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よろみ村くらし暦

奥能登の禅寺での山暮らし。野菜作りと藍染め,柿渋染め,墨染めのくらし暦。来山者への野菜中心のお料理が何よりのおもてなし。

ジャム作り

2014-10-31 21:21:54 | グルメ

1年に何種類のジャムを作るだろうか。
まだ父が桃を作っていた頃、そこにいろいろな果樹を栽培し、それらの苺,リンゴ,杏、山桃をジャムにした。
今は苺、梅,ブルーベリー、そして林檎の4種類のジャムを作る。

先日札幌の知人からカリンズジャムをいただいた。これが花梨のジャムなのか初めてのジャムだったので私には分らない。しかしこれしかにだろう。
その数日後、今度は友人から花梨が送られてきた。もう作るしかない。



この中に花梨以外のものが入っています。

我が家には甲府から持ってきた花梨の木がある。今までそれを花梨酒にしたことはなかった。ペルシャではそれをジャムにすると本に書いてあったことを思い出し、それをジャムにしたくなった。

その色は、瑪瑙を思わせる透明な色合いで,味はとろりとしてさらりと今までにない触感だった。
初めての試みなので本に忠実に作ったつもりだが,できたものは色も舌触りも味は少し渋みもあり,まったく別物になってしまった。
本にはレモンを入れた瞬間紅くなると書いてあったので,その時を逃さないようにカメラまで構えていたのに,ほとんどその変化はなかった。
そこで思いついたのが,戴いたかりんのジュースを入れたらいいのではないかと。
結果は成功!ようやく色も紅くなり,ジャムらしい甘みと酸味が出ておいしくなった。



左,私のカリンジャム,右,花梨ジャム



ジュースを入れたカリンジャム

失敗の原因は,まだ完熟していない花梨を使ったからと思われる。

次は紅玉でジャムを作るのが,私の秋の仕事。
そして,このリンゴでアップルパイを作る。
その当時,実家から紅玉を送ってもらって作っていた。それでパイを作ると子供らは「おいしい!」を連発した。子供らの頬はりんごのように紅かった。
それ以来,秋はアップルパイが定番になった。
今は,甘酸っぱい思い出になってしまった。













見つかった手紙

2014-10-29 22:41:38 | 日記

消えた手紙が見つかった。
それは大津の郵便局に落ちていたのが見つかり、めでたく宛先の元の届けられた、と本人から連絡が入った。

もう諦めていたところに吉報が入りうれしさより見つかったことの事実にただ驚くばかり。
改めて日本の郵便のシステムの正確さと配達人の誠意と局員さんたちの真摯な態度に頭が下がるばかり。
ほんとうに、ありがとうございました。

相手方には手紙の写真をより鮮明に加工して送っておいたのでほぼ読めたとの電話があった。
今日また、やはり本物はいいですね、とよろこばれた。

手紙を書いている時間は、相手との二人の時間になる。だから同じ時間でもより濃密になり自分の中も深く入り、相手の中にも潜入している感がある。
それでいて浮遊しているような、相反する感覚があっていつの間にか時間はずいぶん経ってしまっている。
手紙の魅力はそんな時間のマジックにもあるかもしれない。

いい手紙とは、どれだけ相手に向っているかだろうか。けして美文とか美文字がいいからではない。
どれだけ正直だとか、教訓めいたものより、ふと笑みがこぼれる、そんな手紙が書けたなら、うれしいな。

思わぬアクシデントから手紙を顧みる機会を与えられ、増々手紙が好きになってしまった。



炬燵の縁で丸くなっているはなくろと廊下で寛ぐハナ。
2匹は仲良しと言う訳にはいかないが、いつも意識に中にいる関係。





鯵尽くし

2014-10-28 22:03:59 | グルメ

ここに来て二十数年、1度にこんなにたくさんの魚を捌いたことはなかった。
お隣さんからちょっと小ぶりの鯵100匹ほどを戴いた。金額にすると1000円もしなかったらしい。しかも朝獲れのピッカピカの鯵だった。
気分は魚屋さんか朝市のおばちゃん、それにしては手つきがおぼつかない。
大物1匹を捌くには気構えと言うか命と向き合う覚悟みたいなものがいるが、大量で片手ほどの大きさだとただただ流れ作業になる。
慣れていない私でも1度にこれだけのものを扱うとちょっとは手さばきも板についてきた気がした。

先ずは刺身、でも私がすると食べられるところはほんの少し、それでも新鮮さが助けてくれる。
程よい油気とほんのりした旨味のバランスが口の中で混ざり、鯵の醍醐味を味わった。
もう1品は、若者むけに鯵フライ。熱々をさくっと戴く。今回はこの2品を存分に頂く。



左のは前日のゴーヤチャンプルー
稲刈りの助っ人さんが来山、そして次男が2週間振りに帰山。

次の日も鯵尽くしが続いた。
市場に並ぶ朝獲れと言うのは、前日のものらしい。だからまだ生ものが活けると言われ、鯵のたたきに。
それには畑から掘り出した生姜とアサツキ,手前味噌にちょっとかぼすを垂らして。
これがねっとりして舌に絡まる。
他には鯵を塩を降ってその後酢で〆たもの、それを娘は手鞠寿司を作ってくれた。
そして後1品,三男が帰省すると注文するアジのマリネ。畑の紫玉葱とピーマンの緑にパプリカの赤に柿酢と米酢のブレンドで。



2日にわたって鯵で6品と言う鯵尽くしを味わうことができた。
何と言う贅沢な2日間だったことか。



そうそう、鯵の骨は揚げて我が家のハナに献上したのです。何と言う贅沢なことか。もちろん頭もです。
それから今日はまた、圧力鍋に梅干しと生姜と酢と醤油を入れて鯵を煮たところ、あの骨も丸ごと食べられました。
贅沢とは、けしてお金で量れるものではないと思う。当分の間、鯵は入らないとと思いきや、またいつでも、いえ早々にでも、大丈夫です。

今日はキャベツとブロッコリーとカリフラワーの追肥,小豆の収穫ももう少しになった。
テレビを見ながらの小豆剥きは、母の仕事だったのに。












窓ふき

2014-10-27 16:54:15 | 日記

紅葉の時季になるとやりたくなる家事がある。その一つが窓ふき。庫裡から宿坊、そして我が家まで全部拭くと結構の枚数と言うか長さになる。
窓は両面なので長さは倍と言うことになるので、計らないことにしている。

今までいろいろな拭き方を試みてきた。洗剤を使ったり、道具を使ったり、新聞紙がいいと聞けばそれも試してみた。
でもいまだにコレといった方法が見つかっていない。
春の窓ふきはストーブの油煙で黄ばんでちょっと厄介。でも秋はお湯で拭けば大方きれいになる。

先日京都のある別荘の窓ふきを見た。両手に白い手袋を嵌め、右手は濡れたもの、左は乾いたものでガラスばかりか桟まできれいに拭き取っていた。
びっくりしたのは窓ふきのビフォアーもアフターも手袋は真っ白いまま。その管理者は毎日拭いているとか。そうだろうな。

ここの窓拭きはそれ以前と以後は世界が違って見える。
家の中が窓拭きによって外まで一続きになり、淀んでいた紅葉が赤は燃えるように、黄色は輝くように見えてくる。




赤色はブルーベリー

新緑の春もいいが、紅葉の秋も見逃せない。
いつもの風景も垢抜け、透き通った空気が動き出す。
中にいても外の新鮮な空気が吸えるようなリフレッシュ感がある。



グリーンカーテンにした花豆

何よりも自分のこころが磨かれたような気がしてすがすがしい。
あの管理人さんのピカピカの顔が思い出される。
磨いていたのは、ガラスだけれど、磨かれたのは彼自身だったのだろう。
ひとつひとつ丁寧に、慈しみながら拭いていた表情が美しかった。
とても真似できないが、いいものを見せて戴いて、とっても気分がよくなった。

そうそう、ガラス窓の桟に区切られた紅葉の庭も見事だった。
仕切られることで、また風景も変わることも知った気がする。
切り取った縁取られた風景は、誰でものものから自分だけの物語が始まりそうな私的な空間へと移り変わる。



今年の紅葉はこの月末から11月初めが見頃だろう。








消えた手紙

2014-10-26 20:14:35 | 日記

手紙が消えてしまった。けして手品ではない。
こんなことは初めてである。
届いた先には、中味のない封筒だけだったそうだ。相手から「手紙がないのだけれど、そちらにはないよね。」と電話が入った。
その相手とはあの手紙舎のひとみさんで、彼女の相方は郵便局に勤めている。こちらにないことを確認し、さっそく紛失届けを出したとのこと。

その原因の一端はこちらにある。
彼女はいつも封筒を気に入った紙を使って手作りする。今回彼女の作ってくれた千枚田のライトアップの写真の封筒使った。
彼女曰く,旅先で気に入った紙で封筒を作り、それを自分宛にして記念にすると聞き、それを使うことにした。
しかしそれは厚手の紙で、私の糊付けが甘かったのだろう、途中で剥がれ、中味が出てしまったと推測する。

その手紙は筆で書いたもので、その時の心情が吐露した?自分でも傑作だと思っていただけに、がっくりしてしまった。
その時その場の、相手に向けた一期一会の手紙なのだ。だからもう1度書くとしてももう同じことはできない。

「あら、もしかして私、あの時写真を撮ったんじゃなかったかな?」
今まで手紙を写真に収めたことはなかったが、封筒を見せたくて記録していたと思い出した。
うまく判読できないかも知れないが、その時の心持ちだけは伝わるかも知れない。

今ではやりとりの多くはメールである。書かれた文章や内容だけで判断されるメールは時に誤解を産むこともある。
ペンやボールペン、特に筆で書かれたものは嘘はつかない。それだけにその時は真剣であり、誠実さが求められる気がする。
故に怖いけれど、やさしさが伴うのだと信じている。

手紙は出て来ないかも知れない。手紙には住所が書かれていないし、便せんとして薄い和紙を使ったので何人かの人の手を経る途中で封筒からすり抜けてしまったのだろう。
逃した魚ほど大きい、と言うが、消えた手紙ほどいい手紙だった、のに。



読めるだろうか?



玄関にぎっしり詰まった冬用の薪。
先日から寒いときはストーブを焚いている。これを見ているだけでほっこりする。