8月26日は3男の24の誕生日。家族6人のうち4人までが冬に集中している中,長男は5月,二人に共通しているのは、畑や人の出入りがあって忙しい時で、つい忘れてしまい二人から顰蹙を買ってしまった苦い思い出がある。
かつてここは、5世帯、多い時で30人近い人数で3食を母親5人が交替で典座をし、みんなで一緒に食べていた。
この奥能登の龍昌寺に来て私の生活は一変した。私が小さい頃、子煩悩の父は勤めの帰りにケーキを携えて帰宅して私たちを喜ばせた。母もけして豪華なものではなかったがお赤飯などで祝ってくれた。そんな生活を誰よりも寂しがったのは父だった。
そこに畑尾一家が引っ越してきた。「明日は娘の誕生日だからごはんはいりません。」と自分の家でお祝いをしていた。
その一言に私は衝撃を受けた。僧堂生活,共同生活だから母としての役割は許されないと自分に言い聞かせていた。ストイックまでにここに合わせていた自分がその一言で融解と言うか、気抜けしたことを覚えている。
上の子供らが中学生になり,帰りが8時を回り下の子等との時間的な問題が出てきた。また成長期に入り食欲おう盛になりそれに応じてお肉も欲しがるようになり、各自の家でごはんを母親が作ることになった。ようやく母親らしいお料理や誕生日のお祝いが出来たのは、ここに来てすでに10数年が経っていた。
私のお料理開幕である。誕生日にはケーキを焼き,自分が育てた野菜を中心に本人の好きなものを作る。多分その当人より母である自分の方が喜んでいたかもしれない。
子供らも高校を出るとここからも出て行った。それからは誕生日の電話コール。電話口で家族みんなで「ハッピーバースデイ」の歌を聴かせる。それが我が家の誕生日。
「鹿,お誕生日おめでとう!あなたの夢に向って、今は走りなさい!一つのステップに上り詰めたら、止まって考え、また次のステップに登って下さい。」老婆心ながら,呑み過ぎ,睡眠不足にご注意を!



