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よろみ村くらし暦

奥能登の禅寺での山暮らし。野菜作りと藍染め,柿渋染め,墨染めのくらし暦。来山者への野菜中心のお料理が何よりのおもてなし。

春の来客−5−

2020-03-24 10:08:48 | 日記

冬の来客への一番のおもてなしは,真っ白い大地と空のダイアモンドのプレゼント。
春の来客には,野菜は端境期、野草はまだ蕗の薹しかない。

横浜から親子二人がやってきた。
お母さんは私の山友達,息子さんは大学生。
着いたのは七尾,そこで友人の鳥居お醤油屋さんで待ち合わせ,大きな木の樽を見せ,醤油絞りも体験。
ついでに昆布屋さんと和蠟燭のお店,花嫁暖簾館も行き,お昼を戴いてようやく与呂見へ。
その大学生が大の蕗の薹好きと聞いてさっそく山菜採りと椎茸採りに,そして夜はその天ぷら。



夜は飲んで食べて、おしゃべりして、夜のふけるのも忘れるくらい盛り上がったのです。
ここのお薦めは,何もしないこと。次の日は天気も悪く、ここでゆっくり。
そして帰る日に,からだを診てもらいに門前まで。
と言うのは,あまりに仕事をし過ぎて体調を壊し,しばらくは休養が必要と言われている。
本人の中では頑張っているとか,無理をしている言う感覚はない、らしい。
むしろおもしろくて,楽しくて,1時は睡眠時間3時間だったこともあったという。
仕事ができる人の落とし穴かもしれない。
彼女から10歳若い歳を言われて,私はご機嫌だ。
二人でまた山に登ろう、できたらエベレストの見えるところまで,と約束をして見送りました。
互いに,体力付けて,備えよう!



次の日は富山から親子3人,お母さんはここを実家のように感じているという話に、にっこり。
ゆっくりのつもりが急用ができて2時間ほどでまた3時間かけて帰ってゆきました。

次の日は金沢と珠洲から中高年二人。一人は元ここの住人で一人は珠洲の陶芸家。
話は陶芸について,,後は私は先に寝たので分りませんが、二人は私が起きる朝まで飲んで喋っていました。
からだ,大丈夫かな?

私たちがあまり動かない分,いろいろな人が来てくれます。
居ながらにしていろいろなことを知ったり,行ってもいないところに行ったような気になったり、珍しいものを食べさせてもらったり、いろいろです。



これは娘が作ったイスラエル料理とか,名前は忘れました。本来はレンズ豆を黒豆でしたコロッケがおいしかった。

いよいよ畑が始まっています。
私は昨日キャベツなどを定植した途端,今日は雪です。
大丈夫かな?寒くて凍えないかな?
今年の気候は,予めません。









書庫の整理 ビフォアー

2020-03-17 21:41:31 | 日記

もう1週間になるだろうか,ここの住人の子供ら,2世たちを息子の住職が動員して40年振りの書庫の整理をしている。
その書庫は我が家のものがほとんどだが,この住人のものもあり,膨大な,ちょっとした図書室になっている。
お寺の庫裡の屋根裏30畳ほどもあるだろうか、それがいつしか物置化して,時にコウモリが来たり,猫の住処になったり,ここと縁があった人の荷物が置かれていたりしていた。
だから人手と時間がかかり,本の整理の前にいらないもののゴミ出し,お掃除と未だに終わっていない。



本も日本文学全集,世界文学全集、仏教書,世界美術全集,文庫本,いろいろなジャンルの本、漫画、レコード,とありとあらゆるものが溢れている。
私はごはん係で直接携わっていないが,新たに棚を増設したり、それらをまた仕分けするとまだまだ終わりそうもない。

私は本を結構買い集めて来たが、今までどれだけ利用して来ただろうか,これからどれだけの本を手にするだろうか。
この冬は暖冬で雪が降らず,それを理由にほとんど本を読まずに春を迎えている。
春になると畑仕事に追われ,晴耕雨読,もしくは夜だが,それも疲れて眠ってしまいそう。
結局,私にとって本は,まだまだ遠いのかな。
では,一体いつ読むのかな?













地震

2020-03-13 20:49:52 | 自然の不思議

それは真夜中だった。
ドシンと言う音と共に激しい揺れに襲われ私は悲鳴を挙げ、飛び起きた。

13年前、やはり輪島を襲った震度6弱の地震は時間的に長く、本堂や壁など大きなダメージを受けた。
その時はみんな外に逃げ出した。
今回は震度5強ですぐ揺れは納まったが夜中の地震の恐怖は心臓の動悸が納まらなかった。
一先ず寒くない格好をして湯たんぽを持って下に降り、テレビを付けると震源地がここ輪島と知った途端増々不安になってしまった。
また余震が来るかも知れない、そんなことを考えるともう眠れなくなってしまった。
時々余震らしき音と揺れを感じながらようやく布団に潜り込んだのは、朝方になっていた。

人にとって、暗さと予測不可能という自然はどうにも抗えない怖さがある。
どこかで「死」というものを感じてしまう。



私が16の時、初めて登ったときのキスリング。
いよいよ整理の時が来た。

そして今日、明るさが私の心を鎮めさせた。
そして、友人たちからのお見舞いの電話などを戴いた。
久し振りに聞いたその声で安堵とうれしさになった。
どこにいても、お友達は傍にいてくれる。
ところが、私の知らない時に病気で入院していたとか、たいへんだったという話に、今、こうして生きていることが特別のことと知らされた。
同級の友人と,自分の生きている時代は戦争もなく,何事もないと思っていたが,コロナウイルス、毎年のように繰り返される自然災害に見舞われると,むしろたいへんな時代なのかと考えさせられると,そんな話題にまで至った。
これから先、何事が起きるか分らない。
1日、1日を元気でよく生きる。
では,よく生きるとは、、。



娘が天然酵母から焼いたパン。
もう,私を越してしまった。








友人を尋ねて。

2020-03-09 21:19:52 | 旅行

二人の友人を尋ねて滋賀に行ってきた。
一人は3年前に、もう一人は去年の秋にパートナーを亡くされた二人だ。
その一人は紆余曲折を経てようやく家を見つけ自分なりに手を入れて一人で住み始めた。
もう一人は、輪島から実家に引っ越しをしたばかり。

その人の家に寄せてもらい気が付いたことがある。
外観は違っても、中に入るとそれまでの家の雰囲気とほとんど変わっていない。
家具だけのことではない。その人が醸し出す空気感がが同じだからだろうか。
友人だからなのか一緒にいて心地良い。

話はどうしても亡き人のことになる。
二人とも部屋には彼らの笑顔の写真が飾られている。
時には涙が出そうになったりしましたが、それでも一歩前進しようとしています。

そう、一歩外に出ると思いがけない出逢いが待っている。
それは自分の中にあったものに出逢ったり、また新しい自分が創られるのかもしれない。
それは私が二人を導くのでなく、お互いに交流する中で築かれる。

二人は私が行くのを楽しみにしていてくれて、ごはんももてなしにもいっぱいのこころ尽くしが感じられた。
ごはんがおいしい、心配りがうれしい、そんな旅になりました。
そんな二人に、犬の五郎と猫のグラが寄り添って見守っていました。
また、出発です。



カメラを忘れて、これは我が家のアキとユキ。
窓越しに微妙な関係です。
そうそう、友人の友人が親山羊6頭、子やぎ13頭を飼っていて、抱っこさせてもらいました。
以前飼っていた山羊を思い出しました。
残念ながら、映像がない。

今日はもうすっかり春でした。
冬物の整理をすると、また寒くなるのかな。












拾う人と捨てる人

2020-03-01 21:23:56 | 日記

いつもなら雪解けの仕事が雪がないので今日になった。
散歩に公道を歩くと捨てられた缶や瓶、プラスティックごみが目につく。
公道と言っても、ほとんど人が通らない山道、多分捨てる人は同じ人かもしれない。
それは捨てられたジュース缶が同じ種類だからそう考えられる。しかも同じ場所に集まっている。

捨てる人は拾わない。捨てない人が拾う。
どうして車の外に捨てて行くのだろう。
自分の目の前からゴミが見えなければいいと思っているのだろうか。
たった300mほどの距離で大きめの買い物用のビニール袋がいっぱいになる。
確かに期間は3か月ほどだが、捨てなければ1年だって袋にいっぱいにならない。
拾いながらもう怒りは失せてむしろ悲しくなる。

ネパールに行った時、山道にプラゴミがいっぱいあったのに驚いた。
自然に近い暮らしの中にも既にプラゴミがあることが悲しくなった。
人間というのは、悲しい存在だ?
袋にいっぱい詰めて帰って来たところをここの住人に見られ「えらい!」と褒められてしまった。
うれしいような、恥ずかしいような、やはり、かなしい。



これはウイルスではありません。
ころがってきた雪。

この新型コロナウイルスの感染が世界中に蔓延している。
これだけ世界中の人たちが行き来している現代だと当然なのだろう。
余波はこんな田舎にも及び、娘婿のジャズライブが二つ中止になった。
一つは金沢まで8回も練習に出掛けたものもあり、本人はがっくりきている。
人間が戦争騒ぎ、経済競争、政治問題でぎくしゃくしている中、それを笑うかのようにウイルスが暴けている。
それに振り回されないようにしなければ。
3日から滋賀の友人のところに行くことになっている。
マスクがあったら買って来てほしいと頼まれた。ちょっと、びっくり。



これはアキの頭に積もった雪。