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よろみ村くらし暦

奥能登の禅寺での山暮らし。野菜作りと藍染め,柿渋染め,墨染めのくらし暦。来山者への野菜中心のお料理が何よりのおもてなし。

唐松岳その4ー足元の青と空の青ー

2019-09-25 21:41:45 | 自然の不思議
初めて山登りをした人の感想に、足元しか見えないのはおもしろくないと聞いたことがある。
確かに、視界のほとんどは足元だけだ。
でも、その先にある大きな風景が待っている、それまでは待つしかない。

9月の13日はまだ夏の花の名残があった。
細い道の両側には見落としそうな小さな花が見られる。
時にひとりしずかのようにぽつんと一輪だけ咲いていたり、時には群生して登山者を励まし,見守ってくれる。

花の色も様々で白,赤,ピンク、紫など一際鮮やかに咲いている。
高山植物が鮮やかなのは、紫外線が強いため細胞を保護するためだと聞いた。
その中で私の目に入って来るのはブルー,青だ。
今回松虫草にめぐり逢うことが出来た。
青と言っても紫がかった青,それが私のお気に入りだ。
いつか,ヒマラヤのブルーポピーを見たいと思っていた。
そんな時,京都の植物園にそれがあってびっくりした。
そして、堀文子の絵のブルーポピー,何故か青に惹かれる私だ。

上を見上げると青い空があった。
青をバックにすると山は気高く厳かに見える。
地球のてっぺんはどこまでも青い空に憧れる。

これからも、私は登り続けるだろう。
もうあの時の苦しさを忘れている。
苦しかったことを覚えているが、その実感はもうない。
どこも地球のてっぺんに違いないが、吸い込まれそうなあの青が待っている。


唐松岳登山ーその3 静けさと賑わいー

2019-09-23 21:18:46 | 自然の不思議

昔の記録を見ると、唐松には二回登っていた。
どちらも縦走の途中で、あの不帰の剣も歩いていた。



私が山を目指す一つの目的に静けさがある。
下界の雑踏,下界の俗から離れること。
そこには下界の猥雑さを忘れる意味もある。
でも、今回は違っていた。
連休と言うこともあり,その人の多さに圧倒された。狭い登山道はお互いに譲り合い,時に立ち止まって通り過ぎるのを待ったいたりした。
そうこうしているうちに山小屋に着くと、1畳に3,4人が寝るスペースで総勢300人泊ったという。
かつて私も勤めをしていた時は、休日の登山しか出来なかったので山小屋は登山客で溢れていた。
それでも山道は人も少なく、充分自然を満喫し、静けさもあったように記憶している。
今回の山は途中までゴンドラとリフトがあり登山客が集中しやすかったのだろう。

山から帰ると、ここに静けさがあった。
そうか,私はこの静けさの中にいたのかと気付かされた。
では、私が求めた静けさとは単に音や人ごみだけではない。
つまり、非日常と言う静けさなのかもしれない。

それにしてもあの人の多さは登山ブームと言うことか、私のような中高年の登山者がいるからなのか。
私の目が人になれていないからか、分らない。



とは言うものの、やはり山は山であって、あの大きさ,高さ,美しさは若い頃と違っていなかったことだけは確かなのです。
そう、それに感動している自分も。















秋の来客その2

2019-09-21 21:26:32 | 日記

私の登山前の11日から今も来客が続いている。
その出身はアメリカから3人、ドイツから、そして日本の屋久島、京都、岐阜、そして地元の金沢から。
目的は、人からここのことを聞いて興味を持ったとか、友人から聞いて、藍染めに、そして今をどう生きればいいのか、など。
初めての人、7年目の人、そして身内など。ほとんどが30前後、中には子ずれの人も。
ここにいながらにして旅をしている。

ここに来るほとんどの人は、ここの何もない静けさを求めたり、ここにある田んぼや畑の暮らしに興味を持ったり、生き方を語りに来たり様々だ。
ほとんどは一緒に座ったり、畑仕事に励んだり、台所に立ったり、何もせずにここにいることで満足したり、様々。



来客用に作った散らし寿司、でもアメリカからの一人は生の魚の食感が苦手でした。

日本語が話せれば通じ合える訳ではないが、やはり、英語が話せたらもう少し深い話が出来るのではないかと思いました。
テレビでグレートヒマラヤトレイルを見た。
もう少し若かったならば挑戦できたかも知れない。
これからも挑戦すればできるものがあるかもしれない。
それには相当の覚悟と努力が必要かな。

来客が残していったもの、それぞれ違うけれど、その余韻がいいのです。



その中の一人が作ったインド風カレーは絶品でした。
香辛料をとりよせてまでつるその懲りよう、その姿勢に感動しました。












唐松岳登山−年齢と体力ー

2019-09-19 21:34:50 | 自然の不思議

今回の登山は単独峰のみだったのであまり自分の体力は気になっていなかった。
それよりこの冬に左手首を骨折し、その後右足の捻挫、それに付随して腰痛になってしまったのでそのことの方が心配だった。
それに仲間5人に迷惑をかけては申し訳ないと懸念していた。



月と剣岳

仲間の一人は大学生、私より上の男性二人、そして私より20ほど若い女性二人の6人での登山。
男性二人は若い頃からの登山仲間だとか、女性の一人は学生時代のワンゲルだったとか。
登山は基本的に体力のないものに合わせて登るからか、みんなと共に歩けて足手まといにならなくて無事下山できたと思う。
むしろ体力あるねと褒められてしまった。
「でも、70過ぎるとがたんと落ちたよ。」と教えられた。
彼らは日常的にテニスやトレーニングを積んでいるらしい。
それを聞いた途端、もっと早く登山を再開しておけばよかったと思ってしまった。

さて、いつまで登れるのだろう。
どこまで登れるのだろう。
今朝はアキと散歩と言うより軽くランニング、通信事務、藍染め、畑仕事といつもの日常。
いつもの暮らしも好きだが、山はまた特別で、より生きていることを感じられる。



唐松岳から不帰の剣方面
以前はここを歩いたのだが、今はもう無理かな?

そうそう、左手も右足も腰のことも忘れていました。
朝課の20分の正座もできました。
動くことで、よくなるのですから、人間の身体って不思議です。













唐松岳登山−御来光と満月ー

2019-09-18 21:36:36 | 自然の不思議

もう40年前のことだろうか。
既にそれすら記憶が曖昧になっている。
私は北アルプスの山々を登った。その時は単独峰でなくいくつかの山を縦走した。

ほとんどの登山は二人だったが、今回は男女3人ずつの6人での登山だ。
しかもすべてがリーダーの人が山小屋の予約など事細かに準備され、私は呑気にそれに乗っかって歩いた山旅になった。

私が山の虜になったきっかけは、最初に見た夜空を埋め尽くすほどの星に圧倒されたことだった。
今回同行した友人は、月と雲海に魅せられたことが山に向わせたと話してくれた。
どちらも今までにない、下界からは決して見ることのない世界に魅了されたからだろう。

今回は唐松の頂上から御来光を迎えることが出来た。
ちょうど連休と言うこともありそこには大勢の人たちが日の出を待っていた。
以前私はどこで御来光を拝ませてもらっただろうか。
曖昧な記憶を辿ると、雲の上に太陽が昇ると誰からともなく拍手が沸いた気がしている。
でも、今回はみんな日の出前からシャッター音があちこちから聞こえていた。
厳かさより、喜びに浸っていたということだろうか。



その前夜は満月だった。
日中はきれいに晴れ上がっていたが、夕方になるとガスって、夜は闇になった。
それでも見えるかも知れないと小屋のカーテンを開けると闇の中に満月があった。
浮かび上がっていたのか、そこだけ穴が空いていたのか、輪郭はぼやけていたが、確かに月に違いなかった。
そしてその下には僅かに白みかかった雲海が敷かれていた。
私は窓を開け息を呑んだ。その外気の冷たさが一瞬にして私を棒立ちにさせた。
闇は暗黒色、月はそれを破って出て来た生まれたての色に感じられた。

闇から生まれて来る光の神々しさに立ち尽くすだけの私だった。
大いなる恵みを戴いた登山だった。