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よろみ村くらし暦

奥能登の禅寺での山暮らし。野菜作りと藍染め,柿渋染め,墨染めのくらし暦。来山者への野菜中心のお料理が何よりのおもてなし。

旅の終わり

2024-02-27 14:07:55 | 日記

いよいよ最終地点、七尾のお寺に向かった。そこには娘たちが避難していて、そこから九州へ旅立つことになっていた。そこは彼の実家で仮住まいになるか、定住するか決めかねているとのこと。

ようやく飼い猫を1か月確保していざ帰ろうとした矢先にまた姿を消してしまった。猫も不安で居場所にならないのだろう。結局レスキュー隊にお願いしてどうにか捕まえることができた。

翌日、猫と小さい子供二人連れて車で14時間かけて九州に到着した。その確認ができたところで、私もいよいよ帰山することになった。急に寂しさが込み上げて来た。

1か月半、長いような短いような、避難のような旅のような、日々が終わった。自分の居場所というのは住んでいた場所であり、住んでいた仲間がいてようやく落ち着ける。ところが、このブログを書いている時も2回余震があった。これが現実だった。まだまだ復旧には時間がかかりそうだ。いつになったら心の平常心が戻るだろうか。

この旅のことはよろみ村通信に書きました。みんなの優しさをいっぱいいっぱい戴いたとても貴重な時間でした。心からお礼申し上げます。

次回からはよろみから発信します。


甲府から韮崎へ

2024-02-24 14:57:18 | 日記

韮崎は両親の故郷、母の一番下の弟がいる。公務員を退職し、農業をしていたがいよいよそれも大変になって来たみたいだ。野菜がたくさん取れた時は送ってくれたり、いつも心のかけてくれていた。元気な姿を見せるととてもうれしそうだった。従兄弟たちも来てくれてしばし懐かしい話になった。

もう一人、県立医大の総婦長まで勤め上げ、趣味の山登りで気が合い、一緒にネパールに行った仲間だ。娘さんが管理栄養士ということもあり、郷土料理と何品か食卓に並び、楽しい一夜を過ごさせてもらった。

すでに時は1ヶ月を経過していた。私は本当に被災したのだろうか。時間が止まったような、もっともっと前に戻ったような不思議な気持ちになっていた。

それにしてもどこにいっても快く受け入れてくれ、また気を遣わないようにと、そこまでおおらかに接してくれたのには本当に感謝しかない。かといって流石に何日もいるわけには行かず、そろそろお暇をする時が来た。それに娘たち親子と一緒に過ごせる時間もなくなってきた。

帰路の大糸線では、いつになく風景を楽しむより、早く金沢に着きたい気持ちになっていた。


甲府へ

2024-02-20 20:06:11 | 日記

いつも甲府へ帰省する時は、大糸線から中央線に乗り換える。それは1年の四季登山とスキーをしていた山々が私を迎えてくれる。最初は白馬山麓、そして山梨に入るとドーンとした父親のような甲斐駒ヶ岳が待っていた。

すでに両親を亡くし、引き払ったため友人の家に泊めていただく。そこは中学校に勤めていた時の美術の先生のギャラリーで泊まるスペースもある。私の声を聞いてぜひ気分転換に来てと言われていた。他にも何人かに声をかけたところ会いに来てくれた。「よーく無事だったね!」自分の家族のように安心してくれた。また書道仲間とは今回会えなかった。

友人は急遽チャリテイーバザーを企画し人を集め、私の暮らしぶりを話してほしいと言われた。私の作品をいくつか持っていたのとここに来た時の写真からスライドショーに仕立ててくれた。私一人ではできないことを友人はいとも簡単にしてしまう。感心したり感謝、感謝です。

ここではタイカレーのお店に連れて行ったくれたり、山梨博物館も見学できたり、色々が凝縮した日々でした。

甲府に着いて最初に行ったのは、緑ヶ丘のお墓参りです。家から10分の山を背にした静かなお寺は以前と変わりなく、静かなひと時を過ごしました。


水はある、でも水は出ない。

2024-02-17 20:05:54 | 日記

甲府のことの前に、今の状況を書こうと思った。ここに帰って来て四日目になる。まだ時々余震が感じられる。やはり怖い。

ここの水は山水を使っている。無色透明、匂いも味もない。先日久しぶりに水道水を飲んだところ、白湯では飲めなかった。ここが一番この辺では高く人家もない。降水量の多い能登ということもあるのだろう。今まで枯れたことはない。しかし今回の強い地震で二個の貯水用の上のタンクが壊れ、今は下のタンクから水を汲んでいる。今の所2人なのでどうにか汲む回数も少なくて済んでいる。修理の途中だが、体調を崩したり1人なのでなかなか進まない。

でも、避難所の人たちからすれば不便さはあっても、不自由ではない。水は最小限、洗い物をできるだけ少なく、すすいだ水は再々利用する。ここは雪深く、こんな時雪のおかげでお風呂も入っている。雪解け水なので少々の濁りはあるが気になるほどではない。元々私が山女ということもあるのかもしれない。ただ、お洗濯の時、水槽に水を入れるのがちょっとたいへん。またすすぎは新たに水を入れて1回のみ。それでも冬ということもあって十分だと思っている。

ここの暮らしの強みはお米、野菜のほとんどが自給できること、でも流石に電気は発電していないので、ありがたい。慣れというのはある面怖いが、一方では大切なことだと思う。不便さ、不自由さを感じて初めて気付かされることがある。

思わぬ時に大事なことを感じさせてくれる。今回のことで汲み取りのトイレ、薪によるお風呂と暖房、どれだけ助けられたことか。また、多くの人に助けられて、今がある。


避難先の1ヶ月ーそれぞれのおもてなしー

2024-02-14 21:37:17 | 日記

よろみを出て1ヶ月が経ち、よろみに帰ってきた。何も変わらぬ現実を目の当たりにした。でも私は動き出した。できることから始めよう。タンクが壊れまだ水が出ない。修理をしている二人が体調を壊し、水が出るのはまだ先のようだ。それでも下のタンクから水を運び、お風呂は雪解け水でどうにか暮らしている。電気が来ただけでもここを出た1ヶ月前とは全く違い、心も明るさを取り戻している。

若者2人を残し親たちはそれぞれのところに避難した。私は最初に金沢の親戚の家。そこには娘たちがお世話になってとても助けられた。本人は朝食を食べないのに、私たちの分まで3食作ってくれた。朝の手作り酵素ジュースに始まり、夜はヨーグルトにキーウィ、こだわりの食事をいつも食べさせてもらった。

そればかりではない、ネットニュース、映画も4、5本は見ただろうか。私の狭い世界を破って広い世界を少しは知っただろうか。

次は小松の友人のところへ。そこは我が家のユキのこども2匹を飼っている猫親戚の家。猫に対する愛情は熱く、お座り、待てまでできる猫に育てている。そこで知ったのはナースをしていることもあり、人の闇の部分、老いについての話も聞くことができた。また、最近白髪が気にしてくれて白髪染めまでしてくれた。でも、多分、もうしないだろう。

次は下諏訪の銀月という旅館に1泊。ここは銀座のバー加島を通して知った宿。この震災を受けて料金なしで泊まらせてくれた。久しぶりに温泉に浸かり、夕方は湖畔と遠くに山並みを背景に夕焼けが見られた。優雅なひと時を過ごさせていただいた。

次は故郷の甲府へ。