暘州通信

日本の山車

◆02355 大畑八幡宮祭

2010年02月26日 | 日本の山車
◆02355 大畑八幡宮祭
青森県むつ市(旧大畑町)大畑
大畑八幡宮
□祭は九月中旬。
□山車
・八幡山 本町
享保三年(一七一八)に山車を曳いた記録がある。
現在の山車は平成十一年の建造。工匠は地元本町の道地則之。
・鞍馬山 東町
享保六年(一七二一)に山車を曳いた記録がある。
現在の山車は昭和六十一年の建造。工匠は本町の道地則之。
・放生会 大新町
古くは儀杖を出していたが、火災で焼失し、寛保三年(一七四三)より山車(屋臺)になった。
現在の山車は昭和六十二年の建造。工匠は本町の道地則之。
・中島山 中島
本座人形は武田信玄。人形製作は八戸市の類家山車組だという。
昭和三十九年地元篤志家より山車が寄進され曳くようになった。
・豊栄会 湯坂下
昭和六十三年に新町の旧山車を譲り受けて曳くようになった。
・上野天女丸 上野
船山。工匠は烏沢の吉井。大湊の個人所有の山車を譲り受けて曳くようになった。
・明神丸 湊
享保六年(一七二一)曳行の記録がある。
現在の山車は平成元年の建造。工匠は久本武雄、山田正博の施工。
・南町
享保六年(一七二一)に山車、山神臺を曳いた記録があるが延享三年(一七四六)に山車を廃し、神輿を担ぐようになった。
□汎論
 大畑八幡宮祭には山車七臺が曳かれる。記録によると
五臺の山車が露臺式の山車で、内二臺は船山である。山車は黒漆掛け、勾欄も黒塗りである。後部には見送り桁に絵画が架けられる。本町の八幡山が一番古くて享保三年の建造。東町の鞍馬山が享保六年の建造でこれにつづく。
 山車の建造記録によればその歴史はかなり古い。江戸時代中期には上方、江州(滋賀県)の商人たちが、交易のため出向しており、山車の形態は、田名部とともに滋賀県日野町、水口町。近江八幡市浅小井などで曳かれる露臺式の山車が基本になったと推定される。

□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
◇日本の山車 ホームページ
http://hiyou.easy-magic.com/
◇津島秋祭り
2009/9/1(火) 午後 11:01
... 後、享保3年(1718年)から山車に乗せて行われるようになり、享保11年には恒例行事となった。 ●今市場の山車(いまいちば) 大土社(本来「土」の字の右上には点がある ... 末期から19世紀初期に建造されたと伝わる。 ●神守の山車(かもり) 文化年間 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/tsm0124/20977559.html