京都で芸術の秋を堪能した。
「沖の宮」は石牟礼道子さんの原作によるもので、その衣装を担当したのが志村ふくみさんだった。
お能を観るのは今回で2回目、京都の友人がお能の小鼓を習っていることからお声がかかった。
また志村ふくみさんのお弟子さんの友人からも案内状が届いた。
そんなご縁でもないとなかなか行けない。
会場には志村さんの関係か多くの紬姿を愛でることもでき、それだけで華やかな気分に仕立ててくれた。
その反面能舞台には大きな老い松があるだけでそこに各自の謳い方や囃子方が楽器を持って静々と音もなく入る。
それだけで舞台は厳粛な雰囲気を醸し出し能管の音で結界が敷かれた。
私には説明書がないと内容が汲み取れないが、その世界に浸れたのは確かだ。


志村ふくみさんにもお目にかかれた。そうそう瀬戸内寂聴さんもいらしていた。
確かにお身体は弱ってきたように見受けられたが、お二人とも凛とした表情でした。
今回強く感じられたのは、動の中に静があり、静の中に動がある、というのか、その動きは最小で最大を表現している。
また、静の中にも見えない動きがあるようにも見えた。
8人の謡の力強く声の重なる響きが重厚で身体に伝わり、太鼓の音は身体を貫く。
一つの物語がおわり、またものと何もない舞台だけが残された。
この簡潔、この間、一体なんなのだろう。
そして、今度は映画、映画も何年振りだろうか。
「日々好日」亡くなった樹木希林さんのお茶の先生が舞台だ。
久し振りにお茶の世界に遊んだ。
あのお茶を点てる音とお菓子の色と形、そして季節毎の着物と立ち振る舞いの美しさに魅入ってしまった。
ここでも季節とお茶の関わりの深さを改めて知らされた。
また、「間」と仕立てられたものは、きれいに片付けられる、これが日本的文化なのかと考えてしまった。
樹木希林さんの声と姿勢が時の移ろいを見事に表現していた。
秋の京都と言うと、紅葉なのだろうが、こんな都会だからこその芸術の秋を味わえた。
友人に、そして角界の演者に感謝です。
帰山して、お茶を一服としたかったのに、風邪を引いてしまった。













