よろみ村くらし暦

奥能登の禅寺での山暮らし。野菜作りと藍染め,柿渋染め,墨染めのくらし暦。来山者への野菜中心のお料理が何よりのおもてなし。

スカートともんぺ

2015-08-28 14:14:12 | 日記

ここに来るまで、日常着はスカートだった。
それが今や、ほぼ1日もんぺで、湯上がりにロングスカートを履くくらいになってしまった。
どうしても染物や畑仕事の都合上、もんぺが欠かせない。

ここに来る時母から久留米絣のもんぺを譲り受けた。そのうち母も畑仕事をしなくなり、今ではそれも合わせて10着くらいあるだろうか。
特に夏はもんぺが涼しく、膝当てもあって丈夫でしかも絣模様がおしゃれで気に入っている。
染めの仕事柄どうしてもいつしか柿渋や藍が付いて色が薄いと滲みに見えてしまう。その点、絣模様のもんぺはそれを隠してくれる。

夏、スカートも涼しく軽やかで、やはり女らしくて大好きなのだが、着る機会がほとんどない。
お出掛けのときと思っても、夏は染めや畑仕事、夏野菜のストック作りなどで出掛ける暇がない。

一歩外に出るときは長靴、虫対策や土や草による汚れを考えると、どうしてもスカートの出番がない。
友人からのお手紙に,努めてスカートをはくことを心がけるようにしたいとあった。「やはり,おしゃれを心掛けたい,女だから。」と。
それを読んで私も深く頷いてしまった。
年齢と共にスカートを履く機会が少なくなっている。中にはちょっと派手になり履くのが気恥ずかしいものも出て来た。
逆算すると余り時間がない?これではあまりに寂しいではないか。
実は体型が若いときとほぼ変わらないので充分履けるのである。
それと、独身貴族?だった私はおしゃれに結構お金をつぎ込んで来たので,物も悪くない。
ここに来て,古着から自分なりに作ったスカートもある。

先日スカートを出して見ると、いっぱいあるではないか。処分しようかとも思ったが,もう少しスカートを履く時間をたのしもうかと思う。
少し現実を忘れて,少し前の私に戻って。
お金の掛からない,楽しみ方を発見した。


真ん中は三宅一生、右が山本寛斎。



真ん中は藍染めのスーツ。

夏の暑さもそろそろ終わりになりそうなので,染められる期限が迫り焦って染めている。
冬野菜の種を蒔き,キャベツなどの苗を植えた。ところがまたぱさりと切られてしまった苗がある。
遅いと大きくならず,早いと虫にやられる。
さて,この冬の野菜はどうなるのかな?















吐く猫、食べない犬

2015-08-25 21:07:05 | 日記

我が家の老猫と老犬の話である。

その老猫のために、高級食材を用意することになってしまった。
缶詰も今までの3個98円から1個がその位するもの替えたり、キャットフードも懐石とかいうものにしてみた。
病院から吐き止めの薬も戴いて、至れり尽くせりの配慮をしているが、そうしても吐いてしまう。

耳も遠く、朝の食事が終わるとほとんどを眠っている。
2階にあるトイレは、それでも粗相もせず使う。しかし2階に行く足取りは、今までの軽やかさはなくなり、1段ずふらりふらりと登って行く。



ハナクロ

次は老犬ハナ、これがまた食べない。全く食べないのではない。ハナの場合、好みと言うか、贅沢と言うか、好きなものは食べるので、問題はないと言える。
夏場と言うこともあり、量は少ないが、食べるから心配はないだろう。
肉系のものがないとき、ドッグフードにキャットフードを入れると、ほとんどを食べる。それにジャーキーを入れると完食になる。
要するに、おいしものはたくさん食べるのである。
その食べ方も、上品と言うと聞こえはいいが、がつがつ食べずにゆっくりと味わいながら?優雅に食べるのである。

その2匹を猫可愛がりする娘が今朝新学期に向けて行ってしまった。
そんなこと二匹は知る由もない。
「二匹をお願いね。」と頼まれた。
次に帰宅するのは12月、その時まで二匹は元気でいてくれるだろうか。



ハナ

歳をとっても、やせても、目やにの跡がついていても、かわいさは変らない。
少しでも長く一緒にいたいと思う。











トマト通信

2015-08-23 06:47:56 | 畑仕事

私の計画では、春の初めから「トマト通信」を発行するつもりだったが最初の種蒔きを逃し、結局これが今年の最後の通信かも知れない。

野菜の中で一番力を入れているのが、トマト、控えめな甘みと酸味の絶妙なバランスが瑞々しいジュレの中に詰まっている。
料理も生でよし、炒めたり煮たり、ストックもできる万能な野菜と言うこともありほかの野菜よりひいき目にしてしまう。
何よりもその姿と色に魅了され、つい必要以上に作ってしまう。
面積にして4x10メートルに80本、9種類ほど植わっている。
今年の夏はトマトに適していたのか、大きく美しく立派に育ってくれた。
そのトマトが最盛期となり、ご近所様から親戚友人にも配っている。

トマト畑はいつも他の野菜の場所に先駆けて決める。
連作障害を避けてするので時には草の多いところになッたりするが、その時は丁寧に草を取り、畝を建てる。
当初、畝にはピラミット型に2列植えていたが、最近は1本植えにしている。
風など心配だったが、この方が収穫しやすいし、風通しがよく立派に育つことが分った。
ここは雨が多い土地柄で、トマト農家でなくともビニールテントで育てている。
雨に弱いトマトは、その年の雨次第で収穫量と期間が違って来る。

2日ほど雨が続いた。案の定トマトに亀裂が入ってしまった。
天気がよいと、うまくすると10月の初めまで穫れる。

さて、穫ったトマトをストックして冬に備える。
藍染めや柿渋染めの合間に煮込むのだが、これがまた一仕事。
おいしいものには、時間がかかる。


















初めての来客

2015-08-20 10:54:56 | 日記

やはり夏休みなのだろう、初めての来客が数人あった。
その中の一人は、私の弟、生山健二の次男だった。
その兄はまだ母が生きている時に来て、大学が受かったら二人で来ますと言っていたが、都合が悪く一人で来た。
その甥っ子は父親と同じ信州大工学部に入り、ヒッチハイク部に所属したと言う。
彼は父親の顔を知らない。まだ0歳児の時に亡くなった。

丸二日の時間を他ではできないことを経験してもらった。
その一つ、薪風呂で火を点けてもらったのだがそれが中々できない。
私はそれをライターと紙と段ボールを渡し教えることもしないで待った。

畑の狸?にやられて無惨なトウモロコシ畑の方付けを手伝ってもらった。
先ずネットを外し、もろこしを引き抜くのだが、根っこが張っていて剣スコでないと抜けない。
彼は手先でしようとしたができない。そこで使い方を伝授してようやく抜けた。
時間は私の3倍くらいかかっただろうか。
午後からは白菜の苗のポット植えの手伝いをし、千枚田観光と温泉に連れて行き、夜は握り寿司をここでした。
ところが、帰山するなり爆睡、それを起こして夕飯を皆して食べる。

今まで見慣れてないこと、したことのないことがこんなにもできないことかを知らされた。
彼が得意な機械や工学的なことは今度こちらはチンプンカンプンなのだろう。
どちらがいいとか悪いとかでなく、比べ合でもなく、こんな機会に自然と接することで、きっと何かが変わって来ると思う。

彼の兄は東北の院を出て就職が決まったとか、義妹もこれで少しはほっとしただろう。
それにしても、我が家は誰も理系がいない。
手を動かし、身体を使って、やはり余りお金とは縁のない暮らしをしてゆくのだろう。



モンキアゲハ
みんなで蝉と蛾の死骸を調べた。蝉はひぐらし、しかし蛾は不明。



蓮の葉 彼と蓮田まで散歩した。そこで田螺を発見、いつか食べようかな。














新盆

2015-08-16 11:21:09 | 日記

夜、真っ暗い境内にひとり立った。
頭上には満天の星が広がり、天の川が北から南にゆったりと流れていた。
残念ながら、ペルセウス流星群は今年見られなかった。

去年のカレンダーのメモには、母の最晩年の様子が書かれていた。
尿タンパクが止まらず、全身がむくみ眠りも妨げられていた。
すぐ隣に寝ていた私も、寝不足が続き体調不良に陥っていた。

それでも、まだこの1年前は生きていた。
結局、この1ヶ月後、とうとう息を引き取った。

去年のお盆には、次男も三男も娘もいた。
母にとって、何よりの最期の時だっただろう。
でも今年は住職も娘も盆業に行き、今年は次男と私だけだ。

甲府にいた時、両親は迎え火を焚き、提灯を飾り、野菜や果物をお供えした。
私は父が作っていた実家から届いた桃を供え、富士山の写真を飾った。

今、母の1周忌に備え、「おばあちゃんの手仕事展」ー縫いと繕いーの準備をしている。
母が生きているうちにしてあげれば良かった。
それが残念でならない。





靴下を繕い、最期の最期まで履いていた。