「中国政府がメディア・言論を規制強化、批判報道を禁止に」という記事が出ていた。またもや今まで以上に言論統制が強化された。この国に、言論の自由がないことは昔から解っていたが、ここまでやるか、という気がする。言論の自由も思想の自由もない国、人権無視の国、一体何があるのだろうか。これほどまでに人民を絞めつけて、この国の人たちは何が出来るのだろうか。何が楽しいのか。生活してて、生きているだけなら動物と全く変わらない。動物園の動物と何が違うのか。
世界をリードする国になれない、ということはこのブログでも何回も書いている。自由が全くない国の人間が何か言ったとしても、それは本心ではなく言わされているとしか思えない。そんな言葉を聞いても何の足しにもならない。何の参考にもならない。この国で暮らしている人たちには、自由とは何か、ということを知らないだろう。だからもしかすると困らないのかもしれない。我々が考えるほど困っていないのかもしれない。自由が如何に大切なものなのか、そんな議論をしたこともないのだろう。
経済が潤っているというが、人民はそれで満足しているのだろうか。お金が懐に入り、好きなものが手に入る。食べるものがあり、それで満足だというのか。何も考えないで単に時を過ごせればそれでいい。なるほど、単純に考えれば自由がなくても、人権が無視されても普通の生活が出来ればそれでいいのだ、という考え方であればすむのかもしれない。それでは単なる動物園の動物である。餌を与えられて、少し運動をさせてもらう。彼らは、動物園の動物なのである。だから生活ができるのである。
中国の言論統制を強化することが、いかに前近代的であるか、ということが政府中枢にいる人間には解っているのだろうか。この国を治めるには、この方法しかないというのかもしれない。歴史を顧みれば、5000年の間に、様々な政治形態が行われてきた。今と同じような政治形態の時代もあったはずだ。しかし、その昔は民主主義などという言葉はなかった。だから独裁政治でも問題はなかった。しかし、現代は時代が変わっているはずだ。5000年前とは違う。時代錯誤のままの政治形態で国を運用すること自体おかしい。
小生は日本人でよかった。中国人でなくてよかった。つくづくそう思ってしまう。中国人民は国を憂えているかもしれないが、何も手を打てないのかもしれない。いや、誰かが行動するかもしれない、と考えている人もいるはずだ。そういう人たちが何時かは動くかもしれない。何時動くかは解らないが、それほど遠くないと思う。しかし、不思議な国だ。今の中華民族は、まるでロボットのようだ。言論統制をここまでやっても、誰も動かない。不思議だ。