今までにない12月の大雪になり、電気は3日間、水も2回止まり、電話もネットも電話も10日間つながりませんでした。
北陸の初雪は湿気を多く含み重い。
それにしても初雪が1メートル近くなったことはなかった。
どうにか屋根雪はその重みと水気で滑り落ちたが木々に積もった雪を払えなかった花梨やエゴの木は太い幹が裂けてしまった。
その痛々しい裂け口を見ると私まで心が折れてしまった。
数十年をかけて大きくなった幹、確かにその木自体は生きているが無惨としか言いようがない。
電気にどのくらい頼ってきたか、助けられてきたかを思い知らされた。
ここの暖房は薪ストーブ、灯油ストーブ、炬燵は電気の他豆炭も使っている。お風呂も薪。
夜の布団には湯たんぽと豆炭、これでどうにか寒さから守ることはできた。
しかし弱点もある、水を山から電気でポンプアップしてタンクに溜めそれぞれ5軒に流している。
タンクの水がなくなるとそのパイプが凍る可能性がある。
節水によりどうにか水は使えた、ところがその後お餅つきが終わった後み水が止まった。
これは若者たちが水源地までラッセルし3時間後には復活した。
電話とネット、静かなのだが、娘が発熱とか、詳しいことはわからない。
どうにか落ち着いてきたらしい。
ネットも電話もなかった時代はどのように暮らしていたのだろうか。
不便なのか、静かなのか、余計な心配はしなくていいのか、緊急時はどうなるのか、、。
新たな発見もあった。
蝋燭の灯りの明るさに豊穣さを感じ、これが谷崎潤一郎の陰翳礼賛の世界かと思った。
ゆらゆら揺れる火は生命そのもののように感じられ、目が離せなくなった。
吹けば消える危うく、燃えるエネルギーは妖しい。
影を作ることで奥深さもありその影は暖かさがある。
電気の光と影の平べったさは全く違う。
その揺れる光の中で聞くジャズやクラシック、もうライブそのもののよう。
今は静かに雪が降っている。
恵みでもあり、破壊するものでもある。
これからもどのようなお付き合いができるだろうか。
慎みを持って暮らすことかな。