◆甚五郎の招き猫
江戸時代、江戸の町で小間物の行商をしていた忠兵衛、さな(佐奈)という夫婦があった。子はなく一匹の猫を飼っていたがたいそう忠兵衛になついていた。三月を迎えたある日、いつものように忠兵衛は行商に出かけたのだが、その日は風が強く大火事が発生した。後に言う振袖火事、明暦の大火である。江戸の町は火に包まれ、この火事で天守閣も焼け落ちた。伝馬町の牢屋では、一時的に囚人を解き放つ、解き放ちが行われた。これ以後千代田城には天守が築かれることはなかった。また一時的に解き放たれた囚人たちは恩徳に感じて全員戻ったといわれる。
行商埼でこの火事を知った忠兵衛も急いで我が家に飛んで帰ったのだが、幸い妻は無事であったが火が迫るのに猫が忠兵衛の帰りを待ち続けて、家を出ようとしないというのである。 忠兵衛は火の粉の舞う家並みを通り抜けて、燃え盛る我が家に飛び込むと、愛猫を抱いて飛び出したのだった。
しかし、猫は焼け落ちた梁に前足を挟まれ、哀れ不具になってしまった。ちょうどこのころ江戸にいた甚五郎のうわさを聞いた夫婦は甚五郎のところに相談に来た。「わしは医者じゃないからどうにもならんが…」といいながらも、気のいい甚五郎は木で猫の前足を作ってやったのだった。不思議なことにこの日から猫は普通に立って歩けるようになり、どこで見つけたかお嫁さんまで連れてきたのだった。
やがて寿命で猫が息を引き取ると夫婦はそのさびしさにさいなまれるのだったが、夫婦で相談をして、甚五郎さんに猫の遺影を彫ってもらおうということになったが、甚五郎はどこかに旅立って江戸にはいなかった。うわさをたどって、上州伊勢崎でようやく甚五郎をたずねあて「しかじかで…」と話すと、甚五郎は前足を作ってやった猫をよく覚えていて、そっくりの猫を木で彫り上げてくれたのだった。しかしこの猫は動かなかったので少しがっかりしたが、それでも喜んで江戸に戻ったのだった。それからしばらくたったある日のこと、仏壇の前に飾っておいた猫があまりにも生前の姿に似ていたので、思わず猫の名前を呼ぶと猫は眼をあけ、片足を上げて「みゃあ」と嬉しそうに鳴いたから忠兵衛はびっくり仰天、それからというもの毎日名前をよんでは頭をなでてやると、猫はのどをごろごろいわせて喜ぶのだった。やがてその年も迫り、十一月ともなると浅草の長國山鷲山寺の酉の市に、夫婦そろってお参りし、おかめ笹で作った福笹を買って帰ったのだが、面白半分に笹についていた打出の小槌を猫にもたせたところ、猫は喜んでそれを振ったから、たちまち福が舞い込み、商売は繁盛、家普請でき、以前にもましてはんえいするようになった。この猫は世田谷の豪徳寺の猫と兄弟だったという。
浅草の長國山鷲山寺には左甚五郎が奉納した大鷲があったというが、夫婦が献納した猫ともども大正時代の関東大震災で失われた。
江戸時代、江戸の町で小間物の行商をしていた忠兵衛、さな(佐奈)という夫婦があった。子はなく一匹の猫を飼っていたがたいそう忠兵衛になついていた。三月を迎えたある日、いつものように忠兵衛は行商に出かけたのだが、その日は風が強く大火事が発生した。後に言う振袖火事、明暦の大火である。江戸の町は火に包まれ、この火事で天守閣も焼け落ちた。伝馬町の牢屋では、一時的に囚人を解き放つ、解き放ちが行われた。これ以後千代田城には天守が築かれることはなかった。また一時的に解き放たれた囚人たちは恩徳に感じて全員戻ったといわれる。
行商埼でこの火事を知った忠兵衛も急いで我が家に飛んで帰ったのだが、幸い妻は無事であったが火が迫るのに猫が忠兵衛の帰りを待ち続けて、家を出ようとしないというのである。 忠兵衛は火の粉の舞う家並みを通り抜けて、燃え盛る我が家に飛び込むと、愛猫を抱いて飛び出したのだった。
しかし、猫は焼け落ちた梁に前足を挟まれ、哀れ不具になってしまった。ちょうどこのころ江戸にいた甚五郎のうわさを聞いた夫婦は甚五郎のところに相談に来た。「わしは医者じゃないからどうにもならんが…」といいながらも、気のいい甚五郎は木で猫の前足を作ってやったのだった。不思議なことにこの日から猫は普通に立って歩けるようになり、どこで見つけたかお嫁さんまで連れてきたのだった。
やがて寿命で猫が息を引き取ると夫婦はそのさびしさにさいなまれるのだったが、夫婦で相談をして、甚五郎さんに猫の遺影を彫ってもらおうということになったが、甚五郎はどこかに旅立って江戸にはいなかった。うわさをたどって、上州伊勢崎でようやく甚五郎をたずねあて「しかじかで…」と話すと、甚五郎は前足を作ってやった猫をよく覚えていて、そっくりの猫を木で彫り上げてくれたのだった。しかしこの猫は動かなかったので少しがっかりしたが、それでも喜んで江戸に戻ったのだった。それからしばらくたったある日のこと、仏壇の前に飾っておいた猫があまりにも生前の姿に似ていたので、思わず猫の名前を呼ぶと猫は眼をあけ、片足を上げて「みゃあ」と嬉しそうに鳴いたから忠兵衛はびっくり仰天、それからというもの毎日名前をよんでは頭をなでてやると、猫はのどをごろごろいわせて喜ぶのだった。やがてその年も迫り、十一月ともなると浅草の長國山鷲山寺の酉の市に、夫婦そろってお参りし、おかめ笹で作った福笹を買って帰ったのだが、面白半分に笹についていた打出の小槌を猫にもたせたところ、猫は喜んでそれを振ったから、たちまち福が舞い込み、商売は繁盛、家普請でき、以前にもましてはんえいするようになった。この猫は世田谷の豪徳寺の猫と兄弟だったという。
浅草の長國山鷲山寺には左甚五郎が奉納した大鷲があったというが、夫婦が献納した猫ともども大正時代の関東大震災で失われた。