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よろみ村くらし暦

奥能登の禅寺での山暮らし。野菜作りと藍染め,柿渋染め,墨染めのくらし暦。来山者への野菜中心のお料理が何よりのおもてなし。

ざーざーざー、ざわざわざわ

2020-01-30 14:52:44 | 日記

ざーざーざー、ざわざわざわ、、。
今は1月,今は冬。
ザーザーザー,音を立てて雨が降る。
向かいの山を煙らせ,切り裂くように雨が降っている。



ここはどこ? ここは奥能登で一番雪深いよろみ。
雪はどこ? 冬くらい雨を休ませてあげてよ。
ざーざーざー、ざわざわざわ。

心の中に,冬だけでも静謐な静けさが欲しい。
真っ白い,無機質で冷たくて,それでいてふんわりと包まれるあの心地良さ。

このざわざわは、どこからくるの?
雨の音,眠れぬ動物達の蠢き,この春を思い,夏を先取り,秋の収穫を危ぶむ。
まだ見ぬ先を見ようとする。

すーすーすー。くーくーくー、、。
廊下から,炬燵の中から。
目を閉じ,からだを横たえ,安堵し切った犬と猫。
ざーざーざー、すーすーすー。ざわざわざわ、くーくーくー。



雪の中を疾走する秋田犬のアキ、雪を引っ張って来てよ!
雪やこんこん,,炬燵でねんねのユキ,あなたの名前は雪なんだよ。



家の中に雪が積もっている。
先日仕込んだ糀箱,雪の田んぼが広がっていた。







風邪の菌

2020-01-28 11:05:43 | 日記

現在家族4人,全員が風邪を引いた。
最初は住職,出版記念のお話で東京に出向き,帰山土産に風邪を持って来た。
最初,もしや今流行の新型肺炎かと疑ってしまった。
東京空港で感染したかも?
しかしそれはあまりに短絡過ぎる。いつもよそに行くとぬるいお風呂で体調を崩す。そう,彼の後は誰も入れないくらいの温度のお風呂なのだ。
いつものことだが,熱いお風呂に入れば風邪は吹き飛ぶらしい。

ところが,次男と私は風邪気味だとむしろお風呂に入れないし,入るともっと具合が悪くなる。
症状も鼻水,くしゃみ、だるい、頭痛とはっきりしない。
むしろ高熱が出て,汗を掻けばすっきりと言うタイプと違う。
だからぐずぐずと長引く。



クリスマスローズが弾けている。

ちょうどこちらで麹作りの日とぶつかった。
私はお昼ごはん担当,ヘタに手伝って糀菌に風邪菌を添加させたらと心配する。
そう,納豆菌も糀菌を浸蝕するという。
仕込みから3日目,どうやら順調に糀の花が咲いているらしい。



今年,山茶花の花が葉を隠すほど,咲いている。
おかしなもので,あまりに多いと一つ当りに思いを寄せるのが薄れてしまう。

風邪の菌は見えないところで増殖を繰り返す。
何でもそうだろうが,ある一定以上に増えると自滅する。
でも、その前に人間の方がやられてしまうかもしれない。
やれテロだ戦争だなどと争っている時ではない。
私も,この貴重な冬籠りの時を風邪に犯されてはもったいない。
それにしても春陽気の毎日が続くと、気持ちはむしろ弾けない。



春だと勘違いして,椎茸がぼこぼこ顔を出して来た。












珍味三種と奇態

2020-01-24 14:59:29 | グルメ

冬は漬け物の楽園で,特に北陸は珍味が味わえる。



「へしこ」これは福井の保存食で鯖を糠で漬けた醗酵食。
勉強会に来られた知人のおみやげだ。市販のものと違って立派な鯖で塩加減が完璧でごはんが勧み,お酒がおいしい。

「蕪寿司」これは金沢の冬の名物の漬け物。
蕪に鰤を挟み糀に付けた醗酵食、鰤と蕪のマリアージュだ。やはりこの取り合わせが絶妙で口から幸せが広がる。
私もこの味を知ってから毎年漬けることになってしまった。

そして「豆腐よう」これは私流の豆腐ようで市販の豆腐をここの糀で漬け込み醗酵させた。
少し塩気が強いかと思ったが,酒飲みの人に絶賛されて,ちょっと得意になっている。
これはもう豆腐というより,和製チーズだ。

今年はそのへしこに挑戦しようかと思っている。
どこかで面倒だなと思いつつ,食いしん坊と喜ばれるとうれしくて,つい作ってしまう。
やはり,醗酵食は癖のある分,おいしいと感じると虜になってしまう危険なものかもしれない。

それと、奇態、とは。
我が家のアキ,この態勢はやはりおかしいでしょ!
















雪の降らない冬

2020-01-20 20:14:15 | 自然の不思議

ここ、奥能登に来て35年になるが、雪の降らない冬は初めてだ。
この時季,畑仕事から解放される冬だが、畑が雪で覆われないとそわそわして落ち着かない。
何もしない冬に大分慣れたが、それは雪があって初めて成り立つことだと知った。



去年の冬

以前こんな会話を亡くなった母としたことがある。
「雪が降って、たいへんね!」と母。
「でもそちらの甲府の方が仕事があってたいへんじゃないの!」と私。

働き者の両親の元に育ち,時代的なこともあるがいわゆる特に働かない冬が当時何となく後ろめたさを感じていた。
今は年齢的なものもあるが,ようやくこの冬の暮らしに慣れて来たところに、後押しをしてくれる雪が降らないとやはり気が散る。

確かに冬は炬燵守,冬籠りで過ごしているが、決して何もしていない訳ではない。
私にとっては冬だけが落ち着いて本が読める時間で、以前は編み物,縫い物,繕い物の時間に当てていた。
昔の雪国では出稼ぎか炉端での手仕事が冬の内職として成り立っていた。
私の場合お金にはならなかったが、お陰で子供と私のセーターなど10枚ほど編み,今でも着ている。
縫い物もリフォームとか、繕い物をして再利用しているので、やはり少しは節約になっていると思っている。
それは少しも肩身の狭い仕事でなく、むしろ豊かな時を楽しんでいた。



読み始めた本。
秋から原田マハに嵌っている。

それにしても雪が降らない。
大寒には1mは優に積雪があったのに、僅かに日影のしかも大きな屋根の軒下に形ばかりの残雪があるだけだ。
何を心配しているかというと、田んぼの水と畑の虫の大発生など。
ここの飲み水は沢水をを利用しているので、それも不安になる。

唯一助かっているのは、雪道が苦手なので、車の運転が楽ということ。
でも、私が車で出掛けるのは、月に1度か2度程度,どうしてもいかねばならない用事の時だけ。
ここの住人の中で一番出無精のようだ。
買い物はあまり好きではないが、遠出は大好きなので、今年もまた遠くに出掛けます。
奥能登でも1番雪深いところ、よろみ、どうか真っ白い冬をください。



次男の誕生日に娘が焼いたケーキ








冬の勉強会

2020-01-16 11:00:11 | 日記

冬の恒例の勉強会が13,14日とあった。
毎年真宗の佐野明弘さんが福井から来てくれる。
ここは曹洞宗なのだが、そんなことは問題ではない。
人間にとって宗教とは何なのか、実在する私たちの根源的な問題だからだ。
だからと言って私たちにその講義の内容が分るか、役に立っているのか、それをどう日常に生かせるか、と凡人の私は思ってしまう。
そう思うこと自体を一括されてしまう。
では、宗教が、仏法が必要なのか、どう今の自分に反映されているのか、と問われると瞬く間にぼやけてしまう。

そんな私たちを前に佐野さんは問いを投げかけ、考えさせ、このままの自分,この世界の情勢に斬り込む。
彼の博識,弱きものへの心遣い、そして仏教に対する勉学の深さに私たちは耳を傾ける。



紅いハートは山茶花の花びら,私の暦の予定表の上にあるのは、いろいろな予定がされている日。

「仏法は必要か?」との問いに誰もが必要と即答できない。彼もまた同じだ。
私と佐野さんの必要と感じないの答えは、その内面まで掘り下げた深さに置いてまったく違う。
でも、「必要!」と即答するより、その背景や歴史,知識を踏まえた答えにはより複雑な意味を含んでいる。
そこに文化的仏教,根源的仏教というもう一つの問いが出て来ている。
答えは出ない。答えられない。いつまでもどこまでもいつでも自己と向き合うことの必要性を教えられた。

悲しみ,痛み,虚しさ、そんな時こそ仏に出逢える、と。
これ以上は、読み手に伝わるように書けない自分です。



今朝,ようやく雪が降った。
勉強会の必須アイテムなのに、その日は裸の畑が見えていた。
風景に色が付いているとこころが散漫になる。
やはり真っ白な雪を背景にすると、すーっと自分の内面に入り込める、ような気がする。