goo blog サービス終了のお知らせ 

よろみ村くらし暦

奥能登の禅寺での山暮らし。野菜作りと藍染め,柿渋染め,墨染めのくらし暦。来山者への野菜中心のお料理が何よりのおもてなし。

畑時間

2020-06-30 21:09:55 | 畑仕事

ここの住人5人の女性が主に畑をしている。
以前は共同でしていたが今はそれを区分けして、それぞれの畑を担当している。
するとそれぞれが好きな野菜を中心に作り始め、畑時間も自分の都合で畑に出勤している。



U子さんは早い。私たちの朝食時間にはもう畑にいる。
だからお昼前には午前の仕事を終え、午後も早く出て3時半には切り上げお風呂タイムとなる。

A子さん、時間的には1番畑にいるのが長い。長いということは、よく働いているということになる。
彼女は、花より団子、でなく団子より花だろうか、家の周りの手付かずの土地を自ら草刈り機を使って花で埋め尽くしている。

S子さん、彼女は現代美術家、畑もアートさながら草ひとつなく、アート作品に仕上げる。
時間は、ご飯タイムはどうなっているのかな、と心配になるほど少し涼しくなったことから暗くなる直前まで打ち込む。

E子さん、勤めや娘さんの学校の関係と家の周りが畑なのでこちらからは見えない。



そして私、6時からのお弁当作り、朝課、掃除それから朝食、家事の関係から畑に出るのは10頃になる。
そして夕方は5時半か遅くも6時には引き上げ夕飯の支度にかかる。

どうしてみんなの動きがわかるのか、監視カメラではありません。
この居間の私の座っている位置から畑の様子が見えてしまう。
ここでくつろいでいる時も、みんなお働いている様子が見えると、ゆったりできない。
みんなの家からは見えないから、ちょっと羨ましい。
また、みんなの姿がないと、具合でも悪いのかなと心配になったりする。
私が畑から解放されるのは、どこか旅に出た時か、雪で畑が真っ白になった時しかない。

明日から7月、もうすっかり山も畑も緑になった。
畑にも胡瓜、ズッキーニなどの夏野菜が採れ出した。
トマトはまだ緑のまま、中には病気のものも見える。
さて、この夏はどれだけの野菜が食べられるのだろうか。
みんなの汗の結晶、と言える。

















子猫の巣立ち

2020-06-24 20:40:38 | 日記

今になって、燕が卵を温めている。いつになったら巣立ちになるのだろう。
ユキに子猫が4匹4月17日に生まれ、そのうちの3匹が貰われて行った。
残る1匹も7月の初めにはここから巣立つことになっている。

これを巣立つと言ってよいのか、貰われると言っても、勝手に人が連れていくことになる。
母親から、何の許可もなく、中には「さよなら。元気でね。」の挨拶もなく、ユキがご飯を食べている間に連れ去る。
4匹から2匹になった時、ユキは流石に異変に気付き、子猫たちを探している風に見えた。
落ち着きがなく、泣き声も子供らを探す様子だった。
それを見ている私は、やはり「ごめんね。」とユキを抱っこしてあげた。

そして1匹が残った。
その1匹、貰い手はお隣の猫のお父さんの家の人で、横浜から来る。
名前は「じゅげむ」落語好きから命名したと言う。
じゅげむは、4匹の中で1番の泣き虫で甘えんぼ、今はお母さんを独占しておっぱいをふんだんに飲んでいる。
そうでなくても1番のお腹プンプクリンが「じゅげむならぬ、ジュデブ」になってしまいそう。

いつかは誰ものが、生き物たちは親元から巣立ちを迎える。
特に野生ほどその巣立ちは厳しい、ペットとされた動物たちも人の思うままにされる。
当初、オスばかりで貰い手がなかったが、ユキの子で人懐こく、トイレの躾もできていることもあってどの子もみんな大事にしてくれる人の元に手渡された。
そのみんなからの新しい生活の様子が寄せられ、どの子も大丈夫のようだ。
1番心配なのは、むしろ母親のユキかもしれない。
4匹におっぱいを吸われ、ネズミや蜥蜴を子猫に運び、完璧なお母さんはすっかり痩せてしまった。
この1匹がいなくなったときのことを思うと、ちょっと心配だ。

さて、これからどうしよう。まだ産ませるか、思案中です。
















初夏のよろみ

2020-06-21 10:24:39 | 日記

まだ毎日アカショウビンが鳴いている。
よろみはすっかり緑で囲まれた。
畑も土色から野菜の緑で覆われた。

といっても収穫したのは玉ねぎとニンニク。
玉葱は茎が倒れ例年より半月ほど早い収穫になった。これは暖冬のせいだろうか。
大きさは、いつもよりちょっと小さいかな。

夏野菜の定植を終えたがまだまだやることがある。
芽かき、支柱立て、追肥、土寄せ、草取り、そして水やり。
梅雨に入ったものの、雨が降らない。きっと後半に止まらないほど降るのだろう。
すると、屋根を付けていないトマトがダメージを受ける。
畑仕事のほとんどはその年の天候次第にかかっている。

このところに日差しは強く、またブヨが出てきた。
手拭いで顔を覆い、サングラスを掛けて畑仕事になる。
そんな畑仕事をしていると上の方から「コン・コン」と音が聞こえる。
何を考えているのか、田んぼ仕事の合間に始めた「バンブーハウス」。
一人は建築家、ここで育って二人は少年時代に戻ったかのように楽しげだ。
そこで雪🛷をしていた坂も今は木々で覆われている。

17日で2ヶ月が経ったユキの4匹の子供たち。
毎日がこの居間は大運動場となり、棚の上の物は落とされ、障子は破かれ、私たちの足は爪で傷だらけ。
そんな中、一昨日には2匹が貰われていった。
ユキの子供を欲しいと言う二人、初めて飼うと言うことで餌、トイレなど詳しく聞いてきた。
本当はメスが欲しいといっていたが、4匹とも雄、それでも来ていきなり膝に乗った子を嬉しそうに持ち帰った。
そして明日はもう1匹、7月にはお隣さんのやはり幼なじみが横浜から連れに来る。
子供らの父親はそのお隣さんなのだ。
4匹から2匹になり、ユキは探している様子だ。数は認識できなくても、いつもの2匹がいないことをわかっている風だった。
4匹ともいなくなってからのユキがちょっと心配だ。
1歳で母となり、4匹を愛情たっぷりで育てたせいか、人懐こく、トイレもでき、ネズミや蜥蜴を子供らに取ってきて完璧な母親ぶりを見せてくれたユキ。
育児放棄とか、幼児虐待などとは無縁の猫の習性に学ぶものを見た。
ユキはおっぱいを吸われてガリガリだ。それでも与え続けている。

紫陽花の花芽が1日1日大きくなってきた。
ここが紫陽花寺になるのは、まだちょっと先になる。
















新しいパソコン

2020-06-16 20:57:29 | 日記
このブログから新しいパソコンになった。
20年使っていた20インチのずっしり重いパソコンが懐かしい。
私が使えるのは、ある機能のうちのほんの一部でしかない。
でも、メールと文章とブログと写真はやはり必要だ。

これを開くにあたっても、一人では何もできない。
自分の中で全く自らする気がないのだ。
ケータイにしても、いよいよ今までのものは使えなくなると言う。
いよいよスマホなのかと思うのだが、気が進まない。
ケータイも旅行などの時にしか携帯しない。
つまり、必要性を感じない。
自分の都合でなく、相手の不都合があるので持っている。

子供らのスマホの便利さを知るとこの現代の動き、速さをすごいと思う反面、気分と身体的にどこかで拒否反応をしている自分がある。
どこまでもアナログ的な自分が居座っている。
私の父や亡くなった弟も理系でいち早くパソコンの世界で仕事をしていたが、私は手仕事が性に合っている。

このパソコンにはまだ過去のデーターが入ってなく、写真が取り込めない。
だからか、まだ他人行儀的で人の匂いがしてないが徐々に私に馴染んでくれるだろう。

それにしても、時代とともに進歩しているのだろうが、やはり20年使っていたオーブンが一部の部品が既に製造されていないと言うことで廃棄せざるを得なかった。
前のパソコンもブログが書けないと言うことで新しくせざるを得ないと言うことだった。
これを進歩と呼ぶのだろうか。
これではゴミばかりが増えていくのではないかと気が重い。
そう、写真を取り込む部品を買わないとならないと言われ、ますます気が滅入ってしまった。
「当たり前でしょ!」と息子の簡単に言われた。

花の香りと蜂

2020-06-09 21:39:47 | 自然の不思議
小さな庭に、白い花が咲いている。
ニゲラ、鉄線、野ばら、その向こうに高さ5、6メートルほどのエゴノキの花が見える。

畑仕事をしているSさんが、「この匂いなんだろう?」と辺りを見回した。
通りかかった私はマスクでなく、手ぬぐいで覆っているので分からない。
それを鼻から外して大きく吸ってみると、ほのかにいい香りが感じられた。
「これは何?どこからくるのかな?」

畑からエゴノキまでは2、30メートルある。
今年の冬が暖冬だったせいか、エゴの花が空を埋めるほどの数が咲き、木の下に立つとクマバチの羽音と共に雪のように落ちてくる。
蜂はその香りに導かれるのだろう。
野薔薇が咲いた途端、どこからともなく蜂がやってくる。

そのエゴノキの下に養蜂箱が2つ置いてあるが、ここ数年蜜蜂が入ったことがない。
その設置場所とか、養蜂の仕方にあるのか、ミツバチ自体が減ったからか、原因がわからない。
やはり、そのことを調べる必要があるだろう。

人も蜂も同じ花の香りに惹かれるのはうれしさと不思議さを感じてしまう。
クマバチでなく、ミツバチだったなら、きっと蜂蜜が採れただろうと妄想してしまう。

今日は真夏のような暑さだった。
カラカラの畑に如雨露で水遣りの毎日。
なかなか大きくならない野菜たちの渇きの声を聞きながら。