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よろみ村くらし暦

奥能登の禅寺での山暮らし。野菜作りと藍染め,柿渋染め,墨染めのくらし暦。来山者への野菜中心のお料理が何よりのおもてなし。

春の野鳥

2016-03-30 21:09:17 | 自然の不思議

冬前に鳥を見るために双眼鏡を買った。
しかし、猪脅しに鈴を付けて散歩に出るためか、その音に野鳥が逃げてしまった気がしている。
山菜採りの名人から明るい時は心配ない、気配で猪の方が逃げて行くと聞き、鈴を手放した。

春になり、散歩の途中、台所の前、庭の椿の枝などからその鳴き声や姿をよく見るようになった。
季節だけでなく、今まで見なかった鳥がいたり、今までいた鳥の数が減ったり、私の観察では確かなところは分らないが変化しているように思える。
折角手に入れた双眼鏡なのに、持っていない時に限って鳥の鳴き声がしたり、どうもタイミングが合わない。
そのタイミングを逃す原因は私の無知にも依る。

だから、多分が多い。多分、ホウジロ、たぶん、ミヤマホウジロ、黄色い冠を被っていたので間違いないだろうが今まで見たことがない。
さすがにうぐいすの鳴き声は分るが、その姿はなかなか見られない。
そう言えば、いつもなら聞こえた梟の鳴き声を今年は聞かなかった気がする。

夕方、椿の枝でヒヨドリが啼いていた。そのうるさいこと、しかもなかなか啼き止まない。
そこで「うるさいの。」ヴィー、ビー、「うるさいよ。」「ビービー」私の声に合わせるように啼き続ける。「もうやめ!」
廊下の戸を開けて応酬してもしばらくは遊ばれてしまった。
残念ながら、申し訳ないけれど、あまり好きになれません。

星座はしばらくはそこに鎮座してくれるので名前も調べられるが、鳥は難しい。
と言っても、ここで見られるのは覚えられない数ではない。
手元の図鑑では無理なので、今度は双眼鏡でなく本と手に入れなければならないかな。
ネットでは、鳴き声、その前に予備知識がないと無理のようだ。
名前を知ると,何かそれだけで知ったつもりになってしまうが、お近づきの印に先ず、名前から。
ミヤマホウジロを撮ったつもりですが、写真は掲載できません。残念1



ずうーっと空き家だったご近所の家と蔵が取り壊されてしまった。
この朽ちた姿が、何とも言えない佇まいだったのに、残念です。











春の片付け-衣類ー

2016-03-28 21:22:12 | 日記

陽が一日一日長くなり、私が目覚める時間の朝が明るくなった。
それと並行して朝の寒さが遠のき、ストーブを使わないこともでてきた。
冬籠りの炬燵から抜け出し、足を伸ばし背筋もピンと張り日中はほとんど動き回っている。

そこで、先ずセーター類の整理から始まる。
以前、クリーニング代を節約するためにセーターは家で手洗いをしていた。
一応、洗剤や水温を考慮したつもりだったが、折角の手編みのセーターが縮んでしまった。
それ以来、大事なセーターはクリーニングに任せることにした。
ウールのものは、防虫剤を入れビニール袋に入れて保管する。

今、問題なのが娘のものとおばあちゃんのもの。
娘のものは勝手に捨てられない。セーター類は嵩張って場所取りだ。
そしてお母さんのものがまだ大きな段ボールにはいったままになっている。
その中には私もサイズと嗜好が同じ物がある。それだけを手元に残し、他はデイサービスの施設に持って行こう。

それにしても、もう少し減らすことはできないだろうか。
特に私の手編みのセーターは中細毛糸を3、4本取りして編んだものが多く、ずっしりと重く、嵩張る。
子供たちの小さな時の手編みのものなども捨てられない。
毎年、毎年「あーぁ、、、。」と言いつつ片付けが片つかずに終わる。

さて、次の片付けは、、春の畑仕事が忙しくならないうちに片付けねば。
それより、写真の取り込み用のコードがまだ見つからない。
私が留守をして帰って来たらなくなっていたのだが、誰が?どこへ?片付けてしまったのだろう。
それとも、私自身の記憶違いか?忘れっぽくなってしまったのか?認知症的なものなのか、、?



ハナの足元の写真の犬は亡くなったハナの子のムーン。






メニューを考える。ー2-

2016-03-27 14:30:48 | グルメ

先週と今週、私が出先でごはんを作ったり、ここにお客様をお迎えして作ったり、5食分、総勢約40人分を作ったことになる。
その3食はお昼、そしてお泊りの夜と朝になった。

何がたいへんかと言うと,メニューを決めること、特にこの季節は野菜がない。
今回は2歳の子と中学生、外人さんがいる。このことも考慮して考える。
買えば済むことなのだが、できるだけここにあるもので作りたい。
それがここの、私のやり方なのでそれを通したい。
ただ作ればいいと言うのではない。おいしく作るのは勿論だが、お金を戴くと言うになるといつもと異なる。
戴く金額に見合ったものなのか、ここの持ち味は何なのかといつになくなかなか決まらなかった。

あるのは、卵、大根、白菜、ジャガイモ、里芋、長ネギ、ようやく出て来た蕗の薹、小さい椎茸、パセリ、冷凍のピーマン、グリンピース。
買った牛蒡、タマネギ、人参、トマト。
他は魚類とお肉と若布、お豆腐。

昨夜のメニュー、蕗の薹の煮物、蕗の薹味噌、最後のキムチ、風呂吹き大根、鯵の南蛮漬け、鰯のぬたとふくらぎの刺身、卵豆腐、シェパードパイ、豚肉と大根と若布のしゃぶしゃぶ。
それに漬け物と味噌汁とごはん。
決まると後は準備にかかるだけ。と言っても11人分を一人で作るのだし、メニューによっては前日から用意が必要になってくる。
ばたばたして、気付けば、折角干したメギスと昆布締めにした菜の花を忘れた。

その中で特においしかったのは卵豆腐みたいだった。ここの鶏さんに助けられ今朝も卵焼きが好評だった。
今まで卵豆腐をおいしいと思ったことがなかったと言う人もこれが卵豆腐なのかと驚いたと言う。
それと,若布のしゃぶしゃぶも都会人には初めて口にしたと言う。
それと,来客のとき、力を貸してくれるのが自家製の柿酢。
香り、色、味もよく、アメリカからの女性も初めてのものだったようだ。



ぷっくり膨らんでいる黄身。
でも,これは今回のではありません。

今、ようやく終わってほっとしているところだ。
都会からこちらに住み始めた若い家族が言っていた。
ここに来て、食べられる野菜が多くなったと,いや、どんな野菜もおいしくて、野菜全部が好きになったと。
次男も仕事で都会に行くと野菜が嫌いになりそうだと。
おいしいと思ってもそれは、野菜の味でなく、ほとんどが調味料の味だと。

おいしさは料理だけの力ではない。
何よりも集ったもの同士の和やかさが大きい。
今回は2歳の女の子とハナのいるだけでその場を和ますその雰囲気にみんなが魅せられていた。

昨夜は星空観測を楽しみ、今日は春の穏やかな陽光を浴びて、お客様は笑顔で帰られた。
先日から、写真を取り込むコードが見当たらなくて不自由している。
どうしたのだろう?



今回のではありません。













春の満月。

2016-03-23 22:09:21 | 自然の不思議

月があがった。
今日が満月だろうか。
満月だから明るいのだが、夜の底は暗くなった。
ここ数日の間に雪解けが進み、地面が剥き出し黒くなった。
同じ満月でも、受ける側によってその明るさが違って来る。
つまり、受取手によって、見える世界が違って来ることだろうか。

冬の、しかも雪原に昇ってくる月は一種の霊気を宿した感がある。
その明るさといい、張りつめて冷気といい、そこに立っていられにような、どこかに連れ去られる妖気さえ感じさせる。
でも,その誘いに引きずられることをどこかで欲しているような気さ起こさせる。
どうにか無事に春の満月を迎えることができた。

いよいよ、春の畑仕事が始まる。
春の畑に種が蒔かれ、残った野菜の花が咲くと,もう月は諦めて手出しはしない。
張りつめた月明かりはやさしく畑に夜の光を降り注ぐ。

春の初めに、何かと整理を始めた。
厚手のセーター類に防虫剤を入れてしまう。
気になっていたCDや本も整理整頓。
ゴミ置き場となった物置も捨てるべきものは出してすっきりして、春。

娘が出て、この春二人の娘さんがしばらくここにいることになっている。
やっと出た、と書いたものの、もう出てしまった娘も今日の月を眺めているだろうか。
春、いろいろな動きが、、春だ。



日の光が当たって緑になった雪の下から掘った白菜。



自家製アンチョビと椎茸と葱の春のパスタ。















繕いの会

2016-03-22 21:38:34 | 日記

ひょんなことから、富山で繕いの会をすることになった。
その発端は母の靴下の繕いで、母の1周忌に展示したところ私が繕いをすることになった。
それまで、それを人様にお教えするなどと考えてもいなかったので、私自身が一番びっくりしている。

それぞれが持ち寄ったものは、普段はいているジーンズに鉤裂きになったもの、親しいおばあちゃんから譲り受けたセーター、中2になった子の小さい時の服が捨てられなくてリフォームをしたいと言う相談など、それぞれの想いの詰まった品々だった。


     繕う  -糸で善くすることー

 綻びた穴に布を当て、繕う。
 径と緯を合わせ、表と裏を行き来する。
 一針、一針、また一針。

 綻びを繕うと,
 穴の空いた過去が、あたたかくなる。
 布を当てた今が、強くなる。
 一針、一針、美しくなる。

 綻びを繕うと,顔がほころぶ。
 過去と今が糸で結ばれ、針先は未来を指してゆく。
 一針、一針、時間を縫い付ける。

 綻びを繕うと、
 捨てられた時間がよみがえり
 擦り切れた過去が、いとおしくなる。
 一針、一針、これからを縫ってゆく。

 綻びを繕うと、
 からだがなじんでこころがやすらぎ
 物から者にゆっくりなってゆく。
 一針、一針、善き人になってゆく。

それぞれが持って来たのは、そのものと言うより、それぞれのやさしさではないかと思った。
そのことに、私は驚かされ、気付かされた。
だから、言葉は少なくても、手によって繋がっていると言う感覚だった。
私の力だけではこの会もできなかった。
呼びかけた人がいて、それに応じた人たちがいて初めて成立する。
母から始まった「繕い」と言う仕事が人々を引き合わせてくれたのかもしれない。
不思議、ふしぎ、うれしいふしぎになった。

上の詩は、前回の繕いの会で感じ、気付かされたことを言葉にしてみたもの。
それを娘に見せたところ、首を傾け「ふーん、、。」の感想。
自分でも、ちょっと恥ずかしい文面になってしまった。

その娘は学院を卒業し、今朝、縁あるお寺のお手伝いに旅立った。
自ら選んだ道に進む。
大学を出て、しばらくふらふらしていて、真宗の学校に行き、やっと巣立った。
これから、また始まる。

巣立ちと言うのは、始まりと,一つの終わりなのかもしれない。