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よろみ村くらし暦

奥能登の禅寺での山暮らし。野菜作りと藍染め,柿渋染め,墨染めのくらし暦。来山者への野菜中心のお料理が何よりのおもてなし。

お味噌造りとお餅搗き

2019-12-24 22:58:25 | グルメ

21日と22日でお味噌造りとお餅つきが終わった。
これまでと違うことがあった。
それは、天気,今までなら外は雪が積もり,それを見ながらしていた仕事が、今年は暖かく寒さを感じなく終えることが出来た。
確かにそれはやり易かったが、どこかに不安を持ってしまった。
この冬はどうなるのか、暖かいと虫が出て稲や野菜は丈夫でおいしくできるのだろうかと、今からそんな心配をしてしまう。

もう一つ,集まった人は約30人,それもほとんどが若い人たちと子供の声が勢いよく、いよいよ世代交替を感じざるを得なかった。
長男が住職となり、今まで傾いていた秤が新しくなり、アナログだった温度計もデジタルになった。
今までになき細かいところにも指示が飛び、新鮮だった。でも、決して厳しいというものではない。

やはりこの二つの年末の行事はお祭りである。
バックにはアデルなどの音楽が大音量で流れ,お餅を搗くごとに声援が挙がり、搗き終わると拍手が起こる。
お昼は搗き立てのお餅を大根おろし,きな粉,あんこ、納豆で食べ,夜は手巻き寿司の大宴会になった。
夜中の3時までの人も、泊った人もいて、どうにか無事終えることが出来ました。



今年と来年の暦

さて、これからは友人達にお餅を発送して、大掃除をして今年も暮れていきます。
まだ雪は降っていないけれど、夜には星が氷のように光っていました。
そうか,今日はクリスマスイブ。










琵琶という楽器

2019-12-20 21:13:35 | 日記

縁ということだろうか。
一つは娘が嫁いだ先で琵琶奏者と知り合い、たまたま輪島の金蔵の中学校で演奏が予定されていてそれが終わった後にここに寄ってくださった。
もう一つは、ここ輪島が平家伝説があるために縁が出来たことになる。
さらについ先日,テレビでシルクロードを見たことにある。

今までいくつかの弦楽器の生演奏を聴いて来た。例えばシンフォニー,ギター,三味線,三線など。
でも、琵琶を生で、しかも目の前で聞かせてもらったのは初めてだ。

彼女は献奏と言って本堂で平家物語を奏で詠ってくださった。
その音色が本堂に響くと、そこに私の中にあのシルクロードが見えてきた。
これは画像として私の中にあったからだろうか,それとは関係なく異国の匂いを感じ取ったからだろうか。



そのバチの大きさにびっくり,そのお値段にまたもやびっくり。
漆が施された美しい琵琶、あの正倉院の琵琶を思い出しました。
琵琶奏者は若くとても気さくな女性で、それにもびっくりでした。

その響きは、単音に留まらず、何か他の音も引き込んで一つの音になっている。
その余韻というかそこの空間に及んで響くのが何とも哀愁を帯びてこちらに伝わって来る。
行ったこともないあの荒涼とした土色の砂漠,そこは紀元前に栄えた歴史がある。
縁もゆかりもない時代と場所である筈なのに、どこか懐かしさを感じてしまった。
それは一体なんだったのか。
バイオリンでも三味線でもないあの響き。
それは人類という括りの世界の話だろうか。
琵琶,それは私の琴線に触れたのです。
もしかして、ここから琴線という言葉が出たのだろうか。









冬の華−2−

2019-12-18 14:18:28 | 自然の不思議

冬の華,と言うと、霜になる。

例年なら11月に霜が降り、それを目処に野沢菜漬けなどをするのだが、強い2度目の霜は12月になった。
前日の夜の星空がダイヤモンドのように輝くと、その翌日の朝には真っ白な霜が畑を覆う。

霜の白さはまた雪の白さと違い必ず朝日を伴って光を放つ。
よくよく見ると野菜や草の葉の輪郭を透明な鋭利な剣のような結晶が見える。
それが朝日を受けるとこちらに刺さって来るように飛び散る。



寒い、手が冷たい、息が白い、鼻先がツーンととんがる。
でも、アキはむしろそれを待っていたかのように飛び跳ねる。さすが秋田犬だ。
私もそれを追うようにして走る。私が走るとアキは逃げる。また追いかけると逃げる。
それが霜が降りた朝の行事になっている。



そんな時季,糀作りが始まる。
2,3日掛けて醗酵させ、21日には味噌造り,22日にはお餅搗きになる。
それと並行して、キムチ,蕪寿司がある。
浅漬けの沢庵,野沢菜漬け、日の菜漬けなど冬の漬け物が並ぶ。
さて、おいしくなるだろうか。

そんな最中,風邪を引いてしまった。
私の風邪は熱が出ず、頭痛となって現れる。
どうやら明日には復帰できるだろう。
ほんとうは、寝てもいられないのに、ぐだぐだと炬燵守をしている。
今、鶏の餌やりと薪のお風呂の当番なのだが、それらを家人にしてもらっている。
さてさて、動き出そう!



これは霜でなく、花でもなく、冬の華。










冬の虹

2019-12-08 21:43:22 | 自然の不思議

晩秋はもう遠くなり一気に冬になった。
夜中の2時頃屋根から何か落ちる音で目が覚めた。
「もしや、雪?」
朝になると畑は一面の雪に覆われ、樹々は白いこうべを垂れていた。
首をマフラーで巻き,ズボンの上にスカートを履いた。まるで縄文土器の服装だ。

夕方、「おーい、虹だぞ!」その声で慌てて外に飛び出した。
夕日は赤茶けた樹々の上を輝かせ、その上に薄い虹を掛けた。
いつもだと11月の風景が12月になってようやく見れた。
音もしないほどの小雨が虹となって空を染めた。
それはようやくカメラに納まるほどの色と時間でほどなく消え去った。



見えるかな?

今日,ここから1時間半,金沢と小矢部の境まで赴き、娘婿達のジャズを聴きにいった。
ピアノ,ギター、トランペット、ベース、そしてドラム,これだけ揃っての生演奏はなかなか聴けない。
それぞれがそれなりの音を奏で、それが重なり合い、連なり、呼吸を合わせ、やはりジャズはおもしろい。
普段のお付き合いで見せる表情とはまた違った、真剣で、楽しそうな、そんな彼らを見るのもおもしろかった。
人は、自分の本領を発揮した時は、とても魅力的になるのだろう。



その前日来られた来客を迎えて、おでん、シャパードパイ,白菜のお好み焼き、そしてお刺身。
それとおみやげのパンチェッタ,2週間かけて作ったとか肝いりの1品です。
後で聞くと、夜中の2時頃まで盛り上がっていたとか。
彼らも一緒にライブに出向き、ジャズを堪能したようです。でも一人は、二日酔いでようやく後半のみ聴けたようです。













晩秋の日々

2019-12-03 21:35:33 | 旅行

ジャズと猫の日々を書くつもりだったが、そのお留守番から帰り,2日間を野沢菜と日野菜の漬け物の準備をして29日は京都に旅立った。
それは全くそれまでの9日間と異なり移動,行動の3日間となった。
友人の名張のギャラリーまで足を運び、夜は京都で「ゴッホとヘレーネの森」の映画。
仁和寺の観音堂の国宝の千手観音を参詣し,ターミナル京都のギャラリーで日常曼荼羅の展覧会、そして「真実」の映画。

それは当初計画していたものもあったが、偶然と言うか縁と言うのか繋がりなのかおもしろい展開になった。
名張のギャラリーで見つけたパンフレットの導きで曼荼羅展を見ることができたし、最終日と言うことで作家の方ともお話が出来た。
原田マハの本を読んだところにゴッホの映画も見ることができた。

私の中で求めていたのが形となって目の前に現れたのか、単に運が良かったと言うことか。
でも、初めには動く、自ら行動しないと得られないことだと思う。
でも、動くことばかりが決して出逢いのきっかけとも限らない。
猫とお留守番,動けない状況だからこそ出逢えることもある。
日がなジャズを流し,猫をいつも気にしていた1日、それもまた優雅で貴重な時間とも言える。





そして、いつもの晩秋の日常が始まった。
今日は野沢菜を瓶に浸けた。留守をしていた時間で葉っぱが黄色くなって捨てざるを得ないものが出てしまった。
大根の浅漬けもいつもよりうまくいかなかった。
やはり留守をしていてチェックができなかったからだ。
いいことも、予定以上の収穫も、また怠った結果も含めて、これが日常ということだろう。



これは我が家に猫です。
娘のところの猫は、フォレスとキャットと言うのか、ふっわふわのもっふもふ,残縁ながら,写真がありません。
いつかお見せしたいと思います。