を進めます。
 「倭王は、天をもって兄となし、日をもって弟となす」との『隋書 第二巻 高祖紀』の記述は、日氏を嗣いだ倭の國、海神系・綿津見氏の【わだつみ王国】だったと考えられます。少し横にそれますが、六六三年に、韓半島に起きた【白村江(はくすきのえ)の戦は、倭・百濟の連合軍と、唐・新羅の連合軍との間でおきた戦とされ、井上靖氏の小説、『糠田王・ぬかたのおおきみ』にも触れておられます。しかし私は日本から韓半島へ数万の兵力を送った史実はないと考えています。一三世紀から一六世紀にかけ、韓半島(朝鮮半島)から中国沿岸部、東アジア諸地域で海賊行為を行ってを荒らした【倭寇・わこう】と呼ばれる集団が伝えられますが、これも日本から出かけていった集団とは考えにくく、このような倭人の事跡は韓半島にすでに定着していた、縄文人ー日氏ー倭氏へとつづく、朝鮮の中の日本人だったと推定され、百濟(くだら)とは、その朝鮮の中に築かれた朝鮮民族と日本の倭氏の混成日本だったのではないだろうかと推理しています。
 大阪市の勝山通りに百済(ぺくちぇ、くだら)の地名があり、古くは東住吉にも百濟があったことが知られています。枚方市(ひらかたし)には、百濟神社、百濟寺。滋賀県の湖東安土の東の、滋賀県東近江市百済寺町に百濟寺があります。安土は、安曇の転訛、琵琶湖対岸の湖西には、安曇川が流れます。奈良県広陵町にも百済寺があり、法隆寺の【百済観音】はそのすらりとした優美なお姿でよく知られます。
 朝鮮の百濟滅亡は、六六〇年とされますが、これは、朝鮮の中の倭國の待つ旁ともいえるかもしれませんね。日本の百濟は、難を逃れた還来人(渡来人)かもしれません。
 聖徳太子の母は、穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)といわれ欽明天皇の第三皇女となっていますが、京都府の丹後半島にある間人(たいざ)が出身だとの伝承があります。百濟に関係がありそうですね。
□参考
次を参考にさせていただきました。
・ポロンナルワの仏教遺跡 :  スリランカ
 王宮の北側に位置する寺院で、数々の堂宇が集合する。この地にあるヴィジャヤバーブ1世、ニッサンカマッラ王の碑文には仏歯のあったことが記され……
 アジアの涼風
 http://blogs.yahoo.co.jp/anamorura55/folder/1510044.html?m=lc&p=8
・古代日本史考 邪馬台国を考える(4)-ヤマトは九州を滅ぼしたか
 邪馬台国の時代に畿内の特徴である庄内式土器が九州から出土する……
 El gato de Schrodinger
 http://blogs.yahoo.co.jp/kamitukeno_k/58292107.html
・★「笑いは人類を救う」★日本笑い学会講師・和来紘太郎公式ブログ★ 「笑う・喜ぶ・感謝する」生活を提唱しています
 http://blogs.yahoo.co.jp/warai88warai
・上総の車持氏  車持氏はどこから来たのか
 上総歴史散歩・玉前神社の謎 ただいま古代の上総国を探究中です
 http://blogs.yahoo.co.jp/miyamoto83885/folder/643903.html
・ポロンナルワの仏教遺跡 :  スリランカ
 王宮の北側に位置する寺院で、数々の堂宇が集合する。この地にあるヴィジャヤバーブ1世、ニッサンカマッラ王の碑文には仏歯のあったことが記され……
 アジアの涼風
 http://blogs.yahoo.co.jp/anamorura55/folder/1510044.html?m=lc&p=8
・古代日本史考 邪馬台国を考える(4)-ヤマトは九州を滅ぼしたか
 邪馬台国の時代に畿内の特徴である庄内式土器が九州から出土する……
 El gato de Schrodinger
 http://blogs.yahoo.co.jp/kamitukeno_k/58292107.html
・★「笑いは人類を救う」★日本笑い学会講師・和来紘太郎公式ブログ★ 「笑う・喜ぶ・感謝する」生活を提唱しています
 http://blogs.yahoo.co.jp/warai88warai
・上総の車持氏  車持氏はどこから来たのか
 上総歴史散歩・玉前神社の謎 ただいま古代の上総国を探究中です
 http://blogs.yahoo.co.jp/miyamoto83885/folder/643903.html
・「高句麗・百済・新羅・高麗」(世界美術大全集 東洋編 第10巻)
 http://blogs.yahoo.co.jp/silkroad_desert9291/47621563.html
・百済禎嘉王・福智王日本逃亡伝説
 http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/55343416.html
・薯童謡 ソドンヨ/百済の武王
 http://blogs.yahoo.co.jp/gekiyasu_lohas/59214896.html
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玉依姫 様(八八) 【正しい歴史の認識】

2013年03月07日 | 日本の山車
玉依姫 様(八八) 【正しい歴史の認識】

 ……それに、もうひとつ。これは、あなたもおっしゃっていることですが、【着想(ひらめき)】が手がかりになるということは確かだと思います。

 日氏(仮称)は、九州中南部興り、次第に大きな氏族となっていったと考えられますが、壱岐、対馬を経て韓半島(朝鮮半島)にも進出したとも考えられます。朝鮮半島の稲作は日本から韓半島へ北上したとする説があります。対馬は稲作の伝来地と推定されていますが、日本と、韓半島(朝鮮半島)への架橋的位置にあったといえそうです。『日本の中の朝鮮文化』の著書で知られる、金達壽氏の言葉をかりれば、【朝鮮の中の日本】といえるかもしれません。
 日氏の手がかりを知る名称に【アタ・アダ】があります。カモ氏の出自は不明ですが、西方(中国南部)からの渡来氏族ではないかと考えておられる玉依姫さんのお考えには同感です。
 あるいは、稲作を日本に伝えたのは、カモ氏だったかもしれません。日氏についで九州北部に興った海神系・綿津見氏は、韓半島(朝鮮半島)から南下した氏族と考えます。【倭人】とは、すなわち綿津見人ではないでしょうか。『魏志倭人傳』の倭國。【奴・な】は、日氏、カモ氏、綿津見氏が混成する連合國の主要都市だったと推定されます。三世紀にその東にあったと推察される邪馬臺國は、日氏の系譜を嗣ぐ氏族だったと推察されます。もし邪馬臺國の金印がみつかるとすれば、おそらく【漢委邪馬臺國王】となるのではないでしょうか。邪馬臺國は漢の属国である、倭(綿津見)を構成する國のひとつでしょう。【倭の五王】を、天皇に当てる説は以前からあり諸説がありますが。【倭の王】とは綿津見氏族の王であり、天皇ではないでしょう。

玉依姫 様(八七) 【正しい歴史の認識】

2013年03月07日 | 日本の山車
玉依姫 様(八七) 【正しい歴史の認識】

 【正しい歴史の認識】とは、【実証】されなければなりません。【実証される史実】の手がかりは【文献、記録】によって需められることが多かったわけですが、まだ日本に文字のなかった時代の【古代史を識る】には、【言語・日本語、外国語】、【地名】、【人文遺蹟】、【民俗・習俗】、【伝承】、【埋蔵品・発掘事物品の分析】、それに視野を広く、高い視点から見渡す【外国の文化との比較】。それを科学的に遡及することなどが指向されるでしょう。
□参考
次を参考にさせていただきました。
・古代日本史考  邪馬台国を考える(4)-ヤマトは九州を滅ぼしたか
 El gato de Schrodinger
 http://blogs.yahoo.co.jp/kamitukeno_k/58292090.html
・古代倭国、駕洛国出身の証明「亀旨峰と高千穂の?触峯」
 「日本史の宝石箱」オリエントの都アスカへの道 列島古代史学
 http://www.tsushima-net.org/history/chronicle.php
・国境の島  対馬へ
 弥生時代前期・中期 稲作の伝播  対馬観光物産協会
 〒817-0022
 長崎県対馬市厳原町国分1441
 TEL 0920-52-1566 / FAX 0920-52-1585
 http://www.tsushima-net.org/history/chronicle.php
・探検・龍王山古墳群
 アジアの涼風 「大倭穴友会」改め「アジアの涼風」
 http://blogs.yahoo.co.jp/anamorura55/62398894.html
・妄想と現実  ……何を隠そう、自分は大藪晴彦の名作「汚れた英雄」の愛読者だった
 仕事人間 でも、遊びも好き 営業 車 ドライブ 寄道 休日
 http://blogs.yahoo.co.jp/ijk3939/36175519.html
・カンアオイ ペテロッティ  が咲きました
 草のゆりかご 千葉県の山野草ナーセリー「つるかめ山草園」です。栽培している植物達をご紹介します
 http://blogs.yahoo.co.jp/nagaikimuranokame/39841879.html
・今井橋を渡ると千葉県だ。 江戸時代は橋がなく、今井の渡しが出ていたらしい
 涌キ園日記帖   デッドマンの憑いてる日記デス
 http://blogs.yahoo.co.jp/takewacky13/MYBLOG/yblog.html
・古田武彦の多元的古代史分析はすぐに取り掛かれない状況……
 楯築墳丘墓出土弧帯文石の謎/古代のジグソーパズル解説編
 http://blogs.yahoo.co.jp/ijk3939/36175519.html
・古代ロマンあふれる鬼が島伝説や麦焼酎発祥の地。大切に受け継がれている独特の歴史と文化は……
 親魄(にきたま)に逢う蔵書
 http://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08/31556568.html
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玉依姫 様(八六) 日本建國の氏族

2013年03月07日 | 日本の山車
玉依姫 様(八六) 日本建國の氏族

 前(八五)より続きます。仮説ですのでご承知おきください。
 日本の歴史は戦前は、皇統史であり、強大な国家権力で統制されたものでした。これが太平洋戦争が敗戦となって完了するまでは、日本軍の指導下にあったといっても過言ではないと思います。このため、明治元年から、昭和二〇年にいたるあいだの日本正史はかなりゆがめられました。この傾向は現在もまだ尾を引いていて、日本史とは皇国史の思想が続いているようですね。
 戻ります。
 私は紀元前およそ二千年くらいはさかのぼる、氏族の國があったと推理しています。『新唐書』に、「……國、日出ずるところに近し、ゆえに名となす」とあって、これが日本と言う國の存在を認識した書だと思います。日向、常陸(日立)、斐太、飛騨、日田、日置、簸川、氷川などの名称は日氏(仮称)の國、郡、縣、村邑などだったと推定しています。
 換言すると、【日本】を建国したのは【日氏】ではないだろうかという推理です。