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よろみ村くらし暦

奥能登の禅寺での山暮らし。野菜作りと藍染め,柿渋染め,墨染めのくらし暦。来山者への野菜中心のお料理が何よりのおもてなし。

瑞牆山、金峰山。

2018-04-30 21:59:02 | 自然の不思議

NHKの日本百名山で瑞牆山と金峰山を放映していた。
思わずテレビに近づき見入ってしまった。
私の故郷の山であり、忘れもしない私の記念の山であり、私の青春の始まりの山登りだった。

かれこれ50年と言う歳月が経ったのにも係らず、あの時のことが鮮明に思い出される。
あれほど山の虜になったのにも係らず,この能登に来てから白山しか登っていない。
新しい環境と生活に追われ,今また山が恋しくなっている。

弟二人の死と両親を見送ると、何かふっと自分でも分らなくほど時々虚しさに襲われる。
そんな時、ふっとあの山の風景が蘇り、霧の中をただただ黙々と歩き続けた私がいる。
お花が揺れ、山頂の風に吹かれ、朝日に輝く山々が見えてくる。
大きな大きなものに包まれた私がいた。



この秋友人とヒマラヤトレッキングの予定だが,不安と期待が交錯してる。
歩けるだろうか,歩き続けられるだろうか。
いや、登るのでなく,歩くのだったら大丈夫かな。
地球のてっぺん近くを,この足で歩きたい。
いや、あの懐かしい山々を歩きたい。








春爛漫−2−

2018-04-29 21:07:15 | 日記

暖かくなると出てくるものがある。
いつもはどこにいるのか大体は検討着くが,雨になると目につかない。
単に視界に入って来るだけでなく,そのものが放つ異臭は耐えられない。

その形が龜に似ているから、カメムシと名付けられている。
数が少ないときはペットボトルで捕獲するが,ガラス戸にびっしり集まっていると、とても追いつかない。



この写真だと分らないかな?

連休に3泊4日で現成公案の勉強会があり20人ほどが来られる。
その準備に毎日追われている。
その一つに布団干しがある。
今日は布団干し日和となり宿坊の屋根に布団、毛布、座布を干した。
干し上がった布団は,重さは半分、体積は2倍に膨れ上がった。



お陽さまのエネルギーには毎春驚かされる。
野菜の種まき用に建てられたビニールハウス内はもう真夏どころか砂漠並みの暑さになる。
種まきと準備のお掃除や部屋割り、買い物、献立などで1日フル回転。
だから,夜はもう眠くてこっくりこっくり。
さてさて,落ち度がにように,明日も続く。



少しづつ緑が食卓に並ぶ。










春爛漫

2018-04-22 21:44:51 | 日記

よろみに縁ができた中国の方のご招待で19、20日と京都に三男と行ってきた。
これから始める料理教室のお手伝いをとのお話だった。
まだ何も具体的になっていないので,山の物とも海の物とも分らない。
用意された旅館は一般庶民の泊れるようなところではなく,お庭から室らいから季節に合わせ、そのおもてなしも何もかも初めてのものだった。
何か場違いのような,慣れない者には新鮮だったものの,やはり落ち着かないのかな。



帰山すると、与呂見は春爛漫、桃、枝垂れ桜、梨、木蓮、タムシバ、アオダモ、菫、水仙が一斉に咲いていた。
冬の真っ白い世界もいいが,この淡いピンクに包まれるとちょっとほろ酔い気分になる。



鳥のさえずりの数も増え,今日はあのぷっくりした丸花蜂も飛んでいた。
そこまでは良かったが、窓にはカメムシがカメムシ自身でカメムシと書かれたようにびっしり張り付いていた。
今日だけで,50匹位は捕獲しただろうか。
下手に触るとあの匂いにやられるので,もっぱら私はペットボトルでそっと近づけてぽとりと中に入れる。
だんだんと上手になってきたみたい。
取っても取っても一向にいなくなる気配はない。

そう言えば,まだ鶯の声を聞いていない。
アキには,ダニが付き始めた。














片付け−4−

2018-04-15 11:11:53 | 日記

片付けも終わりが見えてきた。
藍小屋を片付け、後は物置をすれば大体終わる。今年の春の片付けは畳替えがあって大掃除になってしまった。
春の畑仕事の種蒔きも始まり動きっぱなしの日々も,今日は久し振りに炬燵に座っている。

片付けの楽しいのは,思いがけない見付け物があること。
大事だからといつもと違うところにしまって忘れていた物がひょいっと出てくる。
何か得をした気分になる。

畳替えで思い切った決断もできた。
数年使わなかった物、普段の生活になくても支障がないも捨てることができた。



ビフォアー



アフター

この片付けでこの私が良くも悪くもよーく見えた。
もったいないが高じて捨てられない症候群になっていたこと。
消費より生産型症候群に陥り食べきれない野菜や山菜の保存が溜まってきてしまった。
また布類のリメイク病に患っていたこと。
時間のことがすっかり抜け落ちていたことに気付いた。
何でも感でもという私の時期は過ぎたのだと自覚せざるをえない。

そこに在った物がなくなって,できたのは何もないと言う空間、その空間が広がってそこにきれいな空気が流れてきた。
すると,ゆったりとゆっくりと深呼吸している自分がいる。
また,何か新しく始まる、わくわくしている私がいる。



甲府から持ってきた椅子の底が抜け落ち,住職と長男で直して蘇った椅子。











片付け−3−

2018-04-11 21:46:07 | 日記

ここで問題が出てきた。
ほんとうは,今に始まったことではないが,目を瞑ってきたのを娘に指摘された。

片付けると言うことは,いらない物を処分することでもある。
つまり,ゴミとして捨てることにもなる。
それは,使わなくなった、ことでもあり、使えなくなったものではない。
私は不用になっても,誰かにとっては使えるし、必要な物でもあるかもしれない。

捨てる時、どこかで申し訳ない気持ちが残る。
物はなくなってすっきりしても,こころは決してすっきりしない。
後味の悪さが付き纏う。
それで捨てられずに今までいたのだが,このままでは再利用の当てもなく,仕方なくゴミとして捨てることになる。
母の衣類はデイサービスのところで喜んで引き取ってくれ、着れる物は私が着ているので気分はいい。

最近は買う物はないが,若い頃の衣類がそのまま残っている。
ほとんどの物は,布を買いそれを仕立ててもらった物だ。
体型が変わらないのでそのまま着れる,でも生活が違い過ぎて,もう着る機会がない。
娘は私より10センチ以上も高く,着ることはない。
着物と違ってリフォームも難しい。
さて、どうしよう!?
まだ結論がでない。



若いときは,登山の時以外はスカートだった,そのときの物。
まだ履けるけれど、、、。



ミニスカートの時代のもの。