◆伊萬里の甚五郎稲荷
肥前の伊万里の里を旅していた左甚五郎は、村はずれで一人の少年に出会った。手に一握りのしきびの枝を握っていたから「お墓まいりかい」と声をかけたが、少年は黙って首を横に振った。見ると眼が真っ赤である。さらに尋ねるとおとうが死んじゃったという。なにか異常を感じた甚五郎、少年に一緒についていってあげようといい、少年の家まで来ると、そこは蓆がぶらさがった、いかにも貧しげなちいさな小屋である。
土間には焼き物を焼いていたとおぼしき釉薬を入れる甕などがいくつかならんでいて、奥にはせんべい布団にほとけが横たわっている。「お母ちゃんは?」、「いない」、「兄弟は?」、「お姉ちゃんがいるけれど薩摩にお嫁に行ってしもうた」、「親類の人は?」「いるけれどだれも来てくれない」、「近所の人は?」、「だれも来てくれない」、聞けば父親は暮らしが貧しいのに、酒好きで借金がかさみ喧嘩好きで次第にだれも相手にしてくれなくなったのだという。
「わしと似たような仁だったらしいな」。聞いていて甚五郎は目頭が熱くなった。「よしおじさんが手伝ってお弔いをすませよう」、甚五郎は少年を手伝ってふたりだけで葬式を済ませたのだった。その夜、棚に並んだ幾つかの粗末な焼き物を見た甚五郎は、少年にその犬を見せてくれと聞くと、少年はそれをとって甚五郎に渡した。「犬ではない狐じゃ」と少年は答えた。「こりゃあ悪いことを言ったな」詫びながら、だれがつくったのか聞くと父親の作ったものだという。稚拙な狐であったが、人の気を惹く稚気がある。
甚五郎は少年の家に一晩とまり、小さな祠をこしらえて、なかにその狐を祀ったのであった。怪訝な顔をしている少年に、お賽銭箱に小銭を投げ入れ、「手をたたいてお参りしてごらん」、甚五郎が言うと、少年は素直に手をふたつたたいておまいりした。すると祠の奥で狐が「コーン、コーン」と二つ鳴いた。この話が次第に近所に伝わり、入れ替わり立ち代り、お賽銭を入れて狐を拝むと、「コーン、コーン」と狐が鳴く。ひとびとは面白がってお参りしていたが、いつとはなしにづ福運を授けてくれる奇特な狐じゃ、これは稲荷さまじゃということで、だれ言うとなく「甚五郎稲荷さま」と呼ぶようになった。
お参り衆はあとを絶たず、おかげで少年は次第に裕福になり、立派に成人して、かわいらしいお嫁さんを迎えることができたのだった。
しかし、ある台風の夜、強い風にあおられて祀堂が壊れてしまった。お参り衆は浄財を寄進して立派なお堂に建て替えたのだが、なぜかお稲荷さんは鳴かなくなってしまった。 ご利益のほうは一向に衰えず、初午の時には京のみやこからもお参りの人々があり、大勢の参詣人が続き、おみやげに土地の伊万里焼を買って帰り町はたいそう繁盛したという。
肥前の伊万里の里を旅していた左甚五郎は、村はずれで一人の少年に出会った。手に一握りのしきびの枝を握っていたから「お墓まいりかい」と声をかけたが、少年は黙って首を横に振った。見ると眼が真っ赤である。さらに尋ねるとおとうが死んじゃったという。なにか異常を感じた甚五郎、少年に一緒についていってあげようといい、少年の家まで来ると、そこは蓆がぶらさがった、いかにも貧しげなちいさな小屋である。
土間には焼き物を焼いていたとおぼしき釉薬を入れる甕などがいくつかならんでいて、奥にはせんべい布団にほとけが横たわっている。「お母ちゃんは?」、「いない」、「兄弟は?」、「お姉ちゃんがいるけれど薩摩にお嫁に行ってしもうた」、「親類の人は?」「いるけれどだれも来てくれない」、「近所の人は?」、「だれも来てくれない」、聞けば父親は暮らしが貧しいのに、酒好きで借金がかさみ喧嘩好きで次第にだれも相手にしてくれなくなったのだという。
「わしと似たような仁だったらしいな」。聞いていて甚五郎は目頭が熱くなった。「よしおじさんが手伝ってお弔いをすませよう」、甚五郎は少年を手伝ってふたりだけで葬式を済ませたのだった。その夜、棚に並んだ幾つかの粗末な焼き物を見た甚五郎は、少年にその犬を見せてくれと聞くと、少年はそれをとって甚五郎に渡した。「犬ではない狐じゃ」と少年は答えた。「こりゃあ悪いことを言ったな」詫びながら、だれがつくったのか聞くと父親の作ったものだという。稚拙な狐であったが、人の気を惹く稚気がある。
甚五郎は少年の家に一晩とまり、小さな祠をこしらえて、なかにその狐を祀ったのであった。怪訝な顔をしている少年に、お賽銭箱に小銭を投げ入れ、「手をたたいてお参りしてごらん」、甚五郎が言うと、少年は素直に手をふたつたたいておまいりした。すると祠の奥で狐が「コーン、コーン」と二つ鳴いた。この話が次第に近所に伝わり、入れ替わり立ち代り、お賽銭を入れて狐を拝むと、「コーン、コーン」と狐が鳴く。ひとびとは面白がってお参りしていたが、いつとはなしにづ福運を授けてくれる奇特な狐じゃ、これは稲荷さまじゃということで、だれ言うとなく「甚五郎稲荷さま」と呼ぶようになった。
お参り衆はあとを絶たず、おかげで少年は次第に裕福になり、立派に成人して、かわいらしいお嫁さんを迎えることができたのだった。
しかし、ある台風の夜、強い風にあおられて祀堂が壊れてしまった。お参り衆は浄財を寄進して立派なお堂に建て替えたのだが、なぜかお稲荷さんは鳴かなくなってしまった。 ご利益のほうは一向に衰えず、初午の時には京のみやこからもお参りの人々があり、大勢の参詣人が続き、おみやげに土地の伊万里焼を買って帰り町はたいそう繁盛したという。