goo blog サービス終了のお知らせ 

よろみ村くらし暦

奥能登の禅寺での山暮らし。野菜作りと藍染め,柿渋染め,墨染めのくらし暦。来山者への野菜中心のお料理が何よりのおもてなし。

春を見つける

2019-02-28 16:26:08 | 自然の不思議

夜、まだ冬の星座が一面に広がり、真っ白な畑がだんだんと土色になってきた。
まだ早い、いつもより1ヶ月早い。
うれしいと言うより、さみしさを感じてしまう。

その雪が解けた枯葉の下に蕗の薹を見つけた。
きょろきょろしながら参道を下る。
そう、もうけして転ばないと自分にいい聞かせながら。



今日は冷たい雨が降ったが、一昨日などはもうすっかりやわらかな空気になっていた。
家の中には、クリスマスローズ、ボケ、パンジーが咲いている。
そして今日、かつて金沢大学の古典文学の教鞭を執っていた女教授の知人からお見舞いのお菓子や手作りのマーマレードが贈られた。
それと一緒に小さなブーケが届いた。
花束を解いた瞬間、薪ストーブの部屋が梅と寒水仙の香りが広がり一挙に冬から春になった。
その中には私は忘れていたが、私があげたというツルニチニチソウの蕾も入っていた。



私の中では女教授というと近寄り難いと勝手に思っていたが、普段はほがらかでお料理も上手、お花作りも、そして私が不自由だろうとマーマレードまで作ってくださった。その心遣いが、とてもうれしい。

昨日は義弟に身体のケアーをしていただいたり、ここの住人から腕を冷やさないようにとか、何かと心配りもあって、ちょっと落ち込みそうになっている気分を引き上げてもらっている。
ゆっくり、ゆっくりとのアドバイス。
パターリ、パターリ。ネパール語でゆっくりを意味するのだが、合っていたかな?



さあて、春は近い。









牡蠣のフルコース

2019-02-26 17:21:06 | グルメ

考えてみたら、北陸に居ながらにして蟹も牡蠣も食べていないことに気が付き、1度豪勢に牡蠣のフルコースを食べようとなった。
出資者は次男、料理長は長男でコース料理が出来上がった。
一つは、牡蠣ごはん。
生姜を入れて薄味の上品なごはんだった。
残念だったのは私の生姜が焼酎漬けだったことで風味がでなかったこと。
次は、蒸し牡蠣。
これがぷっくり、濃厚。レモンをかけるとその牡蠣の汁を際立たせ何とも贅沢な一品でした。
あまりの濃厚過ぎて、私と次男は2個しか食べられませんでした。
最後はカキフライ。
下処理もされ、揚げ方もカラッとして、中はそんまま、これが冬の味、大満足でした。



これは長男が作った糀と甘酒、お餅、私の3升漬け。

そんなんで、私は何もしなくてお相伴に預かりました。
何とも贅沢な食卓でした。
片付けも作ることもしない日々が続いています。
「いつも作って来たのだから、たまにはゆっくりしておきなよ。」とは主婦の友人たち。
長男からは、そろそろ出て来たら、とお誘いがありました。
少しは手を動かしたらいいよと言う配慮か、少しは手伝いなよ、と言う合図か。
さて、どこまでできるかな?
正直、もう少し甘えさせてほしいな!



薪ストーブで焼いた焼き芋と戴いたお菓子。






私の手

2019-02-25 20:12:39 | 日記

今まで、これが私の手だと意識してみ見てきたことがあっただろうか。
不自由になって初めてわたしの手だと対象化させている。
不器用なロボットを操るように指を曲げてみる、物をそおっと持ってみる。
操作するのは私、操作されているのもわたし。
そのわたしはもう一人の私なのか。
分裂しているのか、いや、客観的にわたしが私を見ているだけのことか。
その動きののろさ、このぎこちない動きの手は、ほんとうに私なのか。

それに比べ、この右手、脳と直結して命令即動作が完璧に成されている。
私の意思がそのまま伝わらない左手、石牟礼道子の書かれた水俣病の患者さんを思い起こさせた。
これが続く辛さを思い遣ると心まで痛む。

ドクターから、痛みがあっても動かさないと動かせなくなりますよ、忠告された。
痛みの峠は越えたのだから、右手同様に復活させるのは私次第。
リハビリがてら初心者になってピアノ練習でもしようかな。
元々下手なのだけれど、これでいい訳ができたことになる。



これはアキの前足の肉球です。
丈夫な手?













贈られた本

2019-02-23 20:12:43 | 日記

怪我をきっかけに友人たちから本を贈っていただいた。
その中に,以前読んだものをもう1度読もうとしたところその本が見つからないと話したことを覚えていてくれていた。
ヘッセの「ガラス玉演戯」だ。記憶ではずっしりとした量と内容だったことだけ。
決して退屈とかでなく,むしろ惹き付けられたことは確かなのだが,その何だったのかを確かめたくて読み直そうとした。
そして今日、ページを開いて唸ってしまった。「これ、続けられるかな?」
いつもより春が早くなりそうで落ち着かない。



そして,息子から「ひざ裏延ばし」ストレッチの本を手渡された。
1日5分、それを毎日続けること。
これはリハビリだけでなく,これからの生活に向けてのメッセージのようです。

そんなんで,周囲の人から何かと気遣ってもらって今の不自由な暮らしを何とか乗り越えられそうです。



友人の作品に囲まれて。









退院

2019-02-21 15:56:45 | 日記

参りました。
日中も本を開いたのは数ページ、時間つぶしはテレビでした。
何しろ眠れない。術語の痛みと他の部位に無理がかかるため筋肉痛になり、また寝返りがうてないことの辛さを知った。
眠れぬ夜の長いこと。こんなにも音と光りに敏感になっていたとは。
何しろ,いつもだと夜は真っ暗で音もない。特に計器類の音、夜中の看護士さんの足音、同室の人の物音などが気になってほとんど眠れぬ4日間。
先生に頼み込んで5日目に退院して来た。先生曰く「あなたは入院は無理のようだから,これを最後にしなさい。」「はい。」

病院は小さな一つのコミュニティーだった。ドクター、ナースは勿論のこと、看護助手、リハビリ、レントゲン、検査技師、掃除、炊事担当、事務などの人たちで成り立っていた。改めてその背後で支えている人たちを間近で見ることができた。
それぞれが責任を果たしているのだが,特に生死に関わる現場なのでその仕事の重大さは想像以上だろう。
その中でもやはり人それぞれで、配膳を担当した人で私の左手の不自由に配慮して薬の袋を切ってくれるなど細かい配慮がありがたかった。
ナースも認知気味の人への言葉掛けや態度など、たいへんなお仕事であることを痛感した。

家に戻ると、いつものように柱時計がカチカチと鳴り、雨だれの音が耳に入って来た。
静かでのどかな変らぬ我が家だった。

また、アキと夕方散歩を始めた。
もう氷はなく,木の根元の雪が解け始めた。
空気はもう春だ。いつもより1ヶ月早い。
もう,転ばないぞと気を張って歩いたら、いつのまにかアキがいなくなっていた。
探してもいない。家にも戻っていない。ようやく帰って来たのは1時間後、心配してしまった。
このブログを左手も使っている。
少しずつ、少しずつ、できるようになっている。うれしい。
友人たちからも励ましのお手紙を戴いたり、、。
うれしいこともありました。