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よろみ村くらし暦

奥能登の禅寺での山暮らし。野菜作りと藍染め,柿渋染め,墨染めのくらし暦。来山者への野菜中心のお料理が何よりのおもてなし。

夏の虫たち

2024-08-29 11:21:16 | 自然の不思議

ここでの定点観測になってほぼ40年になる。最近見られなくなったもの、今まで見たことのないものなど素人の視点からの観測になる。

虫ではないが、スズメとツバメがめっきり少なくなっている。先日、あの飛行はもしやツバメ?飛行した先を見ると7羽が電線に止まっていた。南に渡る途中に寄ってくれたのだろう。巣作りの偵察に来た折、ユキが取ってしまった。その後姿はなく、わざわざ挨拶に来てくれたのかもしれない。

時折見られたのが瑠璃立羽、モンキアゲハ、今年初めての蝶を見た。調べてみるとカバマダラだった。生息地は南の方、やはり温暖化によるものだろうか。

これらはまだ直視できるが、見えないところで生態系が変化していると思われる。蝉もひぐらしの声が少なくなり、夏の終わりにはミンミンゼミが増えて来た。

冬野菜の種蒔き時期だが、早いと虫に食べられ、遅いと生育が悪い。迷いながら蕪、日野菜、野沢菜、そして今日は水菜、チンゲンサイ、春菊の種を蒔いた。さて、どうなるのだろう?半分楽しみで、半分不安がつきまとう。


夏の読書 −2ー

2024-08-25 06:50:54 | 日記

朝の始まりが、いつしか蜩から虫の声に代わった。まだ日中は暑く夕方になってからしか畑に出れない。そろそろ冬野菜の種蒔きなのだが、暑いと虫に食べられるのと雨が降らず土がカラカラなのが心配で躊躇している。近年の気候は変化が大きく予測ができない。

「どうしてもコメの話」井上ひさし。彼は所謂の学者ではなく、物書き。その彼が書いている。だから視点が私たちと同じなので読みやすく、こちらの目線で書かれているので分かりやすい。今ニュースでコメ不足が問題になっている。その原因はいろいろあるが、その元は政府の減反政策によるものと考えられる。日本ほどコメ作りに合った条件のいい場所はない、それを減反し、その分輸入すると言うのが理解できない。そもそも米は国民食で、どこの国も主食を輸入している国はない。お米だけでなく食料自給率が30パーセントと言うのは先進国にはない。つまり車などを輸出する代わりに食料を買い入れると言うのは納得いかない。これから益々気候変動が大きくなると食糧危機に陥ることも出てくると私は心配している。

今年、今までの田んぼの作付け面積が3分の1以下になっている。震災復旧のためそこまで手が回らない。したくてもできない状況もあるのだから、できる時に作ってストックして置くのは重要だ。一年放置された田んぼには草が生い茂っている。さて、来年はどうなるのか、心配は尽きない。

後の本は、興味のある方、読んでください。さて、自分はこれからどれだけ本が読めるのか。「夜の霧」「静寂とは」をテレビで見て興味をそそられた。読めるかな?


夏の読書

2024-08-18 20:39:12 | 日記

私の読書時間は冬しかなかったが、今年の夏は藍染がなく畑に出る気力もないことで夏の読書になっている。先日の朝日新聞に、勤めを読書をするために辞めた女性の記事が載っていた。確かに普通に勤めしていると時間が取られる。何よりも本を優先するのは、相当な読書好きなのだろう。

山好きが高じて「神々の山嶺」夢枕獏、を一気に読んだ。ミステリータッチでもありハラハラドキドキが止まらなかった。なぜ人は山を登るのか、ではなく、命をかけるエベレストを目指す。それはもう山に神に憑かれたとしか言いようがない。私は普通の山で十分満足している。

「大地の5億年」藤井一至 畑をしていながら土にことをあまりにも知らなかったと知らされた。土ができるのは植物、鉱物、水、そして動物が関わり、長い時間が必要で、地球という特殊な条件のもとでないと作られない。どうも奇跡のようなものだった。土に関して関心を持っていなかったが、今は愛おしささえ感じている。

崩れた土砂からもう草が生え始めた。

久しぶりに畑で草取りをしたからか、もう眠くなってしまった。他のものは次回に。


夏の花と夏のごはん

2024-08-14 10:32:27 | 日記

夏の花とご飯、この共通点があった。修復で山梨や栃木からい来てくださった瓦屋さんや大工さんのご飯作りを延べ20日ほど作っていた。いつも頭にのぼっていたのは、今日は何を作ろうか、だった。ここの一人が畑の野菜をお裾分けしてもらってとても助かったが、肝心の自分の畑の野菜は見事に失敗。かつてないほど夏野菜が取れなかった。自分て作っているとなぜか買うことができない。そんな中でのご飯作りとなった。

なぜ花と同じかと言うと、毎日違ったメニューで作りたい、と言うこだわりだ。夏の花がそうだった。時計草が1日花、烏瓜は夜だけ開く一晩の花だ。そのタイミングを逃すと見れない。別に夏の花と競ったわけではいが、「ふーん。同じだ。」と気づいた。その場、その時の出逢いでしかない。この時期の来る人来る人に自慢げにその花を見せた。誰もが不思議そうに眺めていた。その表情に私は満足していた。もちろん、ご飯もそうだったと思います。

急に静かになった夏、今度はさるすべりが咲き出した。この漢字は百日紅、100日咲いていると書く。花にしてみれば、比べること自体がおかしなことと思うだろう。


職人の手

2024-08-08 14:25:55 | 日記

職人とは、その道のスペシャリスト、技術者を言うのだろうか。その手で作られたものは、芸術的な美になる。先日から瓦屋さんが6人甲府から来て庫裡、観音堂、各家の瓦を早朝から丸二日で日が暮れるまでかかって直してくれた。ここからブルーシートは消えた。災害地にはまだまだ青いシートが見える。人のつながりで早々に仕上がった。

鳥や蝉の声の間から大工仕事や瓦屋さんの音が聞こえていた。その音はリズミカルで澄んで小気味良い。見ていると無駄な動きはなく、緩やかなカーブを描く。それには長年の研鑽の結果なのだろう。道具の手入れも余念がない。刃物類は毎日磨いている。その音の涼やかなこと。それも一人前になるには長い年月がかかったと聞いた。美しく正確なののは、やはり時間がかかるのだ。

美しさは手だけではない。仕事で出たゴミ類は最後綺麗に取り去り、チリ一つ残さない。それだけではない、「夏の瓦仕事は暑くて大変ですね。」と声をかけると、「いやー、甲府より涼しいですよ。」笑顔で返ってくる。「夏の外仕事は辛いですね。」と労いの声に「いつものことで、もう慣れてます。」と汗を拭きながら元気な声で応える。その心意気、どこまでも奥ゆかしいというのか、すがすがしい。

所作、礼儀、仕事ぶり、どこをとっても私のは美しさとして入る。手から作り出される一連の仕事、それは手だけでなく、体と心から時間をかけて作り出されるものなのだろう。そんなんで職人さんの仕事のほとんどが終わった。それぞれが自分の郷里に笑顔で帰って行く。本当に、ありがとうございました。