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よろみ村くらし暦

奥能登の禅寺での山暮らし。野菜作りと藍染め,柿渋染め,墨染めのくらし暦。来山者への野菜中心のお料理が何よりのおもてなし。

台所の日-柚子仕事ー

2015-11-29 19:43:27 | グルメ

先日から気になっていた柚子の加工にとりかかった。

今年、思いがけずに京都の展覧会の時に柚子を物々交換で手に入れることができた。
それを皮切りに,あちこちから柚子を戴き,柑橘系が大好きな私は願ったり叶ったりだった。
でも,青柚子でないためにいわゆるの柚子こしょうは作れなかった。

一つ目は,柚子ポン酢。
初めてなので本と通り、柚子の汁150ミリ、みかん汁90、塩大さじ2杯を醤油200、と鰹節30グラム、昆布15センチを入れ,3日ほど馴染むのを待っている。



二つ目は、その柚子の皮をフードプロセッサーにかけそれに塩を入れて保存用に作った。



三つ目は赤唐辛子の粉と柿酢を入れ,私流の柚子こしょう、柚子唐辛子酢を作った。
今日のお昼、来客があり、おうどんにそれをお出ししたところ、好評だった。
多分、柿酢でなく,柚子の汁の方がもっと柚子の香りと味がしてきっとおいしくなる。



実は我が家でも二つの柚子の鉢があり、今年は10個ほどなった。
それを土植えにしたいが,多分雪で折れてしまうしまうだろう。

その土地その土地の産物があり、その人その人の作り方がある。
できるだけ、そのものを使って,自分なりに作る。
おいしければ、それでいい。

一昨日の朝、ハナの散歩から帰って来た。
参道を上り詰めたその時、この龍昌寺の上に虹が架かっていた。
それは主虹と副虹、濃い虹と薄い虹、その二重の虹はスーニーとハナクロのように見えた。
私とハナがお寺に近づく頃,虹は消えて行った。
天に昇ったスーニーとハナクロに見えた。















ありがとう、ハナクロ。

2015-11-27 20:45:24 | 旅行

また、ハナクロのことを書いてしまう。
これで、一応やめようと思っている。

僧堂にいる長男に弱って来たハナクロのことをはがきに書いたところ、ハナクロへの手紙が届いた。

     ハナクロへ

気付けば あなたが生まれて
もう20年近く経つのですね。

君の顔は ほんとうに なんとも
安心させる表情をもっているね。
君のおかげでみんながどれほど
笑顔になっただろうか。

ハナが来て、君とスーニーにはずいぶん
せまい思いをさせてしまったね。
君はうちにいて幸せだったかな
多分幸せだろう
だってみんな君のことが好きだったからね。
来年の春にはいったんうちに帰るけど
また会えるかな。

ハナクロ、ありがとう。

以上、長男の手紙から

補足説明をすると、ハナクロは雌猫です。
残ったのがハナクロで,まだ飼うつもりがなかったので鼻が黒いのがハナクロ,鼻が白いのがハナシロと仮に付けた付けたのがそのまま名前になった。
そのハナシロはここの勢力争いに負けて行方が分らなくなった。

スーニーとはハナクロの母親で,とても賢く,狩りも上手で優秀な母親だった。
狭い思いとは,ハナは秋田犬で狩猟犬、そのハナは廊下まで,だから冬は戸で仕切られているが,夏などは境がない。
だから猫たちは夏は緊張を強いられる。

ハナクロの訃報の葉書で知らせたが,それが届く前に書いた手紙になる。
その手紙は,私たち両親へのもので,主に書かれていたのは坐禅のことで,内山老師のことでした。
子供たちの人生の半分以上をハナクロと一緒だったことになる。
もの言わぬ存在、小さな大物、そのハナクロが私たちの与えてくれたものは測り知れない。
きっと、私たちの気付かぬところで,大きな贈り物を受けていると思う。

あの柔らかい毛並み,あの甘えた鳴き声、あの人なつこい顔のハナクロはもういない。

ありがとう、ハナクロ。



この夏の時のハナクロ



ハナ











ハナクロ逝く

2015-11-24 20:38:18 | 日記

11月23日、夜11時、ハナクロは私と娘に看取られながら旅立った。17歳、大往生だった。

20日の夜12時、私は次男が出張先から帰山するのを待っていた。
私が居間を離れたわずかな時間に忽然と姿を消した。
今までほとんど外に出たことのないのに、いつもだと日中はほとんど眠っていたのが眠らなくなり、人の後を追ったり、膝の上に上がりたがり、少しの隙間があると外に出たがっていた。
しかし夜、しかも雨が降り出した。
炬燵の中や2階や庫裡の方を探したがいない。外に出る戸はすべて閉まっていた。
居間と庫裡の間30メートルほどを行ったり来たりしたが姿が見えない。
3回目のその時、庫裡の土間から音がしてその廊下からよたよたとハナクロが歩いて来た。
足は水浸し、背中も濡れている、外に出たとしか思えない。その時思い出した。薪が積み上げられ影になっているところが少し空いていたのだ。
なぜ雨の中、しかも夜出たのだろう。
母親と同じように、森に死に場所を見つけに行ったとしか考えられない。

21日、この日は住職のお兄さんの7回忌で、金沢に親戚1同が集まり、食事会をして泊ることになっていた。
その食事会は蟹尽くしと聞いていた。しかし、その時の私はどうしてもここにハナクロを置いて行くことは考えられなかった。
22日、夜9時を過ぎて、20人全員がここに集合した。
その日の朝からハナクロの鳴き声はなくなり、水もスポイトで辛うじて口に含む程度になった。
寝返りも難しくなり、こちらで動かし上げるようになった。
三男がやせ細ったハナクロと対面した。3男は泣き虫だ。みんながそれぞれの部屋に引き上げると、なきじゃくった。
「もしかして、明日の朝には、もうだめかもしれない。」

23日、辛うじてハナクロは息をしていた。こちらの呼びかけにもほとんど応じられない。
6時40分、娘から電話があった。「どう、ハナクロは?」「生きいるよ。」「帰ろうかな。学校、あるけど。」「悔いのないようにしなさい。」
10時過ぎ、娘から「帰って来ちゃった。」と金沢から電話があった。
お昼過ぎ、娘はみんなと出会うことができ、そのままみんなは金沢に帰って行った。
ハナクロに会うと娘は声をかけ、頬をハナクロの顔に付け、息を吹きかけていた。
これが娘のハナクロへの挨拶だ。それに対してハナクロはわずかに反応したようだ。

夕飯後、ハナクロの目は細くなり、もう何もう映らないようだった。
何度も何度も、二人でストーブの下の暖かいところから、ソファーの上へと移動させながら寒くないようにしながら何度も何度も息をしているか様子を見ていた。
10時頃からだった。息が荒くなり、口から何かを吐き、そのうちにけいれんを起こし、首を反らし、そしてとうとうそのまま動かなくなった。
娘と私はハナクロのことでどの位泣いただろう。ハナクロと声に出しただけで涙があふれた。
娘にとっても家族にとっても17年と言う歳月は大きかった。
いるのが当たり前の家族。ここに居た。この上で眠っていた。ここで食べていた。時々変な声で泣いた、ネズミを見ると逃げ出した変な猫。
毛が柔らかくて、子供らは皆抱くとぐしゅんぐしゅんと鼻水が出て目が痒くなって、それでも抱きたがって。
母親にべったりで、母親が亡くなってからは、今度は人にべったりのあまえんぼの猫。

雨の合間、住職が土を掘りお線香とお花を手向けた。ハナクロは庭先のこちらから見えるところに眠っている。
きっと、母親のスーニーにまた甘えているだろう。
今も目でハナクロを追ってしまう。ハナクロのために戸を少し開けておいてしまう。ハナクロの声が聞こえる。

長男は僧堂で、来れなかったが、次男にも、三男にも、そして娘にも会えて、きっとうれしかっただろう。
娘の帰るのを待って、また行く日を知って、逝った。
なんて家族想いのやさしい猫だったのか。
もっとも幸せな猫だったろう。
私たちも、ほんとうにどれだけハナクロに和まされたことか。「ありがとう、ハナクロ。」



20日のハナクロ。











認知症の猫

2015-11-20 21:52:05 | 日記

今日の夕方のことだった。
ハナは真の猟犬で、ハナクロはほんとうに認知症の猫になっていた。

近頃、眠ってばかりいた猫が、ここ数日ここから30メートルほど離れたお風呂場へよろよろ、ふらふら歩き出し、タイルを舐めている。
そして、私の後を付いてくるようになり、少しの隙間があるとそこから外やハナがいる廊下に出るようになった。
最初、お散歩かなと思ったがその行動を見るとどうも徘徊らしい。
そこに水があるのに、シンクの水を飲んだり、つい2、3日前からトイレも行く途中でしてしまったり、奇妙な行動をするようになった。

そして夕方、私は隣の部屋に行く用事があり、うっかり部屋の障子を開けっ放しにしてしまった。
背後でハナの唸り声がした。振り返るとハナがハナクロを噛んでいた。
私は悲鳴を挙げ「ハナ、ハナ!」と言いながらハナを抑えた。

今まで、けしてハナはハナクロを噛んだことはない。
それはハナクロが生き延びるための唯一の術を与えられた、それが臆病という用心深さだった。
それが外されてしまった。
グレーの瞳にも輝きが失せ、焦点が読み取れない。
ハナクロと言う名は、シャム系で鼻が黒いところから名付けた。

幸いハナによる怪我らしきものはなく、いつもと変らないとろりとした顔をしてごはんを食べた。
ハナクロは17になる。
近頃はめっきり食べる量が少なくなり、骨と皮ばかり、母がよく言っていた「がりがりさん」だ。
先日も点滴をして来たばかりだ。
ハナクロを可愛がっている娘は12月の中頃でないと帰山できない。
その時まで、よろよろ、よたよた、ふらふらでいいから、歩いていてほしい。












手紙

2015-11-19 21:08:08 | 日記

うれしい手紙が届いた。
手紙を戴くだけでうれしいが、この時季にうれしい手紙が数通届いた。
その中の一つは、私の藍染めの師匠からで、お手紙には亡き母への心配りとそれとは別に和紙が入っていた。
それには自ら彫った版画の13仏が中央に位置し、その周りも小さな仏様たちが全面に捺された和紙だった。
その仏さまたちは、岐阜の野仏を彷彿とさせる親しみやすい、それでいて佇まいが凛として思わず手を合わせたくなる。

他には、この展覧会でお会いした人たちで、礼状の対しての礼状で、こちらこそ恐縮してしまった。
この人たちとは、これからもお付き合いさせていただきたいと思っている。

それと「山の手紙舎」からのお手紙。
彼女はこよなく手紙を愛し、お出掛けにはいつもお手紙セットを持参する通。
封筒も気に入った紙で自ら作る。
定期的にお手紙通信を手書きした印刷物で出している。
彼女のパートナーは、ちなみに郵便局にお勤めしている。

写真には載っていないが、今もガリ版印刷のお仕事をしている知人からの展覧会の案内が届いた。
滋賀県東近江市のガリ版伝承館でこの21、22、23日、28、29日に開催している「助田篤郎展」
1字1句、と言うより、一点一画引かれた線が、手の温もりそのままに表現され、何とも言えない味を出している。

手紙って、やっぱり好き!
手紙くらいは万年筆で、いや筆でと思っている。
豆ではないけれど、手紙は止められない。