よろみ村くらし暦

奥能登の禅寺での山暮らし。野菜作りと藍染め,柿渋染め,墨染めのくらし暦。来山者への野菜中心のお料理が何よりのおもてなし。

ある冬の一日

2021-02-23 11:12:18 | 日記

やはり、冬には雪がないと冬とは言えない。
北陸に来て、つくづくそれを思う。
私と同じ関東の友人は大変でしょうと気遣ってくれるが、今はそれを楽しんでいる。

そんな北陸、こんな北陸です。
この寒い中、夜釣りに出かけ烏賊をいっぱい釣ったからといっぱい食べることができる。
そのイカの甘く柔らかいこと、これは全く店頭で買ってくるのと違う。
また友人から大きな魚1匹を早朝、ドカンと届けてくれる。
ますます舌が肥えてしまう、いいのかどうか、、、。

炬燵から雪の降る様を見ているだけで満足してしまう。
その風景に赤い山茶花が1、2輪入るだけで絵になる。

この頃朝の6時が明るくなってきた。お弁当作りもちょっとは気分的に楽になった。
雪の風景も枯れ木がほんのりと赤みが差してきた。
雪の上を渡ってくる空気も温度を少しだけ含んできた。
いよいよ春が近い。

いよいよユキはお腹がたっぷり膨らんできた。
今回で3度目、4匹、5匹、今回は何匹だろう。もう流石に、これで終わりですよ。
アキは相変わらず痒そうで、かわいそう。薬も効かないのかな?



息子に頼まれて「ドボン」という漁師が冬に被る防寒用の頭巾を縫った。
外は黒い木綿、中は昔のネルの木綿を使った。
簡単な作りだが、最近のネックヲーマーより気に入っているようだ。
若い頃のスーツが出て来た。いつ着たのか覚えがない。
多分、柄からして特別の時に来たのだろう。
今思うと、こんなの着たのかな?
もう着る事もないだろうから、どうしよう、、。
















鮟鱇鍋とカレーと広島風お好み焼き

2021-02-17 21:36:29 | グルメ

先日の勉強会の夕飯は我が家で初めてのあんこう鍋だった。
いつもなら牡蠣と白子の鍋をしたが、今回は料理人の三男が勉強にとアンコウに挑戦した。
あの黒く平べったい鮟鱇の顔はグロテスクでもあり、愛嬌もあった。
鍋二つを総勢15人が囲んだ。
鍋の中身は白菜、大根、水菜、ネギ、豆腐、白滝、それに豚肉。
さあ、アンコウの切り身と肝を入れます、と声があり一斉に鍋を突いたが、結局それには当たらなかった。
あれは、なんの鍋だったのか、アンコウの味もわからなかった。



カレーはインド通の友人のレシピでここにあるもので香辛料を効かせて作ったものだ。
えのきと人参と生姜、ニンニク、少量の豚肉をじっくり炒め、それにいくつかの香辛料で出来上がった。
いつものルーのくどさもなく、インド風の香りが効いたさっぱりした、でも食べると芳醇な美味しいものに仕上がっていた。

いつものお好み焼きは、野菜に卵と薄力粉と豚肉かイカが入って、それを一緒に混ぜたシンプルと言うか手抜きのようなものだ。
それでもここの野菜を使うとそれだけで美味しく満足のいったお好み焼きになった。
今回はスマホで材料を揃え、手順を踏まえたほぼ完璧のお好み焼きになった。
私にとっては初めての味だったかもしれない。
入れる種類は10に上り、タレからマヨネーズも吟味された懲りよう、美味しくないはずはない。



これはガンド、だったかな。

どうしても主婦の料理と根本的に違ってくる。
たまにはこれもあり、しかも作ってもらえるのがなんともありがたい。
次はいつだろうか、何ができるのだろうか、楽しみだ。
いつもなら材料費が気になるのだが、今回のお好み焼きは一人当たり500円ほどだという。
手間をかけると、お金はかからないのかもしれない。











未来への分岐点

2021-02-15 09:39:42 | 日記

ブログを書くのが久しぶりになってしまった。
この間には、娘と私の誕生日があり、また浄土真宗の佐野明弘さんのお話を聞く勉強会と忙しく書く機会を逃してしまった。



娘が焼いた自分の誕生日のケーキ。

未来への分岐点、これは佐野さんのお話の中に出てきたNHKスペシャルの番組のタイトルだ。
その中で食料問題を取り上げ、「飽食の悪夢」と名付け、今後10年以内に改善しないと今まで以上の多くの飢餓状態に陥りもう戻ることはできないと訴えている。
1回目は水問題、3回目は28日、プラスチックを取り上げるので、ぜひ、見ようと思っている。ぜひ、若い人たちに見てほしい、自分のこととして。
地球規模の視点から見ると、現代は多くの問題に陥っている。
コロナ然り、これからもどんな試練が待ているのか、試練というより人間の欲望が招いた結果なのかもしれない。

その人間の「命」についてお話があった。
聞いている時は分かったつもりでも、自分の言葉に翻訳しようとするとできない。
と言うことは、分かっていないと言うことになる。
私たちは、「命を生きているのでなく、私を生きている。」
その私とは自我意識が働いている私で、命という働きがあなたを生きていると言う。
これを自分の言葉として、自分の身から出て初めて言えるのだろう。
頭でなく、身として、受け取る命。



誕生日、来客となるとどうしてもいつもより豪華になる。
平生とは違うお祝いの日、歓迎の心を食べ物で示す。
一つの習慣であり、培えてきた文化とも言える。



それを辞めようとは思わないが、普段の食習慣を見直すきっかけになった。

勉強会に初めて参加された91歳の農業者の言葉が響いている。
「農業はたくさんの命を殺している。」
この発言にビックっとした。今まで野菜を育て、生かして来たつもりが決してそうではない。
影に隠れた存在が、命があることを、忘れている。
そのものたちによって、他の命が生かされているに気付かされた言葉だった。
私にできることは、ほんの小さなことなのだろうが、この小さいことが集めれば大きなことになる。
最初から大きなことをしようと思うとどこかに歪みが出るだろう。
無理のないことを、持続的にする、これが肝要だと思った。



最近見ることができなかった山繭、楓の枝に小さな命を9個発見し、嬉しくなった。












草画帖

2021-02-04 11:08:02 | 日記

草画帖とは友人の泉井小太郎さんが付けた詩歌の小冊子。
その中には、彼自ら描いた風羅漢さんと俳句、詩などが納められている。
その絵は草の枝や花などを筆にして描かれているのでその線や墨の色合いがなんとも風流。
今回で33回、季節を紙面から感じ取れる。

彼を私は重郎さんと呼ぶ。
彼の言葉には、軽みと重みと豊かさを感じる。
単に博識や語彙の多さではない。確かに豊富で深いのだが、何よりも言葉が本人と密着している。
つまり、言葉が浮いていないのは感性を伴っているからだろう。
身から身を通して降りてきた体温を持った生きている言葉、紙の上でも生き続けている、そんな感じがする。



その冊子を開くと、重郎さんの静謐な世界に浸れる。でも決して人を寄せ付けない疎外感はない。
むしろ、私の中でゆるやかにおだやかに発酵して行くような心地になる。

最近は体調を崩したり、ちょっと心配だ。
この続きの世界を私も覗かせてほしい。

草画帖 33 南天号  抜粋

晩年の 星を友とし 冬ごもり
玄い冬の 白い思い 赤い実。
南無南天。小さな実も 小さな星も宇宙に生る。



この写真はここの。

彼のことは「六角文庫」で検索してください。
いろいろな世界を見せてくれます。








ガラスのシャンデリア

2021-02-01 14:11:09 | 自然の不思議

雪によって心が和む、と東京の知人にメールしたところ、訝しがられてしまった。
北陸の冬を人生の半分を過ごしてきた実感だ。
私の故郷の甲府は冬でも快晴の天候が続く。

大雪の後、しばらく穏やかな日が続き、積もった雪がだれて、木々の雪もなく、枯れ枝が何かつまらなそうに立っている。
雪の合間、参道が凍ってないのを確かめ久しぶりに散歩をした。
枯れ木の山肌にいくつも折れた木が見られた。
白い木肌をむき出しにして、枝は逆ブイの字型に折れている。
その下枝は積もった雪に埋まり身動きができない。



三年前の大雪で甲府から持ってきた花海棠の枝が折れ、その枝を幹に戻して布で巻いて応急手当てをした。
幸いその木は命を繋ぎ、春になると今もピンクの花を咲かせてくれる。

雑木の中の木々を救うことは難しい。
木の中でも広葉樹は確かに枝が折れているが、そのほとんどは本幹はそのまま立っていた。
しかし杉などの針葉樹は根本からバッサリ倒れている。
やはり広葉樹は根を深く張り重い大雪にも耐えられる作りになっている。
見た目スマートな杉は大雪、大雨、大風などには弱いのだ。
自然災害も、針葉樹の植林などによる被害が読み取れる。



まだ雪に埋もれている幾つかの木々、雪が解けてみないと状況が掴めないが、どうか元気に再生してほしいと願っている。
今朝はまた冷えて木々は霧氷になった。
氷菓子のような、ガラスのシャンデリアのような、美味しそうで、宮殿のようで、心が和むと言うより、心躍らされた朝だった。