よろみ村くらし暦

奥能登の禅寺での山暮らし。野菜作りと藍染め,柿渋染め,墨染めのくらし暦。来山者への野菜中心のお料理が何よりのおもてなし。

展覧会前夜

2015-10-22 21:04:18 | 展覧会

24日からだから,明日が前日で,明朝、京都の清滝のテラさんで展覧会が始まる。
藍建てから始まった約5ヶ月の準備がようやく終わった。
しかし,今回の展覧会は食事を作らねばならないので,まだ気を緩めることはできない。

いつものごとく、値札を付けるのに時間がかかってしまった。
付けているうちに,高いのか安いのか分らなくなる。

季節柄柿渋染めが主になり,藍は控えめに。
作品はタペストリー、洋服、半纏、袋、座布団、クッション、マフラー、コースターなど。
さて、どうなることか?
さて,どんな出逢いが待っているのだろうか。

昨夜は中々眠れなかったので,もうな眠くなって来た。
今日は畑から野菜をとり,買い物をしてきた。
冷蔵庫の魚、お肉、ジャムなど忘れないようにせねば。
そうだ、お花を持って行くつもりだったが,時間切れ。



コースターの1部。全部で50枚は作った。
ある布で,裏地をどれにするか,そんなことがコースターのおもしろいところ。



洋服類は仕立てていただいて。



袋もどんな形にするか,持ち手は,金具は、そんなところが、たのしい。
でも,縫い方が今一かな?



半纏、背守りを考えるのが醍醐味。左はオリオン座。

色はもっと、クリアーで美しいのですが。












堀文子

2015-10-19 20:31:42 | 日記

土曜日のNHKの番組で日本画家の堀文子が出た。
私の好きな画家の中の一人、片岡球子と言い、この年代に共通している凛とした生き方に私は憧れる。

職業柄、彼女らには定年はない。飽くなき美の追求、と言うより,描かずにはいられないその姿勢は生き方そのものだ。
堀文子は自らを絵を描く職人と言っている。
その生き方から彼女の言葉が強くこちらに響く。
「自由とは命がけで得るもの。」
「軽蔑されてもいいから人の命で闘うな。」
これには彼女が生きた時代が大きく影響している。
戦争によって奪われた家族、そして豊かな自然、戦争によって得る物は何もないと断言する。
そして,今の状況はかつての戦争前によく似ていると危惧している。
1度動き出すと引き返すことは至難の業、国家も情報も頼れないと。

彼女の頼らない,群れない、任せないと言う生き方そのものから吐き出された言葉は重かった。
映し出された彼女はとてもおしゃれで、目には淀みはなく,むしろ鋭さの中にも潤いを湛えている。

このような人生の先輩の生き方を見させてもらうと、私までが背筋が伸びてくる。
彼女は経験を素直に生かし、感性を働かせ,好奇心に溢れ、新しいものに学び、自然に呼吸を合わせると言う生き方をする。
憧れだけでなく,少しでもその生き方に寄り添いたい。

一応,展覧会の準備が終わった。いや、終わらせた。
これからまた食事会の野菜の準備や買い出しがある。
夏の染めから始まり、自分で出来ることを終え,仕立ての洋服屋布団類も明日には出て来るだろう。
いつまで出来るのだろう,いつまでするかな,と思いつつ,堀文子の生き方がちらちらと目の前にちらつく。
凡人にはそれなりの生き方があるのだが、憧れの存在はいつまでも持ち続けたい。
私の中で「憧れ」ある間は,私の中で一本の藁でも筋を保っていられるかな。
今度、堀文子の展覧会があったら,絶対に見逃さない!










満天の星

2015-10-16 21:24:38 | 自然の不思議

展覧会の準備で毎日ミシンを掛けている。
最近は仕事をしながら、NHK第1のラジオを聞いている。
畑仕事や染めの仕事ではほとんどが外でしかも動いているのでとてもラジオなど聞くことはない。

ラジオのいいことは、聞きながら仕事ができる、しかもはかどる。
その上、単なる情報だけでなく、むしろ知らないことを知るいい機会になっている。

声を聞くと、知っている人だと顔が浮かび、知らない人だとその声のトーン、速さ、などから自分なりにその人の顔を描く。
時には懐かしい音楽がかると、その時の時代や風景も浮かんで来る。

だから、仕事をしているのか、ラジオを聞くためにミシンをかけ、針仕事をしているのかわからなくなる。
そのせいか、よく間違える。そう、はかどっているのか、どうなのか。

一番緊張するのは、布にはさみを入れる時、気を遣うのは裏表、縫い目が揃っているか、表の生地と裏生地が合うかなどなど。
今更、長くやっていながらうまくないとは言えないのが、やり直しばかりしている。
こんなんでいいのだろうか。

そろそろ、期限も迫って来た。
これから値段を決めてゆく。これが一番苦手の作業になる。高いのか安いのか、買っていただけるのか、、、。

そんな仕事を終え、お風呂から出て、暗闇外に立つ。
夏、頭上に合った天の川が西側に傾いてきた。
新月に近い夜は星の光は空に留まり、地上は真っ暗だ。
その中に白い物が動いた。
ハナがようやく戻って来た。家に入ると、そのまま寝床に直行。
秋の夜空は、星の数だけ露が降り、外に留まることは出来ない。



柿渋染めの作品。












実の成る木。

2015-10-13 20:55:59 | 自然の不思議

秋になって,散歩をしていると実のなる木が目立つようになった。
ハナは匂いに引き寄せられて、下ばかり見ながら散歩するが、私は木を見上げながら歩いたり走ったり。

この参道を下りて右に曲がるか左に行くかで随分風景やそこに自生する植物が違う。
いつもは左なのだが、気分的に右にした。
右にするとハナのお気に入りの村にいるお友達のところまで行かねばならないので、ちょっと面倒なのだ。
同じ道でも、季節が違うと見える物も違って来る。

樹々の葉が少し透けて、ちょっぴり色付いて来たのもあって、その中に木の実が目に入って来た。
ガマズミの赤、山帰来の赤,野ぶどうの青、紫式部の紫、そしてテンナンショウの赤。
どうしてそれぞれがそれぞれの色をして、きれいなのだろう。
どうして赤で、どうして青で、どうして紫なのか。
それぞれには、それなりの理由があるのだろうが、こちら側からするといろいろあって、それが美しく、それがうれしい。
実の大きさも様々で、それが鳥の口のサイズに合ったり、味も好みがあるに違いない。

次の日,の次の日、散歩にビニール袋と移植コテとはさみを携え、勿論、ハナは欠かせない。
移植コテは、確かヤマハッカだと思う、紫の小さな花が数個、それが縦に数段付いて、それからハッカの匂いがする。
それを根から掘り起こして来た。今、どこに植えるか考え中、これって西洋のミントみたいに、際限なく増え続けるのかな?

他の実のなる木は、伐って家の玄関や居間や開山堂や東司に生けた。
ただ、困ったのは、臭木、見た目は芸術的なのだが、流石に匂いには閉口している。
やはり、実のなる木の実は、いい香りが伴ってほしい。



ヤマハッカ



ガマズミ



臭木











秋を食す。ー2-

2015-10-09 20:47:47 | グルメ

また、頂き物の御馳走の話です。
先日、お魚屋さんから新鮮なお刺身を戴き、今日は結婚のお祝いのお返しに牛肉の味噌漬けを戴いたのでそれを焼いた。

普段食べないものを戴くと、猫ではないが、喉をごろごろ鳴らし、「ごっくん。」と生唾が出て来る、くらい、わくわくする。
その期待を裏切らないおいしい牛肉の味噌漬けだった。入っていた散らしからするときっと高級品なのだろう。

戴きながら、こんなことを書くと申し訳ないが、私が普段お砂糖を使わない料理のせいか、市販のほとんどが甘くて口に合わないことが多い。
料理番組を見ていても、ほとんどの料理人は煮物などにお砂糖を、しかもかなり多く使っている。
お肉はそれ自体が甘い、そして自家製野菜もそれ自体の甘さで私は十分満足している。

多くの人はそれ自体の味に満足できないのか、それとももっと甘いのがおいしいと思うのか。
テレビで見るのは、1口、口に含んだ途端にすぐ反応する。そうしないとテレビ映りが悪いからか。
もう少し時間が欲しい。反応でなく、味わうと言う、「間」が必要だと思う。
そうすれば、コーティングされた砂糖や調味料の味でなく、それそのものの味が滲み出てくるのでは、と思ってしまう。



付け合わせは、ズッキーニとパプリカの炒め物。
豚肉のように焼いてしまったので、次はもう少し時間を短くしよう。
そう、まだ牛肉の味噌漬けはあるのです。
ごちそうさまでした。



少し固くなったレタスと黄色と緑のトマトにピーマンと素麺カボチャの酢の物。
天候のせいか、うれしいことに未だにトマトやズッキーニがなっている。