暘州通信

日本の山車

◆伊萬里の甚五郎稲荷

2010年02月15日 | 日本の山車 左甚五郎
◆伊萬里の甚五郎稲荷
 肥前の伊万里の里を旅していた左甚五郎は、村はずれで一人の少年に出会った。手に一握りのしきびの枝を握っていたから「お墓まいりかい」と声をかけたが、少年は黙って首を横に振った。見ると眼が真っ赤である。さらに尋ねるとおとうが死んじゃったという。なにか異常を感じた甚五郎、少年に一緒についていってあげようといい、少年の家まで来ると、そこは蓆がぶらさがった、いかにも貧しげなちいさな小屋である。
 土間には焼き物を焼いていたとおぼしき釉薬を入れる甕などがいくつかならんでいて、奥にはせんべい布団にほとけが横たわっている。「お母ちゃんは?」、「いない」、「兄弟は?」、「お姉ちゃんがいるけれど薩摩にお嫁に行ってしもうた」、「親類の人は?」「いるけれどだれも来てくれない」、「近所の人は?」、「だれも来てくれない」、聞けば父親は暮らしが貧しいのに、酒好きで借金がかさみ喧嘩好きで次第にだれも相手にしてくれなくなったのだという。
 「わしと似たような仁だったらしいな」。聞いていて甚五郎は目頭が熱くなった。「よしおじさんが手伝ってお弔いをすませよう」、甚五郎は少年を手伝ってふたりだけで葬式を済ませたのだった。その夜、棚に並んだ幾つかの粗末な焼き物を見た甚五郎は、少年にその犬を見せてくれと聞くと、少年はそれをとって甚五郎に渡した。「犬ではない狐じゃ」と少年は答えた。「こりゃあ悪いことを言ったな」詫びながら、だれがつくったのか聞くと父親の作ったものだという。稚拙な狐であったが、人の気を惹く稚気がある。
 甚五郎は少年の家に一晩とまり、小さな祠をこしらえて、なかにその狐を祀ったのであった。怪訝な顔をしている少年に、お賽銭箱に小銭を投げ入れ、「手をたたいてお参りしてごらん」、甚五郎が言うと、少年は素直に手をふたつたたいておまいりした。すると祠の奥で狐が「コーン、コーン」と二つ鳴いた。この話が次第に近所に伝わり、入れ替わり立ち代り、お賽銭を入れて狐を拝むと、「コーン、コーン」と狐が鳴く。ひとびとは面白がってお参りしていたが、いつとはなしにづ福運を授けてくれる奇特な狐じゃ、これは稲荷さまじゃということで、だれ言うとなく「甚五郎稲荷さま」と呼ぶようになった。
 お参り衆はあとを絶たず、おかげで少年は次第に裕福になり、立派に成人して、かわいらしいお嫁さんを迎えることができたのだった。
 しかし、ある台風の夜、強い風にあおられて祀堂が壊れてしまった。お参り衆は浄財を寄進して立派なお堂に建て替えたのだが、なぜかお稲荷さんは鳴かなくなってしまった。 ご利益のほうは一向に衰えず、初午の時には京のみやこからもお参りの人々があり、大勢の参詣人が続き、おみやげに土地の伊万里焼を買って帰り町はたいそう繁盛したという。

◆伊予の甚五郎薬師さま

2010年02月15日 | 日本の山車 左甚五郎
◆伊予の甚五郎薬師さま
 かの左甚五郎、伊予の三島にある傾きかけた古いお堂で一晩泊まったが、夜もあけぬ、まだ暗いうちからもう長い間、おもてで一生懸命お祈りしている様子、破れ障子の間からしばらくそのありさまを見ていたが、あまりに騒々しくてもう寝てなどいられなくなり、表戸をあけて外に出たから、お祈りしていた人は腰を抜かさんばかりに驚いた。「へへえ…」額を地に額ずかせて恐れ入っている。見ればどこかまだ幼い面影を残したひとりの少年である。「これこれ、若いの何をそう願っているのじゃ」、甚五郎は少年に声をかけると、少年は、「あの…失礼ながら、当院のお薬師さまでしょうか」と聞いたので、甚五郎は面倒くさくなり「いかにもそうじゃ」と答えると、少年は、「へへえ、実はお願いの儀がございます」、「申してみよ」、「それにしてもうすぎたないお薬師様で…」、甚五郎苦笑いしながら、「余計なことを言わずともよい」といって。先を促すと、少年はぼちぼちと語り始めた。父は越前若狭の士族だったが、病でみまかり、お情けで跡目の想像はできたものの、年端がゆかぬため、伊予三島に学問に出されたのだという。しかし、昨日故郷のほうから便りが来て、母が病で、この年は越せないだろうということだった。「父親の遺志をついで立派に奉公してくれ」とあるのを見ると居ても立っても居られなくなった。しかし、お城から遣わされている身では、故郷にも帰るわけにはいかない。そこんで悩んだ挙句、こちらのお薬師様に母親の病を治していただこうと思い…、という話だった。話を聴き終わった甚五郎、「これ若いの、筆とすずりを持ってまいれ」、「筆ならここに矢立が…」「おう、そうか」甚五郎は、お堂の諸氏神をべりべりひっぺがすと、それになにやらしたためていたが、書き終わると封印して少年に渡し、これを持って伊予大洲のお城に行ってご城代様に渡すのじゃ、「お返事がいただけたらすぐに戻ってまいれ」。半信半疑の少年はそれでも出かけていった。やがて、夕暮れも近い頃、ほっぺたを真っ赤にして少年が駆け込んできた。「お薬師様、おやくしさま…」、「追う帰ったか」、少年の話ではいまちょうどお殿様が国にお帰りになっていて、直接会ってくだされ、「感心なことじゃ」といって三〇両くださいました」、甚五郎は、とおりを三つ目の過度を左に曲がった酒屋に行ってそのうちから昨日の借りじゃといって二両を渡してまいれ。そしてもう一度ここに戻って参れ。やがて少年は不思議そうな顔で戻ってきた。「いやいや何も言わずともよい」
甚五郎は、一日かかって彫り上げた黄色い鶴を示し、よし、ここに腰掛けてみよ、といって少年を鶴に座らせると少年に手ぬぐいで目隠しし、黄鶴に「越前若狭へ」と声をかけると、鶴は大空にむかって大きく羽ばたき、瀬戸内の海を越えて飛び去った。
 難波、琵琶湖を越え嶺南から若狭へ無事に着いた。「おっかさん」少年は大きな声で家に飛び込むと母親に声をかけた。病み衰えた母親を見て少年は声を詰まらせたが、母は患いというより極度の過労と貧しい暮らしが故であった。少年は残りの二十八両を母に渡し、「来年春には帰ってくるから元気で居てくれ」と励まし、ふたたび黄鶴の背にまたがると、黄鶴は飛び立ち瞬く間に伊予に帰ってきた。黄鶴は少年を下ろすといずこえともなく飛び去った。少年は夢のような出来事にただただ驚いたが、こえもみなお薬師さまのお陰と喜ぶのだった。しかしお薬師様の姿は無かった。
 伊予大洲の城にはおおきなつぼみをつけた一輪のボタンが届いたのはそれから間もなくのことであった。
 春になって帰郷した少年は元気になった母親と再会し、親子ともども「甚五郎薬師」に感謝するのだった。

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「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
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避暑避暑話 Vol4
2006/9/9(土) 午後 0:21
... 自然です。 また左甚五郎(ひだりじんごろう)は「飛騨の甚五郎(ひだのじんごろう)」が訛ったものだという説が ... 後ろにある建物は、本尊が薬師瑠璃光如来-やくしるりこうにょらい-(薬師如来)であることから ... トイレに向かって全力少年になるのでした・・・。
 http://blogs.yahoo.co.jp/uchipy0802/41184133.html