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よろみ村くらし暦

奥能登の禅寺での山暮らし。野菜作りと藍染め,柿渋染め,墨染めのくらし暦。来山者への野菜中心のお料理が何よりのおもてなし。

秋を拾う-2-

2015-09-30 21:04:52 | 自然の不思議

朝が寒くなった。長袖にセーター、足にはレッグヲーマーをしてお弁当作り。
夜も冷えて来た。お風呂上がりも早々に寝床に入らないと湯冷めをしてしまう。

いつしか虫の声も虫の息ほどの小ささになっている。
この時季、スズメバチの勢いが凄まじい。
うっかり窓を開けておくといつしか家の中に入ってしまう。
蜂の巣は2カ所、本堂と庫裡の入り口にある。あるけれど、それが見えないのでそれを壊すこともできず、郵便屋さんにはご迷惑をかけてしまっている。

散歩道には栗の弾けたイガが転がっている。
ハナの散歩に私は秋の花束を作った。
水引、金水引,秋のキリン草、野紺菊、釣り船草、ミゾソバ、まだまだ秋の花はいっぱい咲いていて私の花束に納まりきれない。







そして今、秋は黄金に輝いている。













秋を拾う。

2015-09-28 20:50:53 | 日記

10日ほど帰山すると、彼岸花が咲き始め、甲府から持ち帰った金木犀が盛りを迎え、境内や家の中にも秋が来た。

遅咲きの朝顔は鉄線の支柱を頼りに小さな花をしっとりといくつも咲かせていた。
夏から咲き出した百日草は今になっても元気で衰えを知らない。
クジャクアスター、釣り船草など次々に咲き出して秋のパレットは色に満ちている。

畑に出ると、「エーッツ。」ことばを失った。白菜がない。
白菜の3分の2くらいが消えていた。これではキムチどころではない。その原因はナメクジだと言う。
ではなぜナメクジが発生したのか、それを突き詰めてほしいのだが。この担当は、住職なのだが、、、。
私の担当したきゃべつ、ブロッコニー、カリフラワー、日の菜、野沢菜はネットの中で無事育っていた。
優秀なのは、トマト、ズッキーニ、これからもまだ収穫できそうだ。
ところが、独立心旺盛な胡麻は自ら種を蒔き始め、「開け、ゴマ!」寸前のとこで空っぽになるところだった。

気の早いもみじは、もう赤く染まり出し、さくらも追いかけるように色付き始めた。
昨夜は今年一番の大きなお月様が上がった。
夜中に外を見ると色は消え、世界は白く輝いていた。

















おばあちゃんの手仕事展-2-

2015-09-25 21:20:58 | 展覧会

母が住んでいた甲府での展覧会を終え昨日帰山した。
今までにないタイトルだったからか、ローカルテレビで取り上げてくれた。
その反響は余りなかったが、その中で数人はその手仕事をぜひ見たいと出掛けて来てくれた。
その多くは母の年齢に近く、自分もして来たことだと自分のことのように喜んでくれた。
「そうなんだよね、懐かしいね、最後まで大事に使って来たんだよね。鳥肌が出て来た。」

そんな中、若いお母さんが子供を二人連れ、背中に赤ちゃんを背負ってやってきた。
その人は私のブログまで見て来てくれた。
実は子供は5人、ここの生活に近い暮らしをしていると言う。
母と私の手仕事を見、そして私の暮らし方の話を聞き、「勇気がわいて来ました。これでいいんだと思えてきました。」
彼女は笑顔で帰って行った。

これで母にいい報告ができたと思った。
けして大勢でも派手でもない展覧会だったが、こちらまでがじわーっとしてきた。

多分、今回が甲府での最後の展覧会だと思う。
そのことが伝わったのか、懐かしい人たちが来てくださった。
ちょっとだけNHKでバイトしていたときの上司、少しだけ銀行で働いたときの上司にも会うことができた。
「もしかして、これが最後かと思って、、。」
79と84の素敵な紳士たち、見えぬところで支えられていたのだと思った。
一人は俳句を一人は万葉集をと未だ好奇心と向学心の衰えを知らず、話していてもきらきらしている。
私もそんな生き方を見習おう!
どうぞ、お元気でこれからも素敵な人生を!

久し振りの甲府での展覧会で久し振りに書道の仲間、昔の仕事仲間などに会うことができた。
そこで知ったのは、人生山あり谷ありだった。
元気だった人が今回会うと病気だったり、自分は元気でも介護になり身動きできなくなったり。

時間が経過したことを否応なく思い知らされた今回だった。
これも含めて母のお陰かも知れない。



繕われた靴下。



母が孫に作ったもの。



母が自分の着物から作務衣に仕立ててくれたもの。



















おばあちゃんの手仕事展

2015-09-10 21:28:57 | 展覧会

母の故郷、甲府で「おばあちゃんと私の手仕事展」を貢川のバーユさんで14日から21日まで開くことにした。
母が亡くなったのが去年の9月20日、一周忌展になる。

友人から母が靴下のどの繕い物をしていると「すごい!、とてもきれい!」「啓子さん、おばあちゃんの展覧会してあげたら?」
そいいわれてようやくその運びとなる。
私にするといつもの母の手仕事を当たり前としか見て来なかったのが、他人の目から映ったのは違った風景だった。
改めて見ると、丁寧で、いとおしく、最後まで使い切る昔の人の物を慈しむ姿勢が見えて来た。

私もここの生活をすることとなり、今まで布を買って仕立ててもらう生活から、あるもので作る暮らしになった。
それはけして見苦しい物でなく、むしろ清々しさと美しささえ感じられる。

そう言う私は、布を染め、洋服などに仕立てて、売っている。ちょっと矛盾したことにもなるが、ここでの暮らしの現金収入は限られ、私にはその方法しかない。
改めて母の仕事ぶりを見ると、見えない裏の始末もていねいで、膝のところは当て布をして補強し、アイロンを当てていると目頭まで熱くなってしまった。
母の仕事ぶりから人成りが見えて来た。物事をきちんと、時にうるさく厳しい母だった。
私が縫ったところは、また解いて自分で縫い直したりしていた。ちょっとしたミスもダメ!仕事に関しては細かかった母である。
その点、父はおおらか、その両方を受け継いだと思っているが、うまくバランスが取れているかは、分らない。



後悔がある、母が生きているうちにしてあげれば良かったと、、、。

















夏の終わりの庭-向日葵ー

2015-09-07 11:00:46 | 自然の不思議

咲くとは思っていなかった向日葵が今盛りを迎えている。
それは友人から種を託され、余りのぺったんこ故、鶏も食べず、それでもと思い庭と畑にどっさり蒔いたものだ。
ところが芽を出し、茎を伸ばし葉を付け、そして花を咲かせた。

それは菊のように小さなものだったが、中には背丈を2メートル近く延ばし、それは立派な向日葵になった。

かつて、父がここに来る時、必ず向日葵の種を持って来た。
それを私は忙しさから邪見にしたが、ある年それを庭に蒔いた。
すると3メートル近く育ち、人の顔ほどもある大きな花を咲かせた。

それ以来、ひまわりを見ると父を思い出す。
あの豪快に笑った父の顔そのものだ。

また、向日葵を咲かせようと思う。
また、夏に父に会える。



夏の終わりの庭には、やはり甲府から持って来た百日紅がまだ咲いている。
色とりどりの朝顔も夏の暑さを経て、長くゆったりと咲いてクマバチがせわしげに出入りしている。
参道の下の蓮も花が見える。
釣り鐘人参も淡い紫の花をひっそり咲かせていた。
虫の声がだんだんと大きくなり、秋に庭になる。



釣り鐘人参



百日紅の下に、蒼鷺が!