よろみ村くらし暦

奥能登の禅寺での山暮らし。野菜作りと藍染め,柿渋染め,墨染めのくらし暦。来山者への野菜中心のお料理が何よりのおもてなし。

犬の時間

2015-02-27 10:35:21 | 自然の不思議

ハナを見ていると、体内時計がきちんと働いているとしか思えない。
私は一応目覚ましを掛けるが、大概それ以前に目が覚める。
ハナは夜7時半頃には廊下から寝床に移り、そこで眠る。
そして、朝の6時前にゴソゴソと動き出し、「くいん、くいん。」と私に外に出たいとサインを送ってくる。

冬の間、娘が2階にいることもあり、私は犬のハナと同じ部屋に寝ている。かつてここは母がいた部屋だ。
大きさは6畳,唯一ここだけが外と接触していないので隙き間風もワンクッション置かれるが、実は一番玄関に近く、ハナが出入りする度に開けたり閉めたりしないと一番寒い部屋と言うことになる。

今朝のことである。居間の柱時計が五つ鳴った。ベッドのスタンドを点けて時間を見ると6時を指していた。
ゼンマイ時計も止まる頃は音の間隔も長いのでてっきり時計がひとつ鳴らないと思ってしまった。
ゴソゴソ起き上げるとハナも起き出し外に出たいと催促した。
いつもなら大概はハナが先に起きて私を起こすのだが、今朝は逆だった。
しかし不思議に今日はすぐ帰ってきて部屋に入れてくれという。
そして6時過ぎ、いつものように外に出たがり、6時45分,いつも通り隣の中学生と一緒に出掛けてしまった。

台所の電気とストーブを点け、居間の薪ストーブに火を点け電気炬燵を入れた。
お弁当を作り朝ごはんを用意して時間を見ると45分、いつもならもう台所に来てもいい時間なので、息子の部屋まで呼びに行った。
ここで私はまだ長針しか見ていない。いつも付けているラジオも番組が違う。まだ私は気付いていなかった。
ごはんを食べている時にカーテンを開け、「今日は雪でも降るのかね、まだ暗いわ。」
眠そうな顔をしながらもくもくと食べる息子,用意されたお弁当を袋に入れ玄関を出た。
「エー。1時間早いよ!」「えーっ、どうりで暗いと思ったら、、、」

夕方になると廊下でそわそわとハナの動きが感じられる。
そして起き上がると障子のガラス越しにこちらに視線を向けてくる。その視線を受けて時計を見ると「4時」。
雨の日以外は、前後5分くらいしか差がない。

犬はGPS機能を持っているとか、途中の匂い付けや風景を覚えているとか言われている。
どうもそれだけでなく、体内時計しかもデジタルとまでは行かなくとも、ほぼ正確に時を刻んでいるとしか思えない。

お弁当を作り出して5年,今までになかったミスをしてしまった。
私の時計のゼンマイが錆付きだしたのだろうか。
それに比べ、犬時計に狂いはないということかな?












散歩のお伴

2015-02-26 14:51:37 | 日記

毎日の散歩のお伴は、愛犬秋田犬のハナである。
朝一緒に行くこともあるが,ハナはここの中学生を待って彼女と一緒に村まで散歩する。
そのハナを迎えに今度は私が村まで散歩する。

日陰になる参道の雪もようやく解け、坂道も早足で歩くこともできるようになった。
下まで行くともう早い春が到着している。
それでも散歩の出で立ちは、黒の長いコートに長い雪靴,セーターを改良した赤い帽子とピンクの防寒手袋,それに顔を手拭いで覆っている。
相手から見ると目しか出ていない。だから不審人物に見られそうなので赤い帽子とピンクの手袋にしてみた。
参道の下は公の道路ななので早いうちから雪解けが始まっていた。
公の道路と言っても往復1、5キロほどの道で会う人はほとんど皆無で、時々車とすれ違うだけなのだ。

解けた道も氷が張って油断すると滑るので慎重に歩く。しかしその注意事項も解除となり時々走ることにしている。
走っては歩き、また走って歩く。
手拭い越しに吸い込む空気も和らいできたので歌を歌うことにした。
ところがメロディーを覚えていても歌詞を完全に暗記しているものの少なさにちょっとショックを受けた。

そこで持ち出したのが子供の小学校時代の歌の本の小冊子を見つけてポケットに忍ばせた。
そこには私が小中学校時代に歌った曲も多く載っていて歌えることに歓喜して歌い出した。
ところが、声が出ない。出てもか細く、そのほとんどは田んぼの雪に吸収される前に手拭いの中で消滅しそうな声しか出なかった。

散歩の目的の中には、特に冬の運動不足があったので体力のことしか頭になかったが声も衰えていることに愕然とした。
いや、歌詞を忘れていると言うことは、加齢の成せる仕業とも言える。
「そうだ,1日に一つ,思い出しながら覚えていこう。」

ハナを連れての帰路,ハナに歌を披露したが全くの反応なし。
ハナはそれどころではない。匂い付けに余念がないのだ。

しかしふと気付いてことがあった。歌を歌うと、鳥の歌声が聞き取れないことだった。
体力維持と歌の練習と鳥のさえずりを同時に楽しむのは無理なことだと知った。
欲張りすぎるのは、程々と言うことらしい。

ハナは匂い付けに真剣だ。でも曲がり角に来ると必ず私を待っていてくれる賢く心やさしいハナなのだ。
このところのハナは高齢のため歩きながら後ろ足がどうしても引きずることが増えた。
ハナと散歩できるだけでも、十分なのに欲張りの自分が恥ずかしかった。
一応、コートのポッケには歌の本が入っている。
コートを脱いだ時、私は散歩のお伴にそれを持つかどうか、私にも分らない。













友-旅3-

2015-02-24 11:13:48 | 旅行

今回の旅で3人の友人に会うことができた。
一人は中学校からの、2人は高校からの友人になる。
一人は半年振り、2人とはかれこれ10数年、もう一人は何年になるのかそのことすら忘れている。

東京に出るのは大概仕事絡みで展覧会か出張料理だったが、今回は時間も取れいつになく会いたいと思った。
これも一種の老化現象なるものかもしれぬ。

半年振りの友人とは母のお葬式にも列席してくれた仲で、身内のことから政治のことまで何でも話せる友でもある。
彼女とは小学校の先生を辞めてから結構行き来して、上京の折りは宿として行かせてもらっている。
後の二人とは久し振りなので会っていない時間の経過が興味深かった。
どちらかと言うと静かだった一人が登山をしていて、しかもモンブランを目指していたとはちょっとびっくりだった。
登山は私で、その登山はここに来た途端に途絶え、彼女はそこから始まっている。
もう一人の彼女は読書家,もう学校の図書館の常連さんだった。
その彼女はフォークダンスと気功をもう長くやっていて、ほぼ指導者的な立場にあるらしい。
これが時間の経過の結果なのだろ。

でも話しているうちに、変ったところとやはりその時の印象が変わらないところもありどこかでほっとした。
人は基本的には変り得ないのか。
その基本的な延長上に今があるのか、お互いの顔には流石に時の流れを感じさせたが、土台はいつまでも生きている風に感じられた。
多分相手も同じ印象を持ったのかも知れない。
では、私はどうだったのか。聞いてみればよかった。

考えると、こうして元気でお互いが会えることは喜ばしいことだ。
ふと亡くなった弟たちのことを思った。

次はいつなのか約束はしていないが、今度4月の銀座三越での展覧会の際に会えるのかも知れない。
あー、そうだ,大丈夫かな。ちょっと不安になってきた。
気持ちを切り替えて、展覧会の準備をしなければ。



3人と新宿伊勢丹でのお昼。韓国料理で実は友人の一人に奢ってもらってしまった。
持つべきは、、、友か?









旅のお伴

2015-02-23 14:24:37 | 旅行

ここから東京に出るにはのと里山空港を利用すれば1時間で行ける。
しかし私はわざわざ金沢から電車を使う。
確かに飛行機は料金が高く付くが5時間の所要時間を考えれば多くの人は飛行機になるだろう。
その理由の一つは車窓からの風景にある。やはり旅は道中を楽しまなくては旅と言えない。
そしてもう一つは車内での読書にある。
私の旅のお伴は「本」、閉じ込められた空間でしか私の読書タイムの確保が難しい。
いつも旅には2,3冊の本をバッグに詰め込む。できるだけ軽くしたいのだが、つい欲が出て全部読めないのにいつも重い鞄を持ち歩いてしまう。
今回は谷崎潤一郎の「陰影礼讃」を携えた。
実は彼の本を今まで読んだことがない。知らないのにどこかで毛嫌いしていた感があり、たまたまラジオでその内容に触れ興味をそそられた。

この時代は昭和の初期、流石に私も産まれていない。
今からしたらだいぶ照明も暗い筈なのだがそれでも谷崎は明る過ぎて陰影の醸し出す明るさ、暗さと言うべきか、そこに失われてゆく影を嘆いている。
普通、影と言うと陰鬱でマイナスのイメージしかない。
しかし彼の文章に依って影が表舞台に立たされると、むしろその影の美しさと儚さが際立ち、ゆらゆらと読むこちらが蝋燭の明かりに炙り出され同じ時間と空間にいるような錯覚さえ覚えた。
今の時代はLEDになった。ますますこの世から影がなくなってしまった。いや、むしろ影は私たちの見えないところに追いやられ、深い不可解な闇に葬られているのではないかとさえ思う。
陰翳と書かれた影は仄の暗く、まだ人と密接な関係を持ったぬくもりが感じられる。
この人との営みによって作り出された翳を失いたくないと思った。

帰りはたまたま書店で見つけた「吉野宏詩集」。
彼は2014年に亡くなった詩人で、今は「祝婚歌」や「夕焼け」で知られている。
そこで私は彼の瑞々しい感性と正直さに触れた。
私もいくつか詩集を手にしたことはあるが,どれもその言葉は自分から遠く、装飾的だったり、象徴的だったり、過激だったりして付いていけないものが多かった。
それを読んだ時、自分に素直に言葉を出してゆけばいいのだと安心と勇気をもらった気がした。

旅は自分を自分から切り離してくれる。
また日常が始まった。
どちらも自分に違いないが、鳥瞰図的に俯瞰させてくれる旅は、やはりおもしろい。



本堂と凍った雪の上にいる私の影。









都会と田舎

2015-02-22 15:16:57 | 旅行

東京へは行ったのは2年振りだろうか。
私は上越新幹線の中にいた。
最初ビルの谷間をすり抜け、しばらくして地面がひしめく家で覆われ、長いトンネルを3つ出るとそこにはずしりと白い地面が横たわっていた。
そこでようやく大きく息ができた気がした。

用事があった近くの、今回初めて18階のビルYHで泊った。
そのビルを見上げた途端私は家を遠く離れたことを感じた。
そしてそのビルから見下ろした途端,私はとんでもにところに来たことを知った。
高所恐怖症なのか地震恐怖症なのか、そこはもう平常心を保つことのできない。

独身時代私は3000メートル級の山を登っていた。
山は自らの足で地を踏み登頂していたからか、大地に抱かれるやすらぎとおおらかで美しい自然に遊ぶことができた。
東京にも月1回は甲府から上京し、その都会の文化文明を享受しおもしろく遊んでいた。
しかし今回は人工物で作られた高さにざわざわと私の心は騒ぎっぱなしだった。
人生の半分近くを土と共に暮らしてきたからか、都会のおもしろさが遠くなったと感じた。
私は土から離れられない。
それを知らされた旅だった。