MR.コールマンの挑戦日記

セカンドライフを迎えて趣味のランニングや街歩き、スケッチ水彩画、地域活動などの日常のあれこれを綴っています。

第92回 高校野球選手権~神奈川大会

2010年07月31日 | スポーツ

全国一の激戦区である神奈川県大会の決勝戦が、一日順延されて昨日行われ、東海大相模が33年振りに、宿敵横浜高校に圧勝して、春夏連続の甲子園への切符を手にした。

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全国では、各県の代表が毎日次々と決定していたが、この日で大阪を除いて全て決定したようだ。

高校野球オタクを自認している管理者は、開会式以来 毎日各球場の結果を注視てきており、身内の出身校には、毎年球場へ応援に出向いてきたが、今年は猛暑や所用と想定外の1回戦敗退などで、球場へ行けるチャンスを逃していた。

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最も期待していた桐蔭学園には、今年も宿敵横浜高校に準々決勝で逆転負けしており、次の期待校の東海大相模に期待して、この日はテレビ観戦で応援していた。

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東海大相模も毎年、準優勝が指定席となっていたほど、甲子園には縁が薄かったが、春には久しぶりに甲子園の舞台を踏んでおり、春夏連続出場を獲得し、思わずバンザイを叫んでいた。

今大会では、一二三(ヒフミ)投手が春の不調がウソのように好調だったようで、実力を発揮しての順当勝ちの結果であったと思うが、高校野球は何が起きるか判らない。

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表彰式の後の恒例の大会歌の『栄冠は君に輝く』に乗っての場内行進には、流れるメロデイについて歌っているが、「雲はわき 光あふれて 天高く  純白の球・・・・・若人よ・・・ ほほえむ希望 ああ 栄冠は君に輝~く」 と、最後まで声が出ない程、感激を味わっていた。

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正に、この日のスタジアムには、雲が沸き光りあふれており、勝者にも敗者にも 希望溢れて栄冠が輝いていた。

神奈川では180校の強豪校や公立校の初勝利を目標にしている学校など様々であるが、一戦一戦の闘いには、選手一人一人の汗と涙が伝わってきて、それぞれにベストを尽くした熱い思いを感じてくる。

高校野球は、選手にとっては生涯の想い出であり、おそらく生涯で一度しかないようなその瞬間は、忘れがたいものではなかろうか?我が息子も球児であったが、今も3年間の野球生活は鮮明に覚えているそうだ。

甲子園では、春の屈辱を晴らして神奈川代表として、我がジャイアンツ愛溢れる「原辰徳」先輩に負けない成績を期待したい。

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猛暑が続く中で連日熱闘が繰り広げられていたが、若人の元気が我々中高年には、大いなる元気と勇気を与えてくれました。ありがとう・・・・・・

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オールデイーズの想い出

2010年07月30日 | 音楽

猛暑日が続いていたが、久しぶりに恵みの雨で一息ついて、外出も控えて音楽を聴きながら水彩画を描いたりでのんびりと家の中で過ごした。

我々世代が聞く音楽と言えば、演歌系かJAZZ系が多いが、POPs系は余り好きじゃない。

しかし、懐かしい『オールデイーズ』は、忘れられない曲が多く、『我が青春』そのものである。

最近は、結構レコード店やラジオなどで、耳にする機会があり、思わず立ち止まったりして お~とビックリすることがある。

これまでも市販のCD版を聞いてはいるが、選定曲は今一であり、車内で聞く程度であった。

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近くの行きつけのヘアーサロンのマスターが同世代で、いつもサロンへ出かけると、終日 オールデイーズ・サウンドが流れており、憩いの一時を過ごすことが出来る至福の時である。

マスターと当時の思い出話をしていたら、知人に熱心なオタク的なコレクターファンの方がおられて、ダビングしてもられると聞き、早速、マイベスト25曲を選び『オールデイーズ マイアルバム』を創ってもらった。

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「カレンダーガール(ニール・セダカ)」、「ベビーフェース(ブライアン・ハイランド)」、 「可愛いベービー(コニー・フランシス)」、 「GI ブルース(エルビス・プレスリー)」、 「君は我が運命(ポール・アンカ)」、 「恋の片道切符(ニール・セダカ)」、 「ミスターベースマン(ジョニー・シンバル)」など・・・25曲は、60年代に毎日 当時宝物だったトランジスタで聞いていたものばかり・・・

誰もが同世代の人は、口ずさめであろう懐かしいソングばかりで、現在のサザンやSMAPの曲に相当するのだろうか?

思わず 「I love,I love,I love my calendar girl・・・」、「You are my destiny ~」など 口ずさみながら、気がつけばCD]は何時間も掛けっぱなしだった。

先日も、NHKで、想い出の名曲のザ・ワイルド・ワンズの「想い出の渚」が紹介されていたが、自然と「君を見つけたこの渚に 一人たたずみ 思い出す 小麦色した 可愛い頬 ・・・・」を懐かしく歌い出して、オヤジ世代の青春時代を懐かしく想い出していた。

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懐かしのメロデイーに乗りながら描いていた「スケッチ水彩画」は、先にデッサンしていたものに着彩を修正したがようやく仕上がっていた。

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スイム・トレーニング

2010年07月29日 | スポーツ

夏休みに入り連日 猛暑日が続いているが、恒例の学校プールの一般開放が始まり近くの小学校の監視員として、先日 勤めを果たしてきました。

毎年、管理指導員としての研修を受けての役割であるが、この一日は、緊張の続く長い一日であった。

連日の猛暑が続く中で、先日は光化学スモック注意報が発せられて、半日の開放閉鎖があったばかりでしたが、この日は適度な風もあり、終日家族連れや近隣の子どもたちで大賑わいとなっていた。

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朝から水質管理や清掃などの開放準備の間も、子ども達は受付で開放を待って並ぶ状態となり、チェックポイントを確認して迎え入れたが、顔見知りの子ども達の嬉々とした顔が印象的であった。

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水に親しみながら親子の触れ合いは、見ていてもこころ和む光景で、水しぶきを浴びながら楽しむ姿は、何とも微笑ましい・・・

この日は、午前・午後で延べ約80人程度であったが、プールサイドで全ての遊泳者に目を届かせているのは、想像以上に大変な疲労感を感じていた。

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無事この日のプール開放を終えてスイムへの刺激を受けていたので、昨日は公営プールへスイム・トレに出かけてきた。

ミニ・トライアスロンまで、2週間のカウントダウンが始まったが、依然としてスタミナ不足と基本のマスターが出来ない苛立ちを覚えており、泳ぎ込みの日と決めていた。

平日の午後遅くだったので、50Mプールは約20人程度のスイマーだけで、空いており非常にマイペースで、楽しみました。

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どうしてもキックを使わないで泳ぐ習慣がついているので、以前にもトレーナーから指導を受けたキック力を付けるドリルメニューに約30分ほどやってみたが、細かいテクニックを必要とするようで コツを掴むにはとにかく難しいことを実感した。

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この日のメニューは、アップ200M、ドリル 200M、スイム 400Mで体がアップアップしてきたので打ち切ったが、スタミナ不足と筋力弱を実感したトレーニングだった。

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プールまでの往復は、バイクで約12Km弱とデユアスロンにもなっているが、水と空気の抵抗に逆らいながら、筋肉強化の日々が続く・・・・・

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サマー・コンファランス2010

2010年07月28日 | 日記・エッセイ・コラム

パシフィコ横浜で開催された『サマー・コンファランス2010』のセミナーに参加して、各地のJCI(日本青年会議所)メンバーとの交流を通じて意義ある時を過ごしてきた。

『サマー・コンファランス』(サマコン)は、毎年、JCIの活動の発信の場として、政治・経済・社会などの様々な領域での課題について、各界の著名な知識人を招いて検討するフォーラム・セミナーで、今年もパシフィコ横浜で開催された。

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知人から紹介されて初めて参加してきたが、全国各地からJCIメンバーが集い未来に向けて考え・話し合い・行動する青年の素晴らしいエネルギーを感じて、元気と勇気を与えてもらった。

今年のテーマは、『時代を切り拓く!NEXT STAGEへ』・・・~私たちの選択から『世界に輝く日本』に向けて~と、現代の危機的な世相を考え、この歴史的に転換点に如何に行動し、切り拓くべきかを認識する場にしたいと主催者の意思が伝えられた。

今年は、「人づくり」「地域づくり」、「国家づくり」の三つの柱で、さまざまなフォーラムやセミナーが準備されており、現代の日本や地域が抱える問題とその対応を議論する企画であった。

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各フォーラムやセミナーには、今年も各界を代表する著名な講師を招かれており、全てのフォーラムに出席したいほど魅力的テーマであるが、スケジュールが重複しており、止む無く『国家づくり』のジャンルに参加していた。

オープニングには、小泉進一郎衆議院議員の力強いメッセージがあり、スタートしていたが会場には熱いエネルギーが漲っていました。

メインフォーラムの『世界に輝く ”NEXTSTAGE"へ』では、田母神俊雄氏、徳川家広氏、細野豪志氏、池田健三郎氏のパネリスト・コーデイネーターにより、活発な議論が行われたが、会場の国立大ホールは、各階が満席に近い参加者で埋まっていて、日本の危機の問題意識や輝ける未来を創るために、今何をどう行動すべきか意義ある意見が出ていた。

今、国民の中に、無関心層が拡がっていることが最も危機的状況であり、「明るい豊かな社会実現」のために、国民一人ひとりが、意識して出来る事を確実に実行する必要があることを実感し、会場の出席者からも多くの賛同を得ていた。

午後は、『明日から動く外交推進フォーラム』に参加したが、中西輝政氏の基調講演や門司健次郎氏、松本光平氏のパネリストの議論では、『自分たちの国だから、自分たちがまず動こう』のサブテーマで、日本の実力・民間の実力を意識して、国益を守るために国際社会の中で、国家意識をもって行動する必要を改めて実感していた。

会場の交流の場では、各地域ブロックからの出席者と情報交換など行われていたが、宮崎ブロックから参加された会員の方に口蹄疫問題でお聞きしたら、やはりJCIメンバーの方も大変なご苦労があったようで、解決に向けて活動されたそうである。

今回の講師の方々には、原口大臣、細野副幹事長、田原総一朗氏、河村たかし氏、斎藤孝氏など各界の著名人の名前を見たが、これだけのメンバーを集めてのフォーラムは、他には無いのではないだろうか?

また、展示ホールでは、『地域活性たから市』が開催されており、日本の食料自給率40%という状況を考え、食文化を見なおしていこうと、日本各地の魅力ある食材などが紹介されており、名産品を食味しながら、参加者の交流が行われていた。

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秋に大阪で開催されるJCI世界大会での再会を約して、交流されていたJCI会員の輝きを見て、大変こころ強く感じて会場を後にした。

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「明るい豊かな社会の実現を目指して・・」、修練・奉仕・友情を基本に今日も活動されている青年の姿を目のあたりにして、大変心強くなりその環を広げて行ってもらいたいと願い、国民一人ひとりの行動が、国益に繋がり日本丸を救うことになると実感して、意義ある一日となった。

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国立大ホールからは、この日もみなとみらいのぷかり桟橋やベイブリッジが、美しい姿でJCIの訪問者を歓迎していました。

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第5回 藤沢宿・遊行の盆

2010年07月27日 | まち歩き

日本列島を包みこむような猛暑が連日続いている中で、夏祭りシーズンを迎えて各地で様々な夏祭りが開催されており、賑わっているようだ。

鎌倉時代に盆踊りの発祥と言われている「踊り念仏」を広めた一遍上人のゆかりの寺遊行寺と藤沢駅周辺などで、24日の前夜祭に続いて25日は遊行寺境内で、盆踊り大会があり、夕方から遊行寺へ出かけてきた。

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第5回を迎えた今年は、藤沢市制70周年を祝っての一大イベントとして盛大に行われており、地域活性化の役割も担って夏の風物詩として定着してきたと聞いている。

前夜祭では遊行通りで、恒例の創作踊りの『遊行ばやしコンテスト』が行われて、市議会議員連など地元の踊り自慢の団体など25団体が参加して、鮮やかな衣装や流し踊りを競いあい、優秀賞や特別賞に約10チームが選ばれた。

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我がご近所の公民館で活動しているジャズ体操クラブも毎年参加されているが、今年は特別賞を受賞して、遊行寺境内の本祭り盆踊り大会に出場して踊りを披露すると聞き、応援に出かけきた。

遊行寺には、久し振りの訪問であるが、日暮れ前からフリーマーケットや屋台が出ており、お祭りムードで盛り上がっており、近辺からの家族連れなどが浴衣姿で賑わいを見せていた。

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前座イベントでは、地元の無形文化財となっている太鼓集団の「西富ばやし」「きやり」の演奏・演技が行われて、多くの観衆から拍手を浴びていた。

遊行寺本堂に参拝して、境内や裏山を散策してみたが、さすがに時宗の総本山である『遊行寺』は、奥深く貫禄がありました。

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現在の藤沢市の市名の由来も遊行寺の門前町であったことから遊行寺の正式名の『藤澤山(とうたくさん)』から、来ているそうで、開山以来700年の重みを感じました。

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本堂裏には、静かな佇まいの歴代の遊行上人の墓や宇賀神社があり、一回りして中雀門、放生池、大イチョウなどを散策したが、イチョウ周りの喧騒とは、別世界であった。

開式にあたり、現上人の挨拶で、「遊行」とは、僧侶が修行・勧進のため諸国を巡り歩くことを言い、代々の遊行上人は、念仏をすすめていると紹介があったが、念仏を称えながら踊ることにより、心に安らぎと歓喜を与えるので、元気よく踊って閉塞感を打破してほしいと訓示があり、観衆に笑顔が湧いていた。

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コンテストに入賞した踊り連の「遊行ばやし」が始まると、鮮やかな衣装と艶やかな手振りが披露されて、観衆からフラッシュを浴びていた。

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踊り手の皆さんの顔には、汗が流れるように浸たり落ちており、小道具のセンスで仰ぎながらの踊りは大変だったようです。

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夕暮れ時からは、国指定の重要無形民族文化財となっている秋田県羽後町の『西馬音内(にしもない)盆踊』の友情出演があり、貫禄ある踊りには、先の入賞踊り連からも賞賛のか拍手が寄せられていた。

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その後には、西馬音内踊り連も加わり、市民大盆踊りが始まり 老弱男女が手をとりあって踊りを楽しんでいた。

この日は、まもなく雨模様になってきたので、早々に引き上げたが、毎年参加している方の話では、今年は観衆の数も今一だったようで、期待していたような集まりではなく、お祭りムードが一杯というほどではなく、一抹の寂しさを感じたのは、自分だけでは無かったようだ。

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ツール・ド・フランス~最終ステージ

2010年07月26日 | サイクリング

3週間前にロッテルダムをスタートして、フランス国内、アルプス山脈、ピレネー山脈約3500KMを走り抜けて、長いなが~いツール・ド・フランスもようやくパリにゴールへ・・・・

最終ステージまでの終盤では、17ステージのトウールマレー峠ゴールの最も激しいマイヨジョーヌ争いの闘いを期待していたが、A・シェレクとコンタドールのアタック合戦が見られたものの、最後はコンタがシェレクに譲って同時ゴールで期待外れに終わり事実上のマイヨジョーヌは決定していた。

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18ステージは、平坦コースのステージ争いはあったが、この日はチーム争いが主体の静かなステーじだったようで、スプリンター決戦では、カヴェンデイッシュが抜けだしてのステージ優勝を獲得していた。

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19ステージの唯一の個人TT(タイムトライアル)では、A・シュレクが最後の挽回チャンスでどんな反撃があるのかと期待していたが、ここでも

もともとTTでは、コンタが実力では優位であるため見どころもなく、予想通りコンタドールとA・シュレクとのタイム差は、39秒に開いてマイヨジョーヌ争いは、コンタドールの2連勝が決定していた。

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ステージ優勝は、圧倒的なスプリント力で、カンチェラーラが他を寄せ付けない抜群の力で勝ち取っていた。

また、チーム優勝は、常に話題を振りまいていたランス・アームストロング率いるレイジオ・シャックが初優勝して、実力通りだったのだろうか?

パリ・ゴールの最終ステージは、お祭りステージと言われるように、「戦わないステージ」で、勝負しない掟があるようだ。スタートでは、仲良しのコンタドールとシェレクが、互いに健闘を讃え合っていた。

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この日の最大の話題は、レイジオ・シャックのスペシャルジャージである。

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ランス・アームストロングが世界にアピールするガン撲滅運動として、『ガンと闘う2800万人の為に走る・・・』と、登録されていない黒ジャージを着てレイジオ・シャックが、スタートしたが、UCI 審判から警告されて、正規のジャージへの着替えを命じられていた。

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さらに着替えたジャージにも、ゼッケンが付いていなくて、バイクを降り座り込んでゼッケンを付け直していたが、アームストロングはしらけた雰囲気で抵抗感を露にしており、解説によると、従わなければ失格になると警告されていたようだ。

この間には、先頭は止まって待っている状態で、ようやくジャージ&ゼッケン着用が終わり正式スタートが行われていた。

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このトラブルの話題は、世界中に報道されると思うが、画面で見る限りの様子では、王者ランス・アームストロングらしい?抵抗を見せていたようだ。

正式スタート後は、恒例の走りながらシャンペンを掲げてのお祝い乾杯でグラスを交わし、伝統の慣習のようだ。

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スタート時には、我が新城がコンタドールと肩を組みながら走る場面もあり、このシーンも永久保存シーン間違いないようだ。

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そんな経緯を踏みながら、パリ市内に入りエッフェル塔やパリ市民の大観衆に迎えられて凱旋門やルーブル博物館周囲を周回して、大観衆の歓呼に応えながら快調にプロトンが進み、パリは特別のお祭り展開されていた。

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昨春に、シャンゼリゼ通りを散策しながらゴール地点を確認してきたが、あのスポットは観衆で埋め尽くされていた。

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期待の我が新城選手のスプリントに期待したが、先頭集団の中で 16位と健闘して、大拍手をしたい。総合順位でも112位と大健闘だったようだ。

表彰式では、個人賞と共に、黒ジャージに着直したアームストロングのレイジオ・シャックチームが、表彰台に並び、『LIVE STRONG』と改めてガン撲滅を世界にアピールしていた。

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長かったツールも終わったが、今回もあやふやな掟なるものを、観てきて他のスポーツでは、考えられないものを見せつけられたが、「これが、ツールであり、ロードレース」なのだと言われると???である。

【添付写真はテレビ画面より】

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富士登山~その2

2010年07月25日 | 山行・ハイキング

第63回富士登山競走の応援を兼ねて、快晴の富士山登山で吉田口コースに挑戦したが、期待以上の快晴の天候に恵まれて、久し振りに登山の醍醐味を味わった。

富士スバルラインには、7時前に着き五合目を目指したが、生憎にも五合目駐車場は満車となっており、約2キロ手前の路傍駐車場で止められて、ここからの出発となった。

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富士山は、すっかり夏の姿に変わっており雲もなく笑顔で迎えてくれたようだ。

学校が夏休みに入った最初の週末とあって、今年一番の登山客で賑わい、登山ブームも反映してか、今年の夏シーズンの登山客は例年以上に混雑が予想されるそうだ。

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6合目の安全救護センター前では、登山競走の出迎えで家族や仲間が、今か今かとランナーを待っていたが、急ぎ7合目へと歩を運ぶ。

今回は、やたらと外国人登山客が多く、中国人グループやUS Navy の登山客が目立ち、挨拶を交わして上を目指したが、初めての富士山だという中国人グループは、やたらとはしゃいでいて楽しそうだったが、果たして山頂まで登れるのかと、いらぬ心配して先へ進む。

本7合目手前から、ランナーに追いつかれて、岩場のコースなどは、ランナー優先で道を譲りながら、一歩一歩と上を目指すが、中々進まない。

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正午近くから、次々と積乱雲が沸いてきて、美しい青空に映えて、富士山でしか見られないような「入道雲」の展示会のように、色々な形の雲が登ってきて、美しい天然ショーを見ているようだあった。

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本8合目を過ぎてからは、ランナーの大群も過ぎて、マイペースで登れるようになったが、逆に酸素が薄くなってきたのか、岩場を登るのに喘ぎ喘ぎの苦難が続いた。

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上や周りの景色を眺める余裕もなくひたすら足場を探しての岩登りが約1時間で、ようやく山頂の久須志神社が見えてきたが、これからがまた一苦労であった。

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山頂直下には、電通社の賽銭鳥居が立っており、鳥居の裂け目や礎に、登山者が置いたものであろう賽銭が乱れ置きされていた。

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難攻苦行でようやく山頂久須志神社に到着して、多くの登山者は達成感を満喫して記念写真で大賑わいだったが、すでに登山競走のゴールは、撤収されていた。

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山小屋通りを過ぎて、剣が峰(3776M)山頂を望むと、快晴のもとお鉢巡りのコースが一望されて、鉢底(大内院火口)が大きく口を開けており、吸い込まれそうな錯覚を覚えた。

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風もなく快晴の好条件に恵まれていたので、時間も制約されていたが、お鉢巡りを決行して剣が峰へ向かったが、一部残雪も見られ除雪したばかりだったようだ。

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鉢めぐりコースには、いろいろな峰や岳がありますが、見る場所によりどれが最高峰なのかの考えるほどで、久須志神社に近い山頂は、大日岳と伊豆岳だそうで、高度は殆ど違わないそうだ。

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大日岳には、これも電通の研修登山記念の鳥居が目立ち、賽銭が置かれていた。

かって電通に勤務していた知人も、社内研修でリーダーとして登山したことを聞いていたが、如何にも体育会系の研修のようで、指導者の意思は、「苦しい時は、上を見ず周りを見ないで、常に足元をみて進め・・」ということだそうですが、今の世相を生き抜く若者には、実践して欲しいものである。

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急ぎ足で鉢巡りの後は、下山道を降りるが、これがまた登り以上に難行で、約3時間つづら折の石・砂混じり道を、滑るように降りるが、大腿筋や腰が痛くなるほど、苦痛の3時間であった。

7合目辺りではガスがかってきて視界は10M位まで落ちて、雷も鳴り出して不気味な天候となってきたが、救護センターまで降りてきた頃には、また、急に視界が拡がってきて、山の天候の変化は、厳しいものである。

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5合目に着いた頃は、富士山はウソのような美しい姿で現れて、「また、来てね~」と呼びかけてくれたが、今晩山小屋泊まりの登山客グループと行き交って挨拶を交わしたが、明朝のご来光に向かう行列は大渋滞となるのは、必至だろう。

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今年の登山ブームは、どんな様子になるのだろうか?

小御嶽神社に立ち寄って、無事の下山のお礼参りをしたが、フランス人や中国人の参拝者の姿を見かけたのには驚いた。

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富士登山競走応援登山

2010年07月24日 | 山行・ハイキング

『日本一の山~富士山』へ駆け登る『第63回 富士登山競走』が昨日行われ、天候も快晴となり、知人ランナーの応援を兼ねて、久し振りに挑戦してきました。

これまでも走友や家族の応援で、何回か応援登山に出かけていたが、昨年は悪天候で山頂コースが中止となったりで、山頂への挑戦は5年ぶりである。

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今年は、ランニングブームやトレイルランブームが反映されてだろうか、例年より約1500人多く参加して、山頂・5合目コース合わせて4686人がスタートラインに立ったそうだ。

本大会は、日本一過酷なレースと言われ、エントリー資格は厳しく、これまでのレース実績などから健康な熟練ランナーに限られている登山競走である。

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山頂コースの最も苦しいと言われている、8合目まで先に登り応援するべく 5時過ぎに家を出て5合目へ向かったが、5合目駐車場は満車状態となっており、2Km手前の路傍駐車場から徒歩で急いだ。

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富士山は、この日は特別の笑顔で迎えてくれていたが、大暑の暑さも格別であった。

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ひたすら8合目を目指して先を急ぐが、出発の遅れが響いて、7合目手前でトップランナーに追いつかれ、本7合目前の岩場コースでは、後続ランナーに道を開けての上に進められず、しばらくは、必死のランナーに声援しながらこちらも『勇気』を与えられて後を追って 山頂を目指した。

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すぐ頭上には、本8合目や山頂が見えているが、足を進めても近づかない焦りを感じながら、ランナーの気持ちを察しながら、その背中を押し続けた。

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本8合目で望む選手の光景は、まさしく数珠つなぎとなり延々と途切れなく続いており、後半の選手には、制限時間を気にして必死の形相の姿があった。

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一方、下山道には、先程見送っていたランナー達がゴールを果たして、砂煙を上げながら先程の苦痛の顔はウソのように、走り降りる姿が行列をなしていた。

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選手の後を追いながら頂上久須志神社のゴール地点に到着したが、締切時間を過ぎて撤収作業が行われており、選手の大半は既に下山していた。

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この日の頂上風景は、次から次と積乱雲が湧いてきていて、正に『雲上ゴール』だったようだ。

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この日の完走したランナーは、山頂コースでどれくらいだったのだろうか?例年は、約80%近いが、この日の暑さは、半端なものではなく途中棄権されたランナーも多かったようです。

走友も、何回も富士山へ練習に来ていたそうですが、やはり「日本一の過酷なレース」には変わりないようだ。

トップ選手のゴールタイムは、男子が2時間53分、女子が3時間18分と例年よりタイムは落ちているが、下界の富士吉田市役所から、3000M(距離21Km)を一気にこのタイムで駆け登るとは、常人には考えられないものである。

自分も久し振りの日帰り登山でしたが、お鉢巡りも経験して素晴らしい完走登山を経験したが、マイ登山レポは、明日に報告します。

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夏休み~子ども遊びウイーク

2010年07月23日 | 地域活動

各学校も夏休みに入り、地域の小学校では、「休みの始まりを みんなで たのしもう!」と青少年育成の一環としての「あそびウイーク」が始まった。

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『放課後子ども教室』は、安全・安心な子どもの活動拠点として、地域の方々の参画をえて実施、遊びを通して児童が地域の中で心豊かに育まれる環境づくりを推進するもので、我が地域の小学校も、市のモデル校として事業を展開している。

地域の青少協の一員として、推進事業の委員を任じており、昨日から「あそびウイーク」に出かけて、子どもたちと接してきました。

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あそびウイークでは、「ビンゴゲーム」、「紙芝居」、「ボウリングゲーム」、「輪投げゲーム」、「創作あそび」など、いろいろ工夫してカリキュラムを準備しているが、初日から酷暑でアウトドアあそびが厳しいこともあり、期待以上の子どもたちが集まっていた。

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この日も、地域の多くのボランテイア・サポーター「見守る人」の支援を受けて、子どもたちは手作りのボウリングや輪投げゲームに熱中して、高得点に飛び上がったり、失敗に悔しがったりと、遊びの極意を得たように楽しんでいた。

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また、得意顔で「おじさ~ん、やったよ~」と飛び掛ってきたり、「おじさんもやってみてごらん」と、誘ってくれたりと、こちらも童心にかえって楽しんだ。

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他にも、囲碁に挑戦する子どもや一輪車乗り、ブロック遊びなどに時間を忘れて楽しむ光景が見られたが、やはり、日頃は友達や家族と遊ぶ機会が少ないのだろうか?

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半日の遊びであったが、この日のボーリングと輪投げゲームの総得点により、表彰状が授与されて得意満面の笑顔が素晴らしかったが、家に帰ってどんな報告をするのだろうか?

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遊びを通して異学年の児童間の交流を促進するとともに、多くの遊び経験の中から創造性や社会性が育まれることに期待しているが、健全な遊びも自然と与えられるものではなく、周囲の配慮が必要である。

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早朝スロージョギング~水辺と森林を求めて

2010年07月22日 | ジョギング

梅雨明け前から酷しい暑さが続いており、お昼のジョギングは出かける気分にはなれないが、早朝に暑さで起こされて、久しぶりに早朝ランへ飛び出した。

真夏の海岸は、日陰がなく焼けるような暑さが続いており、木陰のあるマイコースの城址公園や引地川親水公園へと向かった。

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お散歩族も日中の暑さを避けてだろうか、早朝散歩の姿が多く見受けられ、樹樹の緑の色も美しく朝の空気の美味しさを実感しながら 木もれ陽が差し込む中でクロカンを楽しんだ。

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この時期は、体調管理第一で足腰の痛みなどを庇いながら、疲労を溜めないでのスローランに徹するのが一番。

公園のマイコースには、昼なお暗い森林コースもあり、ユックリズムで周回コースを回るが、さすがに滴り落ちる汗は止まらない。

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先週まで賑わっていた初夏の花のバラやネムノキに変わって、夏の花サルスベリが満開に近く彩りも鮮やかとなってきたようだ。

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周回コースに飽きてきた頃に、気分転換に水辺の空間が拡がる引地川親水公園へと移動してのジョグってみました。

周辺は、ついこの前田植えしたばかりと思っていたが、すっかり緑濃くなった田園風景が拡がり、夏の風景に変わっていた。

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湿地植物園のボードウオークを進むとガマの群生が見られたり、川辺には鯉の大群が迎えてくれて、暑さを忘れるひと時を得ていた。

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最近は、引地川の水も随分きれいになっており、多くの魚が泳いでいるのが見られるが、鰻もいるそうである。

この日もジョギングコースを走るランナーも見かけたが、週末の富士登山競走を走るという知人が調整ランをしており、しばし、富士山を眺めてあの頂上へと思いを馳せながら、超人ランナーの健闘を祈り併走していた。

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この間も夏の陽が容赦なく照りつけてきたので、早々に引き上げてきました。

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ツール・ド・フランス2010~16ステージ

2010年07月21日 | サイクリング

第16ステージは、ピレネー山岳コース3日目で、全ステージの最難関コースと言われており、トウルマレー峠(2115M)、オービスク峠(1700M)の超級山岳のほか、1級山岳の2峠を走る200Kmで、今年のマイヨ・ジョーヌを決すると言われていた。

スタート直後から1級山岳のベイルスルド峠へ挑戦する大変なコースであり、観衆も一番多く集まるコースだそうである。

前日のメカトラブルにより、マイヨ・ジョーヌがシェレクからコンタドールへと移っていたが、解説によると、メカトラブルでコンタドールが仕掛けて抜けだしたことに対して、避難を受けているそうで、スポーツマンシップに反するというのだろうか?

であれば、前半で落車によりアームストロングなどが大きくマイヨ争いから遅れていたのは、どうだったのだろうか?と疑問をもつが、グランツールなどのロードレースでは、我々には判らない掟があるのだろうか?

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この日は、やはりシュレクにはアシストもなく 一人でプロトン(集団)中で静かに置かれているように見えていた。

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驚いたのは、トウルマレー峠に取り付く頃に、アームストロングが突然アタックして集団から抜けだしてしばらく一人で走り、すぐに、カザールやモローが続いて10名の先頭集団が出来ていたが、おそらくラストツールと宣言しているアームストロングやモローには、最後のアタックだったのだろうか?

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先頭集団の中では、偉大なチャンピオンに敬意を表しながら、先頭交代しながら進んでいたが、アームストロングには、この日のアタックは予定通りだったようだ。

トウルマレー峠(2115M)では、ものすごいキャンピングカーが並び、大観衆が迎えていたが、まさかアームストロングが先頭で来るとは誰が予想しただろうか?ビックリしていたようだ。

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この日も快晴の峠やコースには、数々のパフォーマンスが準備されていて、山岳風景とともに素晴らしい景観が楽しめる。

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峠を越えてすぐに、一気に約1600M近くを飛ぶように駆け降りるが、画面からの迫力に圧倒されてしまい、目が回るような恐怖感を感じていた。

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一旦下ってからの再度超級山岳オービスク峠(1700M)への登りでは、先頭集団が5人に絞られて、アームストロングも積極的に前へ前へと出て、プロトンとは9分近く差が出来ていた。

ツールを長年見ているが、アームストロングがこれまでアタックを懸けて先頭を走る姿なんてお目にかかったことは無かった。

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偉大なチャンピオンの花道を飾るべく、このステージはアームストロングの優勝は決定かと思いきや、峠をこえてからバレドが飛び出してエスケープを打つが、あと1Km地点でアームストロングなどに吸収されて、最後はスプリント争いとなった。

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ここでも花道が出来ているのか?と期待をもったが、意外にもフェドリコがゴールスプリントを制して、残念ながらアームストロングは6位に終わっていた。

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マイヨ・ジョーヌ争いは、結局この日はお休みで動きなし。

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明日の休日を挟んで、第17ステージでは、ピレネー最後としてトウルマレー峠に挑戦して事実上の決戦となるのだろうが、心理作戦や駆け引きなどロードレースは何が起きるか判らず奥が深い。

ピレネーなどの山岳風景には、レース展開以上に感動をもらっているが、まだ寝不足の日が続きそうだ。

【添付写真は テレビ画面から】

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ツール・ド・フランス2010~中盤戦(15ステージ)

2010年07月20日 | サイクリング

ツール・ド・フランスもいよいよ中盤戦に入り、難関のピレネー山脈へと舞台を移して目が離せない展開になっています。

第14ステージではピレネー初日であり、バイエール超級山岳やゴール前の山岳で、マイヨ・ジョーヌ争いに動きがあるかと期待していたが、A・シェレクとコンタドールは、互いに牽制し合い心理合戦に終始していたようで、結局は勝負せず同時ゴールで変化はなかった。

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14ステージの前半コースのカステリノーダリー地方には、丁度1年前に訪れていたので、その山々の風景には、特に関心をもって見ていた。

しかし、第15ステージも総合優勝争いには両者守りのレースに徹して動きが無いと思っていたが、意外な展開に変わってしまった。

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この日の難所である山岳超級のバイエール峠の直前で、A・シュレクがアタックした途端にシュレクがチェーントラブルを起して大ブレーキ・・・・ここぞとばかりにコンタドール集団が加速して、見る見る内にA・シュレクを置き去りにして、峠では30秒差に拡がっていた。

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A・シュレクは、下りに入り初めてマジにコンタを追い上げて行くが、結局40秒の差がつきマイヨ・ジョーヌ(総合)ジャージーは、あっさりとコンタドールに奪われてしまった。

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もともとシュレクは、TT(個人タイムレース)には弱く、コンタドールが実質的なマイヨ・ジョーヌは、すでにコンタドールであると言われていたが、名実ともにマイヨが移ってしまい、解説者によると、このまま行けば、TTに強いメンショフやSサンチェスにも抜かれて表彰台も危なくなってきたそうである。

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15ステージのステージ優勝争いでは、フランスのチャンピオン・ジャージを着た、ヴォクレークがバイエール峠を飛ぶように駆け上り、圧倒的な脚力を魅せつけてステージ初優勝を獲得して、フランス人には最高のシーンを見せつけていた。

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表彰台では、コンタドールが観衆のブーイングを受けていたが、何故かコンタドールの勝利の周辺では、いつも感情的なものが蠢いている感じがしており、12-13ステージでのチーム仲間のヴィノクロフとのゴール前の共走も、二人の確執があるような報道もあり、人気の面では今一なのだろうか?

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9-10ステージの超級でも、激しい駆け引きも見られたが、大きな変動もなく、興味は2000M級の山頂付近のツールファンが集まっての応援風景には、改めてツール人気の高さに驚いている。

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ツールがフランス国内に入って以来、連日快晴の暑い日が続いているようですが、峠の風景や古城などの風景が素晴らしく、レースの動向以上にコース周辺の応援の光景や山岳風景が大変興味深いものがある。

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レースは、ピレネー山脈の第16-17ステージは、今年のツールの勝負所であり、超難関ステージとなり、A・シュレク属するサクソバンクが、守りから攻めに転じてくることは間違いなく、益々目が離せなくなってきた。

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【添付写真は、テレビ画面より】

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茅ヶ崎 浜降祭

2010年07月19日 | まち歩き

茅ヶ崎の夏の風物詩として、海の日の夜明けとともに茅ヶ崎市と寒川町の各神社から33 社38 基の神輿が、茅ヶ崎サザンビーチに集まり、海中渡御が行われる『浜降祭』に、マイバイクで出かけてきた。

「浜降際」には、2年振りに訪れてみましたが、134号線に入るとサザンビーチを目指すサイクリストやママチャリ族が、早朝からぞくぞく集まり、自転車の長い列が出来る光景が見られた。

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また、梅雨明けの快晴となりこのシーズンには、滅多に見られない姿で富士山がくっきりと眺められて、浜降祭を祝福しているようであった。

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「浜降祭」、「かながわまつり50選」にも選ばれている無形文化財で、湘南では伝統ある夏の祭りとして有名で「暁の祭典」と呼ばれている。

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ビーチに到着したときには、すでに各神社の神輿は到着して、海に入る「みそぎ」が済んだ後でしたが、各神輿は夜中の内に宮出しして南湖のサザンビーチへ向かってきたそうだ。

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神輿が海に入り、空と海からの霊力により「みそぎ」を受ける神事の後、浜に整列して合同祭が行われたが、38基の神輿が勢揃いする光景は圧巻であった。

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西浜海岸の砂浜には、既に7万人?の観衆で埋め尽くされており、発輿の海中への渡御を今か今かと待ち構えていたが、中には家族連れが朝食を摂っている光景や、担ぎ手が朝寝をしている光景など、海の家は溢れるばかりでごった返していた。

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TBSの「朝ズバッ」やJ-COMがライブ放映していたが、これほど注目を浴びているとは思わなかった。

約1時間の合同祭事のあと、38基の神輿が『どっこい どっこい・・』の威勢の良い掛け声で、次々と浜を一回りして帰路に着いたが、海に入る神輿もあり、観衆は一斉に神輿の後を追い、勇壮な舞に感動を得ていた。

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担ぎ手の方に聞くと、海中に入ることにより神輿の傷みが激しく、後の手当が大変だそうです。

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発輿の最後には、数基がそろい踏みを披露していたが、その威勢の良さと観衆が一体となり、祭りは最高潮になっていた。

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一年に一回のこの日の神輿担ぎの為に、故郷へ戻って来られる「まつり馬鹿」も多く、若い時から担いできた楽しみが忘れられないそうである。

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祭りの後は、同窓会が開かれて旧友との絆を強めるチャンスとなり、連帯意識が生まれるのだと語っていた。

また、帰路には、神輿が各神社まで巡行するのかと思っていたところ、最近は交通事情が許さず、会場近くの神社以外は、すべてトラックに積まれて戻るそうで、改めて神社に戻ってから氏子たちが集まり、祭りは続くそうです。

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神輿を見送って後、帰路は久し振りの海岸線の134号線をマイカーを飛ばして、湘南ツーリングを楽しんだ。

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青少年育成協力会イベント~子どもまつり

2010年07月18日 | 地域活動

夏休み時期を迎えて、地域の青少年育成協力会(青少協)恒例のイベントである『子どもまつり』が行われ、青少協の一員としてボランテイア活動で参加した。

当青少協は、地区内の青少年の健全な育成と非行防止を図るために、家庭・学校・地域社会と連携して各種事業を展開しているが、この日は夏の事業として、子ども達を主役としてのびのびと遊べる場を提供することを主眼に、『子どもまつり』が開催された。

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受付時間前には、多くの子供達が集まってきて、いつもの登校時の顔とは全く異なり、何があるんだろう?と、期待感をもって受付の前に、長い列が出来ていた。

我々役員も早朝から各団体代表、小中高学校関係者や生徒のボランテイアが集合して、準備に取り掛かったが、梅雨明けの真夏日の中で汗ビッショリで中高齢者には厳しいコンデイションだったようだ。

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この日のイベント内容は、体育館では、ピンポンとカローリング、屋外ではカラーキャンドルとシャボン玉、室内ではゲームコーナー、紙トンボ作りや竹細工、折り紙、かき氷、ホップコーンなど工夫を凝らして準備されていたが、何れも子供達には貴重な体験となり、大変な人気だった。

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自分は、この日は体育館での「カローリング」を担当して、子ども達にルールの説明や楽しみ方を指導したが、子供達にとっては 経験したことがないもので、体験希望者が切れ目なく続いていた。

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オリンピックなどで見るカーリングの屋内体育館版であるが、子供達には非常に興味があり、何回も挑戦して楽しんだようで、一緒にやりながら会話が弾んだ。

屋外のシャボン玉を飛ばすコーナーでは、青空の下でシャボン玉の虹色美しく、舞い上がる光景は、ほのぼのとした明るい雰囲気となっていた。

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最も人気のあったのは、やはり「かき氷」「ホップコーン」コーナーで、100人以上の長蛇の列が出来、最後まで列が消えることはなく、追いつかない苛立ちで担当の方も悲鳴をあげていた。

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日頃、子供達が自由に且つ安全に楽しく遊べる環境が充分でない中で、学校の友人以外の仲間を交えて、新しいゲームや遊びを経験して笑いが絶えなかったが、これも地域やボランテイアの支援があってのことで、改めてその意義を再確認する機会であった。

大変盛り上がった祭りではあるが、参加している子どもは、まだまだ一部に過ぎなく 参加していない参加出来ない子供達に問題が起こりうる可能性が高いのが課題であり、目をあてて良く必要であろう。

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スイムトレーニング~トライアスロン挑戦

2010年07月17日 | スポーツ

西日本には連日大雨洪水情報が流れているが、湘南地方では梅雨は明けたのかと思われるほど積乱雲が姿を見せて青空が広がり、夏本番となっています。

暑さ厳しくなるこの時期のトレーニングは、例年のことであるがランからスイムに切り替えて暑さをしのぎながら、楽しんでいる。

来月の厚木日米親善トライアスロンを控えて、今月に入り最も苦手であるスイムのトレーニングに近くの市営プールに通っています。

ジムにも通っていたが、泳ぎ込みには やはり屋外50Mプールが一番泳ぎ易く、平日であれば、せいぜい30人前後のスイマーが自由にマイペースで泳げて最高である。

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昨年来、マラソンや自転車ブームを追いかけるように、静かにトライアスロンブームが起きており、この夏のシーズンには、毎週、どこかでトライアスロンレースが行われているようだ。

先週は、房総館山で第1回『タテトラ』が開催されて、約700名の参加で盛り上がっていたようだが、来週は東京都渡良瀬大会が開催され、さらに横浜シーサイド大会、大磯ロングビーチなど相次いで開催予定である。

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厚木基地で再開される『日米親善トライアスロン』も、以前 相模原基地内で開催されていた頃は、毎年出場していたが、久しぶりの挑戦である。

自分にとって、トライアスロン完走には、いつもスイムがネックになっており、スイムのトレーニングが質・量ともに必須となっているところである。

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何を好んで過酷なトライアスロンにと言われるが、ハードな3種目で抜いたり抜かれたりがあり、達成感が堪らない魅力であるが、ブームの源泉ではないだろうか?

先日も、以前にマスターコースで指導を受けたインストラクターに、ヒントをいただき連日800~1200Mの泳ぎ込みをやっているが、即時結果が出るほどスイムは甘くない。

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この日も、前半はドリル練習に取り組みながら距離を流すが、筋力の弱いため効果は期待ほど現れない。

スイムは、全身の筋肉を使っての、エアロビであり若さを取り返す原点だと認識して、この夏もゆっくりと楽しく泳いでいきたい。

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