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よろみ村くらし暦

奥能登の禅寺での山暮らし。野菜作りと藍染め,柿渋染め,墨染めのくらし暦。来山者への野菜中心のお料理が何よりのおもてなし。

進む工事、修復

2024-07-29 10:07:08 | 日記

今もパワーシャベルの音と釘を打つ音が聞こえている。大工さん他2人の4人で震災後の修復をしている。被災者の話では、解体も修理も思うように進んでいないと聞く。公費や施工業者の関係が大きく、もう半年を過ぎても動きは鈍いという。

ここは友人知人の繋がりがあり、それぞれのところで人手、機械の準備などがあり、多分他よりは進んでいると思われる。でもここは他にない問題がある。排水と給水、排水パイプを埋め直し、山上まで給水タンクを上げなければならない。さて、どうするのだろう。

私のできることは、ご飯作り。約2週間、3人と我が家の5人、計8人分を作る。さて、何を作るか、それがいつも頭にある。できるだけここの野菜で作りたいが、きゅうりとトマトはもう終わる。今年も青枯れ病になってしまった。ナスはこれから、かろうじてズッキーニが取れるのでそのメニューが出る。人数もあって大きさは30センチまで育て、中をくり抜いて肉詰めにしたり、炒め物はもちろん、フライ、卵焼き、味噌汁にも入れてしまう。それ自体は癖がなく、歯応えもあり何にでも使える。

これはカレー、茹で卵を梅酢に漬けた。白と黄色と赤がきれいで、酢が全体を引き締めた。

昨日はシェパードパイを作った。トマトをピューレにして、自前の白豆、コーンもマッシュポテトのに入れて焼いた。これどこの料理?名前からするとドイツかなと聞かれ、「はて!」作った本人もあやふや。でも、美味しく食べたのでよし。まだ4日しか経っていない。「さて、、。」あと10日余り、何を作ろうかな?


善光寺参り

2024-07-26 10:49:59 | 旅行

本当は、山の予定が私の体調不良で行けず、リベンジと称して長野に誘ってくれた。長野は山で行っているが長野市自体はよく知らない。そうか、弟はここに大学時代住んでいたのか。それを思うと何か懐かしい気さえしていた。結局ホテルから近い善光寺参りになった。本殿が国宝というだけあって豪壮でそれでいて親しみのある建築になっていた。二人で参道を2、3時間歩いただろうか。日影を歩いたが汗が滴り、それでもお参りを続けられたのは二人だったからだろう。誰もがお願いするのは、家族の健康と世界平和だろう。そう祈っても、叶えられない。やはり行動に繋げないと届かないのだろう。

用意してくれたホテルも食事も文句なく、それよりも二人でいろいろとおしゃべりが何よりのご馳走だった。震災後ちょっと不調だった体に栄養をたっぷりいただいたお参りになった。

帰路に厨 鹿で食事。孫の椛くんにも会って来た。母子共に順調に育っているのを見て安心。いつの間にか、子供が子供を抱っこしている。もう一人前の親の顔をしている。お参りのお守りを渡して帰ってくる。

帰山するといつもの暮らしが待っている。金沢や栃木から設計士さんや大工さんがここに泊まり門前とよろみの家の修復にかかる。それにはどうすれば支援金を頂けるか、何かと手続きがたいへんらしい。しばらくはここを拠点に仕事にかかる。さて、どこをどこまでできるのか、話し合いと作業が続く。私は食事作りで応援です。


捨てられるもの、残るもの。

2024-07-16 10:00:23 | 日記

この震災で出たゴミは40年間分だと聞いた。ここでも家を解体する人は必要最小限にものだけ残し、他は捨てたと言う。ここで使えるものは使い、それでもほんの一部でしかない。捨てられた中で大きなものはまだ使えるピアノ、業者に掛け合ったが輪島はダメと言われたそうだ。そこで結局被災ゴミをして出さざるを得なかった。ここにもピアノはあり、さすがに2台はいらない。

この際、私も今までのものを整理し出した。今まで使って来たものでもう使わないものは処分、その都度心が痛む。解体に踏み切らざるを得なかった彼女は「もう、迷わない、迷っていたら病氣になるよ!」確かに、2ヶ月以上痰と咳が止まらずまだ鼻声が続いている。受診の結果は異常なしなのだが、よく分からない。

人と物との付き合いとは、何だろう。この際考えてみようと思う。暮らすのに必要、生きていくのに不可欠、必ずしも一致しないが重なることはある。必要ないのに手放せないものがある。思い出を彷彿とさせるもの、整理していると記憶にないものも出てくる。中でも価値に関係なく、手触り、ぬくもりがその判断基準になったりする。ほとんど使わないと知りながら、誰かの手を掛けた品物は捨てられない。またいつか日の目を見ることがあるだろうと、とっておく。その中で輪島塗りのお盆が十枚出て来た。来客の時には使ってみよう。

今日は雨の予報が出ていたのに晴れて暑くなって来た。瓦屋さんが後日になっている。水のタンクで業者に掛け合ったが、地元のことで身動きできないと言う。まだまだこれからだ。

いつしかアカショウビンの声が消え、夕方は蜩が鳴いて来た。梅雨明けになるのだろうか。


あれから20年、30年。

2024-07-06 15:14:21 | 日記

震災から半年、ほとんどの仕事はそこから始まっている。片付け、整理、何か新しいことをしただろうか。むしろその全てが初めてのことかもしれない。

「久しぶりだなー」と言うのは軽トラを東京から運転して持ってきてくれた懐かしいいそっち。すでに20年が経っている。子供らがその当時の年齢で、彼がもういい中年になっていた。確かに外見はそれなりなのだが、声も人柄も変わっていなかった。「いやー、かれこれ30年になるのかな。」先日のユンボを持ってきてくれた彼の奥さんとも20年ぶりだった。

被災の片付けがてらほとんど長く手付かずだった屋根裏部屋の片付けを始めた。そこはかつて父が子供らのベッドを三つ作ってくれたところだ。勉強部屋にもなり、巣立った後はほぼ物置状態になっていた。そこも地震で多くのものが散乱していた。

出てきたものは、龍昌寺の過去帳や、子供らの書いたもの、マラソンで取ったメダル、かつて私が書いた屏風など、もうすっかり忘れていたものがベッドの下などから出てきた。いつか整理しなければと思っていたことがこの機会に出会いの気っ掛けを作ってくれた。

人間の記憶にあるものは何なのか、物を通して思い出している。それでも多くのものは廃棄した。心の奥にあるものは、消えないのだろうか。時を経て懐かしさをプレゼントされた、震災でもあった。


大地震から半年後のよろみ

2024-07-01 21:15:16 | 自然の不思議

いいのかどうか、あの地震が1月1日と言うのは区切りからすると分かりやすい。では、この半年で何ができたのか、何が変わらないのか。

例年だとこの時期は畑が緑一色になるが、今年は白色に染まっている。理由は5世帯がほぼ2世帯しか畑になっていない。つまり、震災後ここに住んでいるのが2世帯プラス1世帯、2世帯は住める状態になっていないため、畑どころではない。その白とはヒメジオンの花畑になってしまった。

庫裡の屋根はまだブルーシートで覆われ、本堂の壁は一部が剥がれ落ちて白壁が土壁の茶色になっている。それもまた余震によって少しづつ剥がれてきている。一軒の傾いた家は修復が終わった。家の中の白壁の四隅は自分達の手で少しづつ修復が進んでいる。でも、まだまだ先だ。

今回の被災でとても助かったのは、義援金だけでなく、それぞれの技や仕事、また友人の知人を通してユニックの手配など他の被災者ではできないことまでしていただき、半年という月日では早い復帰になっている。ニュースによると、半島というリスクが復帰を遅らせているという。また避難者が多く、地元に残っている人が少ないためボランティアの人たちが泊まれるところが被災地から遠いことも影響していると聞く。

よろみはまだまだ被災は小さかったと言える。まだまだ5世帯が揃って今までのように田畑を耕せるようになるには時間がかかるが、確実に前に進んでいる。