MR.コールマンの挑戦日記

セカンドライフを迎えて趣味のランニングや街歩き、スケッチ水彩画、地域活動などの日常のあれこれを綴っています。

鎌倉玉縄城址歴史散策

2018年07月20日 | まち歩き
藤沢市と鎌倉市の市境近くにある「玉縄城跡」周辺を巡ってきました。
「玉縄城」は、約500年前に北条早雲により築城された平山城と言われていますが、それ以前からずっと前から砦か小城としての機能はあったとも言われ、鎌倉の防衛や小田原城の守り役も果たした歴史あるお城だそうです。

402号線の諏訪神社前から城跡へ向かうと、住宅街に立派な「長屋門」がありますが、長屋門を右に曲がり住宅街を約500m先に冠木門(黒門)があり、城跡への「七曲坂」に取りつきます。




「七曲坂」は急坂ではありませんが、名前通り右に左に曲がりながら上りますが、この道も当時からあったようで、主郭部を防衛する役割を果たしていたのでしょう。

坂の途中には、防御の拠点だった「武者溜まり址」が残されています。


さらに急階段を上るとその先の高台には櫓のような建物が見えてきますが、民家の建物でしょうか?




城壁の石垣には、草のアートも見られますね


高台からは、七曲坂下方面から敵の攻め込みを真上から眺められますね


坂上の「太鼓櫓跡」と名付けられた小さな台地がありますが、こちらからも七曲坂を見下ろせて、櫓があったようです。


高台の周辺は住宅街となっていますが、城跡の本丸跡などは現在は清泉女学院の構内となっていて、当時を偲ぶ光景は確認できませんでした。


学園の奥には、裏門のようですが「大手門跡」と記されていました。


高台から「七曲坂」を下り、歴代の玉縄城主北条氏の菩提寺の「龍寶寺」へ向かうと、茅葺の素晴らしい山門が見られます。



山門の脇には、鎌倉で最も古いとされる庚申塔や道祖神、馬頭観音像などの石塔が立ちかなり古いもののようです。


本堂の左手奥には、北条一家の墓所があります。




広い境内の墓地裏には、雑木林の山道が続き古い祠も立てられていましたが、その由来は判りませんが、歴史ある風格を覚えます。




歴史音痴のkormanですが、鎌倉時代から南北朝時代の歴史トレイルを学ぶ機会となりました。
コメント
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