よろみ村くらし暦

奥能登の禅寺での山暮らし。野菜作りと藍染め,柿渋染め,墨染めのくらし暦。来山者への野菜中心のお料理が何よりのおもてなし。

春を味わう

2022-03-30 20:43:00 | グルメ

今日も朝の散歩がてら蕗の薹を摘んできた。
ようやく雪が解け、茶色の枯れ葉の下から柔らかい緑の蕗の薹が顔を覗かせる。
春の山菜の初めが蕗の薹になる。
私はこれを蕗味噌と佃煮にし、少し大きめのものや花が咲き出したのは天ぷらになる。



これからが実は一番自家製の食べ物が乏しくなる季節。
冬は大根、白菜、芋類など収穫したものがあるが、この時期になると食べきってなくなる。
雪が消えた畑には食べるものはなく、これから野菜の種蒔きになる。
野菜が食べられるまで山菜に頼るしかない。
5月の連休に勉強会が開かれ、それに来られる20人ほどの人たちの胃袋を満たすのに山菜中心の献立になる。
そこで山菜を集め調理して冷凍する。
多くの山菜は苦味が伴う。体を冬から目覚めさせるためと言われている。
その苦味を損なわずに生かすのがコツになる。
私の蕗のとうの佃煮は二回茹でこぼし、その後塩と醤油と鰹を入れ、ふわっと煮立てて冷まし、それを二回ほど繰り返す。
これは佃煮とは言えないが、このほのかな苦味と緑が気に入っている。
そもそも私は煮物に砂糖や味醂を使わない、そのものの味を味わう。



左がイワシ、右は切り干し大根

この時季、能登のお店に艶々のイワシが並ぶ。しかも20匹で二百円もしない。
大きいものはフライや塩焼きに、金沢では茹でて酢と生姜とお醤油で食べたと聞く。
あまり小さいと漁獲量に影響が出ないかと心配になり、またあまりの安さに申し訳ない気がしてしまう。
これでいいのかなと思いながらも、噛むほどに油が口に広がり、そんな疑問も美味しさに流されてしまう。






春の中へ

2022-03-27 21:46:14 | 旅行

ユキは三回のお産で15匹の子猫を産んだ。
友人を通して15匹全部の貰い手があり、今もそれぞれのところで可愛がられている。
その中で2匹をもらってくれた人から、猫のために家をリフォームしたので見に来て欲しいと言われていて行ってきた。

その人の名前が愛子さん、猫愛はとても熱い。
我が家にもユキの子がいるが、大きさは2倍の6キロほど、環境や勤めの関係で家から出すことができないので猫用の遊び道具、ジャンプ台、階段の下のトイレ部屋、出入り口など整っていた。
寝る時は顔の右と左に2匹の猫が寄り添うほどの可愛がり様、教育も犬並みでそれに応じて猫も育っている。
私を覚えているのか、夜は私の布団の上にも来てくれた。



我が家のユキとテト カメラを忘れたので。

家はそれだけではない。リビングからキッチンから全てがすっきりして合理的で温かみもあり美しい。
食事も色とりどりの野菜中心で器も素敵、もちろん美味しく、食べながら喋りながら楽しい時間を過ごさせてもらった。

翌日には私の希望で中谷宇吉郎の雪の科学館を訪れた。
私のところは輪島のチベットと言われる寒くて山の中、そこの小松は雲雀が囀り、雪のない畑には菜の花やハクモクレンも咲いていた。
春の中に私は厚手のセーターとコートを着ていた。さすがにそんな格好の人はいない。
でも、雪の科学館に行ったことで少し季節を戻すことができた。
なぜ雪の結晶ができるのか、なぜそれが六角形なのか、実験を交えての話は興味深かった。
その科学館は六角形、そのはるか前方には雪の白山が霞んで見えていた。



我が家の雪割草とクリスマスローズ

翌日から私は台所の整理にかかった。
冬の6時からのお弁当作りには毛糸の帽子、三枚重ねの靴下、そして防寒用の手袋をしてのごはん作り。
それもようやく外せ、夜はストーブなしでいられるようになった。
私の春一番はキッチンの整理から始まった。
一歩外に出ると何かと刺激になり、学ぶこともでき、私の春が始まった。










繕う

2022-03-23 20:35:27 | 日記

私の母は縫い物が得意で、小さい頃の洋服を縫って着せてくれた。
ここに来てからも孫たちのもや作務衣を何着も縫ってくれた。
私にはそんな技術はないが編み物や特に繕い物はなぜか面白く、見つけてしている。

繕いとは、よく着たものや履いたものの綻びや穴を修繕してまた再利用できるようにすること。
何が面白いかと言うと、過去と今を繋ぎ合わせることなのかもしれない。
過去を過去に留めず、今に生かす仕事。その根底には勿体無いと言う気持ちが大きい。
繕うのには私なりの美学?がある。
どんな布や糸を使うか、色、布地の厚さ、丈夫さなどを見極め、繕うことで美しさも伴わないとおもしろくない。



帽子は50年前のスキー帽子とセーターのタートルネックで作った帽子

金継ぎは割れた茶碗を修復する技術、金継ぎをすることで再利用されるだけでなく、より美しさが増す。
その美しさは見事で、むしろ価値が高まる。
茶碗の貫入に茶渋が入ることを中国では茶碗を育てると言うらしい。

繕いも命を継ぎ育ててゆく行為かもしれない。
手の温もりが再び命を蘇らせる。
「おもしろいね。」「カッコウいいね。」と言われた。

綻びた関係を修復する手立てはないのだろうか。
国と国を糸と針で縫い合わせて心を通わせる。
そんな糸と針が欲しい。

あいたくて ききたくて 旅にでる

2022-03-18 20:00:39 | 日記

これは小野京子さんの民話収集の本のタイトル。
たまたま見たテレビで小野さんを知った。
特に民話に興味があった訳ではないが、彼女の人柄、熱意、そしてその声の柔らかさに何か心惹かれるものがあった。
内容も知らずに買って読み進めると、今まで知っていた民話、昔話が単なるお話でないことに気付かされた。
そこには日本人の道徳観が土着的な暮らし、日本的な家族制度、村組織が大きく関わっていた。
また危険を回避するための知恵や鬼、魔物として宗教的に逃れる話も出てくる。
それらを自らの旅で実際に人と会い収集した。
そこから小野さんは日本人の土台となっていると語っている。
同じ話も人や土地によって微妙に違っている。出会う人で会う人が口々に「これは、ほんとうだよ。」と念を押していた。
これが事実でなくても、嘘をついている訳ではない。その人の真剣さが伝わってくる。



民話は話す人と聞く人がいて初めて成り立つと言う。
つまり、本からでなく、祖父、祖父母、曽祖父、曽祖母から聞き伝えられたもの。
日本昔ばなしもこれを読んで身近で血が通った生きた物語となった。

小野さんは88歳になるだろうか。民話に向き合う真摯でかつ行動的な姿勢にただただ頭が下がる。
これを一人でも多くの人に伝えたいと今も行動している。
人は何をしてきたのか、何を見てきたのか、何を大切にしてきたのか、教えてくれる。
そしてこれから学ぶべきもの、それぞれのほんとうが違っている、それでいいのかもしれない。
時に悲しく、時に苦しく、時に楽しい、民話の世界。



この冬はいろいろな本によって今までにない世界が堪能できた。
雪解けが始まり、私のブックタイムも消えてゆく。











冬の発酵食

2022-03-14 20:15:30 | グルメ

急に春めいて、雪が溶け出し積雪が3、40センチとなり、木の下は土が見えてきた。
山の斜面の南側にはもう雪はなく、北側でも木の周りも土が見える。

例年、年末に発酵食である漬物を幾つか作る。
多い時で9種類、今年は白菜の塩漬け、沢庵の浅漬け、石川に来てから作り出した蕪寿司、そしてキムチ。
今年は野沢菜も日野菜も虫に食べられ、漬けることができなかった。
長く食べ続けられ、来客にも食べてもらうようにと1度に大量に漬け込む。



しかし三月となり、そのほとんどがなくなった。
私の漬物は塩が少ないため長期保存はできない。来客にお裾分けをしたりするので、長くてもこの時期で終わる。
漬物は最初塩っぽくても時間と共に発酵が進み旨味が出て、最後は酸味となって終わる。
その時期時期のおいしさを楽しむことができる。



今年、一つの発見があった。
蕪が取れず、大根で漬けた大根寿司が終わり、その残った液に干した白菜を漬けたところ思わぬ美味しい白菜漬けになった。
大根寿司には塩鯖、人参、柚子、糀、お米、唐辛子などが入っているのでまだそのエキスが残っている。

私の漬物の多くはレシピはない。長年していると記憶というより、このくらい、と言う勘でしてしまう。
ほとんど失敗はないが、やはり口にするまではちょっと心配。
「美味しいよ。」と言われて、やっと安心。



今年作った豆腐よう、これも評判は上々でした。

冬は大根と白菜に助けられて春を迎える。
いよいよ私の漬物も終わって、春になる。