goo blog サービス終了のお知らせ 

よろみ村くらし暦

奥能登の禅寺での山暮らし。野菜作りと藍染め,柿渋染め,墨染めのくらし暦。来山者への野菜中心のお料理が何よりのおもてなし。

北八ヶ岳を歩く。

2020-10-30 11:17:19 | 自然の不思議

北八ヶ岳は私の故郷の山、そして以前行ったことがある。
そんな思いから今回の地図はざっと目を通しただけで軽く見ていた。

ところがもう晩秋、しかも2000メートルある。
麓は紅葉、しかし白駒池は初冬だった。
雪がうっすら積もり、木道や石は氷り、油断すると滑ってしまう。
みんなで検討した結果、「にゅう」まで登ることになった。
そこで助かったのがアイゼン、仲間の一人が2つ持って来ていて貸してくれた。
またストックも借りて急登を滑らずに歩くことができた。
以前思わぬところに氷が張っていて滑って手を骨折した痛い記憶が蘇り、用心して登った。
気力、注意力に心した結果、これに疲れてしまった。
そうか、山は体力、気力の両方が必須だと今頃になって気付いた。



何よりも今回は仲間のありがたさを感じる山旅だった。
若い頃はほとんど2人、一つの本と地図を頼りに歩いた。
それでも、それだからこそ登れた険しい山も踏破できた。
時代と年齢から情報と協力がこれからは必須と気付かされた。



これは甲府駅からの富士山。

私の思いとは関係なく、山は晴天、故郷の富士山も線対称の裾野を披露してくれた。
自然に、仲間に感謝の山旅になった。
どうか、また誘って下さいね!












与呂見の秋模様

2020-10-22 10:19:26 | 日記

急に寒くなり、先日は夜ストーブを焚いた。
風もないのに百日紅、欅の葉っぱが連なるように落ち、ほとんどの葉っぱがなくなった。
散歩の道には秋のきりんそう、蝮草、野菊が見える。
でも、紫式部や山帰来の実はほとんど見られないのは今年の天候だろうか。

どこから張ったのか高い所から蜘蛛の巣が幾重にも重なり、そこの枯れ葉がひっかかり、まるで秋の現代アートだ。
レース状になった冬野菜の上にはアキアカネ、赤トンボが気持ちよさそうに飛んでいる。
そういえば、久しぶりに青鷺を庭先に見た。

稲刈りが終わり、玉ねぎの苗の植え付けも終わり、そろそろ畑の方付けも始まっている。
まだパプリカは元気で間引きの大根とおかずにとても助かっっている。

ユキは子供らに毎日狩りに励んでいる。
芋虫、蜥蜴、ネズミ、もぐら、ヤマゲラなどを取って子供らに与え、良き母を見せてくれる。
それも、もう数日のことだろう。
5匹の子猫ももう1匹になってしまった。
遊び相手のない子猫はひとりになると寂しげに鳴く。
引き離すときはとても辛く、本当に人間て勝手だと思う。



いつものように秋がやってきた。
でも、いつもとはやはり違う。
あの夏の子猫らのにぎわいも聞こえなくなり、ちょっぴり寂しい秋になる。



私の登山のニッカーボッカー、この際すり切れた一つを処分した。ちょっぴり、寂しい。

明日から北八ヶ岳を歩き、ついでに甲府に行ってお墓参りと、久しぶりに書道の仲間たちとも会ってこようと思う。
歳を重ね、持病が出てきた中間もいる。
会える時に会っておこう、そんな気がしている。
急に去年亡くなった北海道の友人を思い出した。

















立山登山ー2ー

2020-10-17 22:16:50 | 自然の不思議

私にとって登山とはなんだろう。
いつも帰ってくるとそのことが引っかかる。
私に何をもたらしてくれるのだろう。

また自分に問いかける。そこに意味を見いだす意味があるのだろうかと。



今回の登山で初めて自分の心臓がバクバクと音がするのを聞いた気がする。
それほど今回はハードだった。
一乗越からの急登は瓦礫、油断すると足を滑らし転げ落ちること間違いなし。
年齢なのか、2400から一気に3000まで登ったからか、フーフーしてようやく雄山にたどり着いた。
でも、しばらくすると苦しさもなくなり、雲が生まれ、流れ、そして消えてゆくさまを楽しんだ。
娘夫婦と友人と頂上で食べた新米のおにぎりは海苔の上に秋の日差しをもう1枚巻いてパクパク。
ただ、風が冷たく、ゆっくりと味わうことができずに下山。
上りより下りが危ない、もう視界は足元しかない。



あれだけ大変な思いをしたのに、下山するともうそのことを忘れている。
疲れもあまりなく、もう次の山を考えている。

その時その時、その時を体現する、それしかないのだろう。
私の中に「また、登りたい。」その想いが出てくる不思議、理由はいらない、これが私としか言いようがない。
私の1歩がまだ見ぬ世界を見せてくれる、それがおもしろいのだろう。例え、大変でも、、。













立山登山−1ー

2020-10-15 21:40:27 | 自然の不思議

私は甲府が故郷で登山を始めたのが18の時、父に連れられ弟2人と登った鳳凰三山だった。
その頂上から見た闇の空いっぱいの数えきれない星。
自分の足で登るとそれまで知っていた世界では収まりきれない数や空間がある、その喜びとも怖れともわからぬ不思議な感覚になった。

14日の早朝、闇故に自ら光を放つ星たち。
三日月と金星、オリオンの3つ星の下の星雲までが私の眼に映っていた。
約束された秋の晴天だ。

どこまで行くかはまだ決まっていなかった。
ところが同行した仲間の友人が室堂までの割引チケットを用意してくれたことから「立山に登ろう!」ようやく決まった。
室堂まではコロナ対策でマスクをつけ、歩き出してからはもういらない。

私は20代の時、長野から立山連峰を歩いたことがあったが、富山側からは初めてだった。
室堂の標高は2400メートル、そこから約600で頂上に立てる。
もう前のことはすっかり忘れている。いつも山は縦に高く切り立っている、それが山だったが室堂は母の大きさ、おおらかさを感じさせてくれた。
真っ青な空、緑の這松、黄色の枯れ葉、茶色の土に白っぽいのは雪渓なのか、砂利なのか、画家に例えるとゴッホでなく、セザンヌでなく、マティスだろうか。
色と色の境界がくっきりした秋を見せてくれた。





ところが、靴の下は石、しかもセメントで作られている。
確かに大勢が歩く歩道は自然保護からは有効だろう、しかし、自然を壊して作られているこれが、現実なのだろう。








片付けが先?

2020-10-11 11:18:39 | 日記

普通は、散らかっているから片つける、でも、片付けてあるから散らかす。

子猫がいると、もう部屋は色々なものに溢れている。
紐類、小さな親指ほどの石、貝殻。小さくてコロコロ転がるものならなんでも遊び道具になる。
大きなものになると、空の大きな段ボール、そして2メートルほどの本立て。





最初、登ったはいいが降りれない、でも今はもう平気。
1日1日、運動量と運動範囲が広がっている。片付けても、片付けても散らかすのでもうそのままにしておく。
棚の上の額や小物、花瓶はもう撤去、ひっくり返す前に片つける。
しかし、ユキがバッタや蜥蜴を獲ってきてその死骸の一部が散乱していると、さすがに片つける。

こんな風景もあと半月くらいだろうか。
その時はきっと懐かしくなるだろう。



花が飾られてなくて殺風景だが、子猫の泣き声や運動会がなくなる方が寂しいだろう。
動物の全てが、子供の時は可愛くできている。
誰からも愛おしく感じられるようにできていると思っている。