よろみ村くらし暦

奥能登の禅寺での山暮らし。野菜作りと藍染め,柿渋染め,墨染めのくらし暦。来山者への野菜中心のお料理が何よりのおもてなし。

消えてゆくもの、、。

2021-03-25 10:07:43 | 畑仕事

消えてゆくもの、出てくるもの。
雪が消えて土が出てきた。



雪の下から水仙と蕗の薹が出てきた。

雪が降ると、土が消える。でも、覆われただけで土がなくなったわけではない。
雪が消えたと言っても水蒸気となって気化しただけで小さく小さくなって分子的になっただけで消えたとは言えないだろう。
この目で見える、見えない、そのことによって状況が全く違ってくる。

土はそのままそこに留まっているが、雪は変幻自在、自由気まま?
雪があると、そのままじいっとしていていいよと語りかけてくれる。
しかし、土が出ると「ほら、もう動きなさい!」とせき立てられる声が聞こえる。
私の春が始まった。



雪の上に落ちた白木蓮の花が台所で咲いた。

ユキの子6匹が生まれて、ユキのぽっこりしたお腹が消えた。
出てきた子猫たちは1週間で100から200グラムになった。
ユキのおっぱいがぷっくり出てきた。すっかりお母さんだ。
帝王切開の抜糸をしたところ、ユキが畑に出現。
まだ電気柵のない畑に今度はアキも出てきてユキを追いかけた。危ない危ない!
どうか、無事に育ってくれますように。












一番。

2021-03-19 09:37:47 | 日記

ここは能登で一番寒くて、一番雪が多い。
まだ畑の半分は雪に覆われている。



最近の一番のご馳走。

一番というのも、比べる対象によって決まる。
比べることで初めて一番と言える。
一番と言わなくても、いつでも知らず知らずに比べてしまっている。
確かに比べてみないと分からないこともある。
でも多くは、優越感だったり安心感だったりしている。

この冬、私が観た映画は2本。「マダム イン NY」と「グリーンブック」
どれも友人からの推薦によるものだ。
2本の中でグリーンブックは今までの中でも突出していた。
人種問題、知性と暴力、劣勢のものが自分よりもっと下の者とみなしたものに優位に立つ。
社会の問題、人間性、環境など多くの問題を提示していた。
追い詰められれば誰にでも起こりうることだと思う。
それでもその人の中の温かなものに触れると人はわだかまりがなくなり友となる。
見終わった後、しばらくはその余韻に浸っていた。
この映画を作った人、見て共感した人がいる。まだまだ人間て救いがあるのかな、と思ってしまった。
私はこの周りの中では一番遅く、友人はもう何度も見ており、「これ、最近の一番。」と推していた。
そうそう、マダムの方は与呂見村通信に書きました。ご一読ください。

私の中の一番はなんだろう。
と、考えるといいことを思う。分からない。
では、悪いことの一番は、これも分からない。
自分を知らないからか、比べる対象がないからか、難しい。
でも、これを知らなくとも日常的に不便はない。
今、住んでいるところが、一番、と思っているのは幸せだ。
春一番は、いつ吹くのだろう。



私が友人におねだりしたタルトタタン、最近のお菓子で一番のケーキ。りんご8個入っているとか。最高の誕生日でした。







いろいろあった1週間

2021-03-16 14:07:35 | 日記

9日、肉まんとあんまん作りの日、キムチ作りの次の手作りDAYがこの日。
すずの友人と娘、そしてアシスタントの私、先ずは皮作り、次に肉のあん、私は自前の小豆と胡麻で餡作り。
二人はあんに捏ねた皮で包むのに苦労していた。蒸す前は半分は失敗かと思っていたらしいが、蒸しあがってみると大成功!
その時の二人の歓声の大きなこと、周りもびっくり。
何よりもふわふわ、もちもち、そしてあんのやさしく充実して濃厚過ぎず、甘過ぎず、手作りの醍醐味にご満悦の会でした。



出産前

10日はここ与呂見最後の若者の送別会の女子会。
本人の希望を入れて唐揚げにサーモン、鰻、鯖などの巻き寿司、3男が腕を奮いました。
お礼にと薔薇の花束などが贈られ、賑やかな夜の会でした。
4月からは東京のファッション関係の学校に通うとか、「無理せず、いつでも帰ってきていいんだよ。」おばさまたちのエールでした。

13日、「シッダールタ」の勉強会、次世代の若者たちが集いました。
14日、先代住職の誕生日、娘はシフォンケーキでお祝いです。本人の希望でカツ丼、作る方はちょっと拍子抜けしたみたい。

そして昨日、15日、ユキの3回目の出産が難産となり、1時間程遠い病院で帝王切開、その道中もパニックとなり二人掛かりでも大変でした。
麻酔が効き過ぎたのか4時間ほど経っても目が覚めず、低体温、脱水の症状で輪島の病院に、結局入院。
その間、息子が子猫6匹のミルクを3時間おきに与えて一晩面倒を見る。
そして今朝、元気になって戻ってきた。



戻って来て子猫の鳴き声を聞きた途端、子猫のところに走り舐め出した。
そして今は、ようやく落ち着いて親子で眠っている。
それにしても猫の母性、子猫の生命力には感心させられる。
私たち家族もほっとしたのでした。
まさかの難産、まさかの帝王切開、そして入院、生きているって、いろいろありますね。
6匹の子猫、貰い手あるかな?
今までは、人懐こく、賢くてとても評判いいんだけど、、。











花が咲く

2021-03-08 10:28:42 | 自然の不思議

花が咲いた。
梅の白い花が咲いた。
花が咲いた。
万作の黄色い花が咲いた。

花が散った。
桃の赤い花が散った。
篠田桃紅さんが107歳で亡くなった。
書道をしていたのでそのお名前と作品は本から知っていた。
その作品は正当な書道から離れ、彼女独自の世界があった。
好きか嫌いかと問うと、決して好きとは言い切れなかったがその色と線の大胆さ、おおらかで鋭さに何か惹かれるものがあった。

最近、ブックオフで見つけた本のエッセイで初めてその生い立ちと心情と感性と知った。
それには自分の感性を貫く強さと物事への細やかな配慮とこだわりあった。
100歳を過ぎても衰えを知らない意思と行動と感性にただただ驚くばかりだった。
作品を書き続ける体力と気力に尊敬と憧れを持った。
非凡な者に備わった素質だけでなく、その姿勢、暮らし方が大きく関わっている。



そうか、やはり人は死ぬんだな。
ありがとうございました。

木の枝先に咲いた雪の花は氷となって落下したり、いつしか消えてしまった。
その枝先には赤や緑の新芽がこわごわ顔をだしている。
消えた雪の下には蕗の薹の先っちょが見える。
畑はまだ一面の雪に覆われている。
私の畑は除雪車の雪置き場となっていて、雪解けにはまだ時間がかかりそう。
でも、確実に春は進んでいる。
 


2日間の正法眼蔵の勉強会が終わった。
長年聴いていても「わからない。」そのことだけはわかる。
わからないということが大事だともわかる。
私の中の雪解けではないが、じわじわと身にしみて来るのだろうか。
いや、ある時突然「ああ、」と来るのか、わかろうとすること自体が違う。
仏法は坐禅だと、まだまだ遠い。









春の兆し

2021-03-02 21:47:58 | 日記

いつの間にか三月となり、もう春、なのかも知れない。
先日の土日に金沢に行ってきた。
各家の庭先にはチューリップの芽が出ていて、通りを歩くと花の香り、ふと見上げると白梅と紅梅が咲いていた。
ああ、そうか、もう金沢は春なのか。



そして与呂見、昨日は春、しかし今日は冬、雪も積もった。
炬燵からの畑の定点観測では目印の支柱がだいぶ下まで見えてきた。
雪の中から大根を掘り出すのもだいぶ楽になったようだ。
参道を散歩すると木の芽も赤く色付き大きくなってきた。
田んぼの雪も消え始め下から土も見えてきた。
と言っても、まだまだほとんどは雪の下だ。

でも、顔に触れる空気の温度が柔らかくなってきた。
雪も霙まじり、やはり冬の雪とは違う。



いたずらのハート

この冬の私の休みで得たものは、何があるだろうか。
いくつか本を読んだけれど、どれだけのものが知識となり、それが身に付いたのか。
忘れるものの方が多くなってはしないか、と自問自答している。
後1か月あまり、春の兆しを感じると焦りが伴っている。



通信の季節になった。
すでに書いたのだが、金沢の友人のところで見た映画、「マダム イン NY]
それを与呂見村通信に書こうとしている。
ジェンダーと主婦について、書けるかちょっと心配。