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よろみ村くらし暦

奥能登の禅寺での山暮らし。野菜作りと藍染め,柿渋染め,墨染めのくらし暦。来山者への野菜中心のお料理が何よりのおもてなし。

春が来て、、。

2025-04-11 10:26:29 | 日記

いつもだと冬に行われる佐野顕明さんの勉強会が先日行われた。今までは雪に覆われたよろみしか知らないと部屋からも外を何度も眺めていた。同じところでも季節が違うと景色が変わるのが興味深かったようだ。

今回は「只」ただ念仏を唱える。その只が曲者だった。迷いや苦しみから逃れるためのものではない。そこに我が入るともう我執でしかない。それはどうあがいても自分がある。それは気づきしかない。もともとある自分の中の仏性にあると。「うーん。」

説明を聞いても分からない。でも聞き続けることが重要とか。結局、人は何者か、どう生きるか、と言う存在に関わってくる。生かされているこの自分を深く問う、ことだろうか。

梅がようやく満開となり、山の雑木も仄かに色めいてきた。畑はようやくじゃがいもが植えられ、ビニールハウスには夏野菜の種がまかれる。ただ、今までの5世帯が揃わない。畑からの笑い声も少なく小さいだろう。そして田んぼは補修が行われている。さて、今年の収穫は大丈夫かな。


東京から甲府へ−3ー

2025-04-02 10:44:37 | 日記

このタイトルも今日で終わりになる。もう2週間経ってしまった。帰山すると、畑の半分は土が見え、今はもうほとんどが雪は消えている。しかし、除雪車が積み上げたところにはまだ雪があり、そのために電気柵が出来ていない。そのチャンスを逃す手はないとばかり、猪が独活のところを掘り起こし、今年の独活は食べられるのか気になっている。姿を見なかった猪はやはり生息していたのだ。

もうかれこれ何十年ぶりになっただろうか、東京の高層ビルの夜景。若い時はその都会の光にワクワクしていたが、今回はドキドキしてしまった。これは地震を経験したからだろうか、どこかでもし今ここで地震が起こったらと、ついそんなことを思ってしまう私がいた。もう都会は楽しめない。弟たちや当時の友人はもういない。都会の光が熱量を失い、他人行儀な冷めたひかりになってしまった。

その郊外に一人、中学時代からの友人が住んでいる。一緒に山に登ったその友人と夜中の1時過ぎまで話し込んでしまった。一緒に遊んだ思い出を話せる友人ももういなくなってしまった。

お墓参りを済ませ、従兄弟たちとも会い、いつもの大糸線経由で帰ってきた。家の近くは大きな道路が建設中、中央線は全席指定席、南小谷行きがなくなり、白馬まで。私の思い出も少しずつ崩されてきた。それでも私の青春の山々は青い空にすっくと背を正し、白いレースを纏って聳えていた。変わらぬものもある。私の青春も私は生きている限りそこにある。

いよいよ、畑が始まる。梅も咲き、ローズマリーが俯きながら咲いていた。

 


東京そして甲府へ

2025-03-24 10:20:04 | 日記

お彼岸のお墓参りを兼ねて、東京から甲府へ5日間の旅をしてきた。東京では友人と宮脇綾子さんの展覧会と河童橋での台所用品の調達。以前から宮脇さんの作品は知っていたが直にそれもほぼ全品を見ることはなかった。テレビで取り上げられたこともあり、大勢の人盛りで人に押されながらゆっくり見ることはできなかった。それでも布を通してその温もりや感性に触れることができた。同じ布を使う者として親しみも感じられた。それにしてもその熱意には驚かされた。高齢になっても瑞々しい感性と手仕事に私のお手本になった。果たして自分はできるだろうか。

そして河童橋へ。以前も同じ日曜日だったことを思い出した。やはりお休みのお店が多かった。でも久しぶりの下町、浅草はごったがえしていた。それが浅草なのだろう。次はお囃子のお店へ。そこで友人の笛を聴かせてもらった。リズミカルな音色が店内に響いて、お祭りでした。

甲府では県立美術館へ。「山梨人ねっこアートワーク」展。障がい者アートを支援する団体の主催で、甲府の友達も関わっている。テレビでも見るがその根気には驚かされる。また視点が違っていたりして面白い。ついでにアートキャンプ白州も。友人自身もギャラリーもあり、本人も製作している。

これらに出会えるのは、友人たちがいるから。久し振りに沢山おしゃべりをしてきました。


私の冬の1日

2025-02-27 16:14:43 | 日記

今年は久しぶりの大雪となり、雪掻きをしないと雪の壁で家の中は真っ暗になる。有難いことにその仕事を男たちが担ってくれている。だから私は炬燵守りになる。

朝6時半起床、ようやく白みかけてきたこの頃、でも台所は白い息が見える。先ず石油ストーブの点火から始まる。次男のお弁当作りだ。昨夜の残り物を入れたり、手の込んだものは作っていない。それでも味噌汁、ご飯、おかずに麦茶で30分。私はそれで済むが大工の息子は震災の仕事も入り、雪の中を毎日出かけている。

次に居間の薪ストーブを焚き、頃合いを見て豆炭を入れ、それが炎になたっら炬燵に入れる。炬燵は1畳の掘り炬燵なので電気も入れて暖かくする。朝食は玄米、圧力鍋で炊き、翌日はそれをお粥にする。味噌汁に昨夜の残り物、納豆に、あればここの卵、ひじき煮など。その後は30メートルほどの先から洗濯物を持ってきてストーブの上に干し、干し上がったものを畳む。その洗濯機があるところの廊下は鼻がツンとなるほどの冷気。そうそう、一連の仕事には水温が2度で手が冷たくなるのでボールにお湯を張って温めながらの仕事になる。また金造製のものを持つので手袋も欠かせない。

やっと落ち着くのは10時近い。そこからが冬のゴールデンタイム、読書と書き物時間。お昼は簡単に麺類かパンを朝ドラを見ながら。1時過ぎからまた炬燵守り。気が向くと雪道を散歩。

夕方5時になると夕飯作り、最近は息子夫婦も担当してしてくれる。美味しいし私が作らないメニューも出てくる。その時は後片付けを担当しその後お風呂。

お布団には湯たんぽが私の必須アイテム。これで暖かく眠れる。本を読んでいるとすぐ眠くなる。就寝は10時から11時。こんな暮らしもあと1ヶ月足らず。友人たちは「たいへんね。」と雪を心配してくれるが、畑が雪に埋もれている時間は、取って置きなのです。


私の朝日新聞

2025-02-22 16:24:40 | 日記

そもそもここに来た縁を作ったのが、朝日新聞だった。朝日の夕刊に西田幾多郎の哲学講座を知り、柄にもなく参加したのがきっかけだった。ここに来てもその新聞はあったが、郵送されていたので昼刊だった。かれこれ50年になるが、勤めや家事育児、畑仕事に追われ、今ようやくじっくり読めるようになった。ところが、地震で配達されなくなり、中日の方が下の県道まで届けれくれることになり、そこまでの約2キロを取りに行っている。

若者の多くの情報はスマホから、新聞を読む人は減少している。でも私は紙を手で広げて読むのが性に合っている。単なるニュースだけでなく思わぬ記事に出会えたり、専門家の意見、考え、知識も得られ、また読者の声も聞ける。人によっては偏っているとも言われるが、それは誰にも当て嵌まることだと思う。この頃の情報過多の中、何を選ぶか、信じるかは各自に委ねられている。

ネットはピンポイントで、新聞はもう少し視野が広がると思っている。そう、あのスマホを手に見入る姿勢より、新聞を大きく広げたほうが、人間が大きく見えやしないだろうか、なんて勝手に思っている。最近の御混迷を極める昨今、情報でなく、人が信じられるか、そこが大事だろう。ただ、この頃広告の紙面が目立つようになった。やはりどこも厳しいのだろうか。これから、ほほえましい記事、穏やかな記事、そして考えさせてくれる記事が載ることを期待して。