よろみ村くらし暦

奥能登の禅寺での山暮らし。野菜作りと藍染め,柿渋染め,墨染めのくらし暦。来山者への野菜中心のお料理が何よりのおもてなし。

晩秋の来客

2017-11-24 16:28:05 | 日記

例年,この時季になると雪も降るのだが、その後は暖かい日が続いて数センチの雪は溶けていた。
ところが今年は晩秋と言うより、冬真直中という気温になっている。
そんな中,また中国からのお客様がいらした。
なぜここに、何が気に入ったのかこちらとしても疑問だったのがその意味が分かった。

いらしたのは日本在住が長い女性企業家その先生と言う人を連れて来られた。
その先生と言うのは、彼女が心身共に辛い時にお世話になった方で、台湾でベジタリアンのレストランを開いている企業家だった。
単なる企業家ではない。レストランも人間の食べ物もこの地球規模の環境への配慮,人類の食料事情も考えてのお店のようだ。
経営は勿論,永平寺で参禅したり、仏教書を読まれたり、心身のことについて勉強されていた。
住職の話にもメモを取り、質問したり、ここの生活にも関心がありいろいろと聞かれた。

そこで知ったのは、言語は違うけれど,もう人種とか国家とか飛び越えている。
通訳としての陳はいたけれど、話してみれば共通している感覚、志向,思考がある。
どこかで日本を背負い,日本を代表してるつもりだったけれど、それこそが度量が小さいことだと気付かされた。
一人一人が,誠意を尽くし、できることをしてゆく、それでいいのだと思った。

そう,私のたどたどしい英語でどうにか日常的なことは会話ができた。
やはり,もう少し,話せたらもっと楽しかっただろうな。



朝食,黒豆と小豆入り玄米,味噌汁,沢庵,目玉焼き,ピクルス,大根おろし,梅と山葵と海苔,高野豆腐の煮物

私と息子の料理に二人は満足してくれた。
それもここの無農薬の野菜と玄米が大いに役立っている。
ここの静かな佇まい,暮らし方を気に入ってくださった。
再見!














晴耕雨読

2017-11-20 20:38:27 | 日記

1週間の天気予報を見て声を挙げた。
「えー、一週間傘マーク!」
そう、ここは裏日本の北陸,と言うと地元の人に厭がられそう。
ここに暮らして30数年,この11月が一番暗く、そして天気が悪い。
寒さは増しても、1,2月の方が明るさは増し,地面の雪で気持ちは晴れやかになる。

晴耕雨読ならぬ、晴動雪読、そう、昨日の雪で積雪が7センチほどになった。
この居間はストーブを焚いているので暖かいが、台所や廊下はもう真冬並みに空気がとがってきた。
水にいたっては、手を鋭く刺してくる。

先日久し振りに図書館から本を借りて来た。
私の好きな角田光代と初めて読む石牟礼道子のものだ。
角田さんのは旅行記のエッセイ,石牟礼さんのはドキュメンタリーというのだろうか。
旅行記は軽く楽しく思いを馳せながら読める。
しかし、石牟礼さんのことは水俣病について鋭い視点から物申している方と言うことだけは知っていたが、読むのが辛くなりそうで避けていた。
ところが、読み出すとぐいぐいと引き込まれてしまった。
書かれている内容は決して楽しいことではないのだが、その真剣さ、鋭さ,その根底にある人としての尊厳さが語彙の豊富さと深さをもって読み手である私に問いかける。
難しいことを言っているのではない。ふつうの暮らしの市井の人の言葉や覚悟が潔く、私を考えさせる。
あまりに自分が呑気に平気にやって来たか。避けて見ぬ振りをして生きてきたかを思い知らされた。
この本との出逢いを厭がっていない自分がいる。
むしろ受け入れている自分が、自分でもびっくりしている。

それと、今,漫画を読んでいる。
私にすると手塚治虫以来になる。
「プリニウス」ヤマザキマリととり、みきの合作。
その絵の緻密さその人物のユニークさに正にローマ時代にタイムスリップした感じになった。

晴耕雨読もたのしくなりそう。
と言っても、ようやく胡麻と小豆が剥け、これから黒豆がストーブの周りで待っている。
漬け物も待っている。



秋はアップルパイ,でも今回は加熱が足りなく、ちょっと固かったのが残念。右はイチジクのジャム。



こっちはアキのやばい、格好。










雲海

2017-11-15 21:27:56 | 旅行

雲海を見にゆこう。今日はきっと見える。
友人と私は高島市の山を目指して1時間半ほど車で三国峠まで登った。
その途中の集落が雲海の下で、かつて彼らが住んでいた朽木だった。



雲海は彼と彼女とそして私の3人でたのしみにしていたまぼろしの風景だった。
でもその約束は実現できなかった。
この春,彼は癌で亡くなってしまった。

紅葉の山と白い雲海,彼が私に見せたかった時期と場所だった。
そこからまた歩いて紅葉の山道を私たちは3時間ほど歩いた。
友人は彼と歩いた道と思い出を辿りながら歩いていた。
亡くなった当初は出歩くことさえできなかったが、今ようやく自分の足で歩き始めた。
途中,熊の爪痕が残る薄暗い道もどんどん歩けたのは、きっと彼が付いていてくれたからだろう。
結局、私の意向でその道は避け日の当たる広い道を選んで歩いた。



紅葉は真っ赤に燃え、雲海は白くたなびいて静かに私たちをまた下界へと誘いもとのところに戻って来た。
彼女は訪問介護の仕事と畑と家事と犬と、明日に向ってたくましく、また歩き始めた。



彼女が用意してくれた夕飯,酵素ジュース,イチジクジャム、パンも焼いて、戴いたと言う猪のジビエとそして畑の収穫物でお料理をする。
部屋には彼の笑顔の写真が溢れ,可愛いお花も飾られて、幸せだった日々が今も漂っている。













主婦と料理人の違い−懐石料理ー

2017-11-10 21:26:03 | グルメ

初めて料理人として懐石料理をする機会を設けた。
そこは能登天領中谷家で、しかも代金を戴くことを了解してもらい席を用意した。
息子に取っては初めての一人での大舞台になる。

献立から買い物、仕込みなど1週間前からいろいろと準備して係った。
周囲から「どきどき?」「わくわく?」など声がかかったが、傍目からはちょっと呑気に見え、私の方が気が気でなかった。
人数11名、3000円と言うことで始まった。



蓮根の揚げ出し

途中、つい口を挟みたくなったが、「それは家庭料理、母ちゃんがやって。」と断られた。

見ていると、丁寧、出汁用の鰹、昆布の量の多さ、見えぬところに気を配る細かさ、季節の彩り等等、やはり本格的だった。
特に八寸の中味には念入りに配慮して臨んでいた。



いくらの醤油漬け、豆腐の味噌漬け、アジのマリネ、出汁巻き卵 丸十の蜜煮 銀杏。

お客さんと言っても気心が知れている人たちと言うこともあり、食べた後の感想は上々だった。
小さい頃から知っている友人は我が子のごとく思えたのか涙まで流して喜んでくれた。
また、当主である中谷さんからは「奢ることなく、自分を客観視できることが大事。」と餞の言葉を戴いた。
そんな人たちの暖かい励ましを受け、お金を戴く厳しさと喜ばれる歓びを味わったようだ。
本人の中では決して満足してないことや反省点が見えてこれからのステップに役立てたと思う。



お造り、アオリイカ、ガンド、真鯛。



白エビのかき揚げ



蕪と甘鯛のあんかけ

この他に、松茸のお吸い物、鰤の焼き物、百合根ご飯、味噌汁、香の物、最後にわらび餅。

私から見ても時間的なこと、量的なこと、献立の内容などちょっと気に掛かることがあった。
でも、おいしかったので、ほっとしました。
本格的で本腰を入れてやっていた姿勢がみんなにも伝わってそれがおいしさとなり、また作るおもしろさに繋がったと思う。
ここから、これから始まる。
これから、私の楽しみが始まります。
独身の頃から骨董屋通いしていたものようやく日の目を見た、かな?











よろみの秋

2017-11-02 21:03:52 | グルメ

11月1日、霜月になった。
その名の通り,初霜が降った。
一日一日周囲のもみじや銀杏の葉が色付いて、華やいで来た。

このお寺の周囲は小さな盆地で、参道は桜、もみじ、銀杏が植えられ、山は雑木山なので秋になると錦に彩られる。
以前、紅葉を求めて周囲を探したが、結局ここが一番だったことを思い出した。

畑は秋の収穫になる。
里芋、小豆、大豆、今日は落花生を掘り起こした。
残念ながら今年の収穫は期待できなかった、その通りにちょっとだけ。
狸に抜かれかけたネットをしたので草取り、土寄せを怠けた結果来年の種分くらい量とほとんどが小指の先ほどの大きさにしかならなかった。

その点唐辛子は使い切れないくらいになってしまった。
別名、鷹の爪、その名が示す通りマニュキアを施した爪のように光沢があって尖っている。



今、家中に収穫したものが広がっている。
その間アキは本堂の前に繋がれている。
なんせアキは、何でも食べてしまう。
灰、炭、土などなど、、。
流石に唐辛子は口にしていないが。

真っ赤な唐辛子、真っ赤なブルーベリーの葉、もみじの紅、そしてアキアカネ。



与呂見盆地は赤真っ盛り!



朝焼けの赤。