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よろみ村くらし暦

奥能登の禅寺での山暮らし。野菜作りと藍染め,柿渋染め,墨染めのくらし暦。来山者への野菜中心のお料理が何よりのおもてなし。

漬け物仕事

2020-12-25 20:56:04 | 畑仕事

年末恒例の仕事の一つに、漬物の仕事がある。
これが終わらないとおせち作りに向えない、そんな習性になってしまった。

発酵物の最たる物の一つが漬物。
それが年末に集中する。
多い時は9種類漬けていた。
ところが今年は冬野菜が虫に食べられたことで3種類だけになった。
これを仕事が減ったと喜ぶべきか、寂しがるのか、私の中にはこの2つの気持ちが交差している。



漬けたものは、浅漬けの沢庵、蕪が取れなかったので大根寿司、そしてキムチの3種類。
沢庵には塩と糠の2種類でいい。
大根寿司は大根、塩、餅米、麹、人参、柚子、唐辛子、ここまで書いて気がついた。唐辛子が入っていない。
あーあ、、。
そしてキムチ、これには13種類あるといいのだが、今回は白菜、塩、大根、餅米、煮干し、細ネギ、ニラ、りんご、ニンニク、生姜、あみの塩辛、唐辛子が入った。
これに、本当はセリと梨が入るとパーフェクトなのだが、これで十分だと思っている。
しかし、1番肝心の白菜が自前ではない、と言うのはやはり虫にやられ外側の葉がほとんどレース状になってしまったのだ。



でも、悪いことばかりではない。
今年は娘と珠洲からの友人の3人で仕込みをした。
かつて白菜10個を一人でしていた時は朝から夜の10までかかってしまったが夕方には終わってしまった。
白菜は自前ではなかったが、楽しいお喋りと笑いが振りかかってそれがきっと旨味となるだろう。
そればかりか3人3様の塩加減なのでその味の違いも味わうことができそうで楽しみだ。

発酵ものは時間がかかる。
目に見えない菌の働きが力を出してくれるマジックなのだ。
時間の経過とともに味も変わってくるのでそれも楽しみの一つだ。
次は、肉まん作りをやろうと、やる気、まんまんの3人です。



雪万のアキ











雪掻き

2020-12-20 21:04:10 | 日記

今日もニュースで雪掻きによる事故で死者やけが人が出た。

冬最初に降る雪は水を多く含んでいて重い。しかも今年は暖冬から一気に大雪となり各地でその被害が出ている。
そう言う私もこの大雪による影響を受けここ数日身動きができなかった。



雪掻き、雪払い、雪落としとでも言うのだろうか。
我が家には甲府から持ってきた庭木がほとんどで、それらは降雪に弱い。
1日にして30センチの雪が木々の枝に降り積もった。
私は毎年それらの雪を長い竹で振り落とす。ほぼ固まった雪は容易には落ちず、私は上を向きっぱなしで叩いたり、揺すったりして1時間ほどかけて終わった。
と言ってもまだ天辺の高いところは届かなかったが、雪の重さから解放された枝は勢いよく跳ね上がった。
中には枝が折れたり地面の雪に埋もれたままの状態の枝もあった。



その時は夢中だった。あの雪の重みが私の肩にのしかかったみたいで早くどかしてあげたい、痛くて苦しいだろうと思ってしまった。
家族に頼むより、自分でした方が気持ちが楽、何しろ早くしてあげたかった。
その翌朝だった。首に痛みを感じ起きることもままならなくなっていた。
最初、寝違いかと思ったが、今までなったことはない、これ、もしかして昨日の雪落とし?

1日お休みをもらい静かにしていた。翌日からほぼいつもの日常の家事についた。
ところが日が経つに従って痛みが強まり、物を持つのも、首を上に挙げるのも、何かの拍子にずきんと痛みがきた。
たかだか首と思っていたがそれが体全体と繋がっている、一挙一動毎に首に痛みが走った。
頭も重い、気力も失せ、半病人のようになってしまった。

そして今日、義弟の鍼灸の治療を施してもらい、ようやく深い息ができるようになった。
本来、針もお灸も苦手なのだが、そんなことも言っていられなかった。
ここの住人からは、上向状態は絶対だめ、去年はもう通用しない、あまりに自分を過信していた結果、と諭された。
そうか、来年からはしない方がいいのかな、何か寂しい気持ちになった。
雪掻きの事故で怪我や亡くなった人の気持ちがわかるよう何がした。
自分でしたい、家や木が心配、気軽に頼める人がいない、だからつい大変でもしてしまう。そうなんだよね。













雪の形ー仔犬から雪大福ー

2020-12-17 10:16:09 | 自然の不思議
雪の形と言うのはあるような、ないような、どんな風にでも変えられるのが雪の面白さなのだろう。
今までの暖冬が1日にして雪国になった。
その高さ30センチ、翌日には70センチほどになった。
その指標となったのが鳥の餌台で居間の炬燵から見える。



最初雪の形は円錐形になった。それがだんだんと高くなり、その重さに耐えかねたのか全体に丸みを帯びてきた。
これはふわふわ、もふもふ、むくむく、そうだ子犬だ。
白は純粋で無垢、ふわふわは柔らかい毛だ。
それはどこかで見てような形になった。
ハナとアキの小さいときそのままだ。
頭の片隅にあったこの形、思い出して本を広げた。
「ドッグ・ギャラリー」に載っていた高山寺にあった湛慶作と伝えられている「仔犬」か、円山応挙の杉戸に描かれた仔犬そのものに見えた。
ここからは座っている後ろ姿で顔は見えないのにあどけない表情まで見えてくる。



雪は降り続いた。初雪は水を含み重い、しかし最初から大雪になることはほとんどなかった。やはり今年が異常なのだ。
気が付くと縦長から横長に伸びている。
これは年老いた雪女、もう腰が曲がり歩くのもやっとだ。
ふと視線を移し見方を変えてもう1度見た。
これは雪大福ではないか。
ふっくら膨らんで雪大大福、これは何人の胃袋を満たし福をもたらすだろうか。
ふと、気がついた。
雪って、冷たかったことを。

生姜仕事

2020-12-14 10:46:48 | 畑仕事

生姜仕事がまだ終わらない。
いつもなら大生姜を植えるのだが、気がついた時はネットでもなくなり、初めて小生姜を植えた。
施肥と土寄せで順調に育ち11月、霜の前に収穫を終えた。
しかし、これからが大仕事になった。



小生姜は親指ほどの塊がゴツゴツとなって一つの大きさになる。
最初ホースの水圧で大型の土は取れたが、ゴツゴツの間の溝に土があり、それを竹串で取り除く。
ほぼ、1日仕事になってしまった。
またそれからが一仕事。次は保存だ。



今までは甘酢漬けと焼酎につけて保存したがまだまだある。
家にある本やネットで保存方法を調べ、水、酢、焼酎、シロップ、そして籾殻を入れた容器で、そして実験にとそのまま土に残した。
周りにもお裾分けもしたが、その姿を見てもういらないと言われてしまった。
実はまだある。それは乾燥させようかなと思ったままで、ストーブの周りにゴロンと寝転んでいる。
さて、どの方法が長くそして新鮮さを維持できるか、私のささやかな実験工房となった。



確かに香りと生姜特有の匂いは小生姜の方がある気がする。
でも、この手間を考えると、やはり来年は、大生姜、と決めている。

ストーブの周りには、次の冬仕事、キムチの白菜が陣取っている。
いよいよ、ようやく、冬、雪になって10センチ近く積もってきた。
ああ、畑のネギと人参を取って来ないと。
そのままだと人参は、何者かに食べられてしまう。
人も動物も食べていくのに必死なのだ。













停電ー魂のろうそくー

2020-12-11 21:22:46 | 日記
昨夜、突然停電になった。
夜の7時半から11時半までだったらしいが、もう10時には寝てしまった。
原因は風雨と言うが、昨夜は静かな夜だったので、謎だ。

暗闇で光を出すのはスマホ、懐中電灯、そして本堂から持参した大きなろうそく。
目が慣れてくると流石に本はは読めないが蝋燭だけで何とか行動できた。
急に昔の人たちの暮らしを想像した。この光だけで暮らすと言うこと。
それはもう私の想像を遥かに超えて動きが鈍ってしまった。
つい不便だっただろうとも思ったが、そうも思わなかった暮らしなのだろうと自分に言い聞かせた。

今は冬、我が家は薪ストーブだから暖房はあるし、寝床は湯たんぽなので心配ない。
私はその中、懐中電灯をもってお風呂へ、そこで気がついた。
黒電話なら使える筈、そこに友人からの電話、やはり昔ながらの物はこんな時に頼りになる。
これがオール電化だったらどうなるのだろう。
電話も充電もできず、寒さと暗さの中どれだけ耐えられるのだろうか。
私の暮らしは停電の中でもほぼ平常でいられる。



キャベツとブロッコリー

魂の焚火、と言う番組があるが、暗闇の中の蝋燭は魂のろうそくだった。
赤くゆらゆらと揺れる蝋燭の光。
それを眺めているだけで心が暖かく燃え、炎と対話している自分がいた。
自分はどこにいるのか、揺れているのに定まる感覚。
LEDの強く冷たく刺すような光とは対照的で暗いのに落ち着く自分がいた。
忘れていた太古の記憶が蘇ったような懐かしささえ覚えてしまった。
改めて、便利さによって失われるものの大きさを思う。



友人から届いたサバのへしことヤギのチーズ。この包装の心配りが嬉しい。じんわりと暖かさが伝わってくる。

外に出た。
少し曇っていたが、星が光の点描画となって空いっぱいに広がっていた。