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よろみ村くらし暦

奥能登の禅寺での山暮らし。野菜作りと藍染め,柿渋染め,墨染めのくらし暦。来山者への野菜中心のお料理が何よりのおもてなし。

秋を飾る

2016-10-28 14:53:29 | 日記

今年は全体に温かったので、いつもより紅葉が期待できそうもない。
それでも参道を下り、散歩に出ると秋を飾るパレットが用意されていた。

あの毒々しいまでのテンナンショウ、ここではマムシ草は見慣れていても発見するとドキッとさせられる。



道沿いに架かる紫式部の紫はやはり高貴な感じがするのは、けして名前に由来するだけでなく、やはり気高さがある。
同じ実をつけるものでも、この名前の付け方は、時におかしく、時に哀しく、時にあまりの嵌り方に感嘆してしまう。



今回、同じ実でも食べられるものを発見した。ヤマブドウ、先日ヤマブドウのワインを口にしたが、酸味が強くて閉口してしまった。
「そうだ、これでワインビネガーにしてみよう!」
ところが高いところで手が届かない。次回は何か道具を持って来よう。
それまで、どうか他のものに食べられませんように。



そう、今年電気柵をしてなかった田んぼの稲を猪に食べられてしまい、餅米が全滅とか。
友人が「ここは電気柵とかトタンがないから、風景がきれいね!」と言っていたのを思い出した。
いよいよここまで来てしまった。
人と動物との共存、とは言うものの、現実は厳しい。
柵をしても数が減る訳ではない。
これからが思い遣られる。



残された稲。














秋の旅−お弁当ー

2016-10-25 15:06:04 | 日記

いつも思う、旅に出ると半島の先にいる遠さを感じてしまう。
金沢に出るまで2時間かかってしまう。まだ行きはいいが帰りに時間がかかるのでそれだけで疲れてしまう。
こんな時、やはり中心にいた時の便利さを思う。

大体、金沢でお昼になる。乗り換え時間20分でお弁当を探さなければならない。
ほとんど毎日3食作る主婦とすると、旅のときくらい解放されたい。
ところが、時間もないが、お昼にお金を使えない。
いつもおいしいものを食べているものからすると、余程のものでないとおいしいと思えない。
お弁当に1000円以上出せばいいのかもしれないが、それができない。
つい700円止まりなので選ぶ範囲は自ずと決まる。
今回は柿の葉寿司、やはり酢が強くごはんもおいしくない。
でも、残すのはゴミを出すことになり、おなかに詰め込む。
飲み物にも苦労する。欲しかった紅茶は温かいのがなかった。
何よりも気がかりと言うか、気が塞ぐのはビニール袋、などのゴミ。
持ち歩くのもたいへんなので、列車のゴミ箱に入れて来る。

帰りも京都駅で買ったのは400円ほどのサンドイッチ、おなかが空くので、どうにか押し込む。
なんて書くと、さぞやつまらぬ旅かと思うかもしれないが、2泊の夕飯と朝とお昼は、大満足でしたのでご報告まで。
特に三男の奈良のお店「あらき」の料理は絶品でした。料金も奮発したのですけれど。
こんな時に限ってカメラを忘れ、ケータイからなので、ここに載せられるのかな?
息子に呆れられてしまった。
お店を出るとき、「腕を上げるのをたのしみに待っていてください。」と言ってお土産を頂いた。
人においしく食べてもらうのは、たいへんだ。

京都からのおみやげは、「阿闍梨餅」金沢からのおみやげは「加賀棒茶」と決めている。
ここからは、大根葉、パプリカ、栗の渋皮煮、自家製お味噌。
それを使ってお昼を作り、友人はラザーニアを作ってみんなでおいしく食べたのでした。

旅はひとりで、旅はみんなで、どちらも好きです。



これは娘が作ったヤギのチーズ入り南瓜コロッケ。



手羽元入りスープ、私です。












産業廃棄物処理場問題

2016-10-24 20:35:32 | 日記

日曜日の午後、友人からの知らせで、輪島市の産業廃棄物処理場の件でその説明会に出掛けた。
前回の説明会に出席できなかったので、どこに、どのように、どのくらいの規模でできるのか全く知らない。
今回はその計画を撤廃すべく住民投票に持って行くべきその手続きの話だった。

出席者の多くはそのことを知っているらしく質問がないので、思い切って質問をしてみた。
資料を渡され、それを家で読んだが、まだ多くの疑問、質問が出て来た。
多分、多くの市民は私のように無知で問題意識もない人たちだろう。

知った時には既に遅い。あの原発のように事故が起きて初めて54基も作られていたことを知った苦い経験がある。
資料には日本でも最大級の処理場で、それは北陸3県等の処理施設らしい。
しかも海の近く、何かの事故や老朽化でまた海が汚染されることは必然だ。
誰が、なぜ決めたのか。今まで反対の議員たちも賛成に回ったとか、おかしな話だ。

人類が今日まで発展を遂げたのは、おびただしいゴミを排出して来たことになる。
買い物をすると気が重くなる。それは半分はゴミを買って来ている気がするからだ。
発泡スチロールの山、包装用のビニール、などなど、気が滅入る。
産業廃棄物とはいかなるものか、厳密には知らないが、どちらにしてもゴミである。
しかも、それは自然界にないもので、分解されないばかりか、化学物質は毒物とも言える。
せめて、少しでも減らしたい。私に何ができるだろうか。



久し振りの晴天の夕方、空に飛行機雲が描かれた。
美しい空、きれいな海は永遠に続くのか?



この唐辛子の美しさ!















ワン、ニャン騒動

2016-10-23 14:03:59 | 日記

もうダメかと思った。

20日の深夜、2階に寝ていた私は階下の異様な音で目が覚めた。
どうも場所はハナが寝ているところだ。
戸を開くとそこには今まで見たことのないハナの肢体と声と表情を見た。
急いで住職を呼び、二人でハナの身体を支え、声を掛けた。
それは全身けいれんで、顔と身体が反対方向にあり、息は速く、目は釣り上がり、今までにない光景だった。
よだれと失禁、悲痛な表情と荒い息が30分以上続いた。
もう死ぬかと思い、泣けてしまった。ハナにお礼を言い、急いで次男を呼びに行った。

長かった。気付く時間を入れるとかれこれ1時間近く、パソコンで手当を調べ、少しけいれんが小さくなったところで水をやってみた。
スプーンで口元に持って行くとぺろぺろと舐め、それからようやく落ち着くようになって。
私はすぐ近くに仮眠を取り、朝になるのを待った。

いつものハナは6時前に起きるが、7時を回ってもぐったりと寝ている。
そこで私は大分にいる娘に電話して、このままダメかもしれないと知らせた。
8時過ぎ、ハナはふらふらになりながらもようやく起き出し、外によたよたと歩き出した。
その日の夕方、娘が駆けつけ、ハナはごはんを食べ出した。
予断を許さないが、一命を取り留めたようだった。



ところが、今度は半分内猫のニャンニャンが3日振りに道の水を呑むところを見つけた。
抱くと冷たくて固い、ほとんと反応しない。何も呑めない、食べられない。
ハナの回復を確認した後、動物病院に走った。
ひどい脱水状態で、翌日から血管の点滴のため入院になった。
病状は腎不全、このまま死んでもおかしくないと言われる。
そして今日、水を呑み始め、栄養液を呑ませ、様子を見ることに。
宿坊の一部屋に寝るところと排泄とごはんの場所を設置して、寒くないように湯たんぽも用意して寝かせる。

娘はハナのことで帰って来たのに、瀕死の猫の世話になった。
いつもクールな次男もよく世話をしたのには驚かされた。
2匹とも、ある意味では幸せだと思えた。

こういう時に限って電話が不通になっていた。
原因は電話料の不払い。みんなに呆れられた。すみません。
ともあれ、危険状態は脱したように思われる。
でも、ハナも高齢、いつ何時また危篤状態になるか分らない。
長男も、三男も、熱いエールを送ってくれた。
生き物を飼うと言うことは、歓びと生きている生々しさを知らされる。



最近のハナは、地蔵堂の前のコンクリートの上で寝ている。
この冷えがけいれんの原因かとも思う。
認知症、温度センサーが鈍ったのかな?









秋の旅−京都ー

2016-10-19 10:33:19 | 旅行

京都に行って来た。でも、京都を見ていない。
今回は「100年のわたし」と言うタイトルの友人の詩の朗読会に出掛けた。

先日、今までにない片付けをしたところ、かつて私も甲府の詩の同人詩に投稿していたことを思い出した。
その冊子を開くと、私でない私がいたことに驚かされた。
今回の朗読会は言葉の意味を離れたところの「間」とか、「音」が入って来て、かつて学んだ「継ぎ色紙」を彷彿とさせた。

その後の打ち上げで陶芸家や韓国人の東大大学院生との時間は思い掛けない交流ができて楽しい時間になった。
翌日は友人宅で昼食を作り、彼らを招待しての会食と語らい。

一度家を出ると、思いがけない時間が用意される。そう、作られると言うより、準備されたような錯覚を覚える。
計画とは違う流れや思いが膨らみどんどん中味が濃くなり、その中にどっぷり浸かる。

そして日曜日は奈良の三男のお店に。これは次回に。

京都のおみやげは、伊勢丹でのお買い物。
と言っても、デパートの商品券で食器類を買って来た。



買ってしまうのは、やはり台所用品。
商品券がまだあるので、次は何にしようか。
履き慣れない革靴が痛くなって来たので、次は靴かな、でもいつのことかな。

帰って来ると、ブルーベリーの葉が真っ赤に色付き、花梨も今年はいっぱい実を付けた。
唐辛子も真っ赤になり収穫時、玉葱の苗床の草取りと追肥と土寄せをする。

「この鳴き声は、ジョウビタキ?」
もう、そんな季節になったのだ。