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カクレマショウ

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「アーツ・アンド・クラフツ」

2009-01-19 | ■美術/博物
パナソニック電工の東京本社ビルの中に、汐留ミュージアムという小さな美術館があって、この18日まで、「アーツ・アンド・クラフツ《イギリス・アメリカ》」という企画展をやっていました。英国の詩人・デザイナーであるウィリアム・モリス(1834-1896)が始めた新しいデザイン運動「Art & Crafts」によって生み出された作品を紹介する展覧会です。24日からは、東京都美術館でも同様の趣旨で「生活と芸術─アーツ&クラフツ展」が開催されるようですね。

英国で、18世紀の後半に始まる産業革命は、人間の生活様式を大きく変えました。機械による大量生産とそれに伴う大量消費、という流れは、基本的には現代にまで脈々と続いています。そして、単にモノの流通だけではなく、こうした風潮は人間の考え方自体も変えてしまったかのようです。合理性、機能性、効率性ばかりが優先され、産業革命以前に人間が大切にしていたこと、たとえば、人間が使うあらゆるモノは本来生活に密着していること、自然との調和が何より大事だということとか、そんな考えはどこかに置き忘れ去られてきたかのようです。

ウィリアム・モリスは、そういう変化をいち早く感じ取っていました。彼は、美術評論家のジョン・ラスキンの影響を受け、中世イタリアの名もない職人の手工芸に理想を見いだしていました。彼らの仕事は、日々の生活や祈りとともにありました。生活に必要な最低限の作品を作り、それはあくまでも「使い勝手」が良く、そして、モノを作って日々の糧を得られることを神に感謝する。機械が勝手にモノを作ってくれるようになると、そういう精神は確かに失われていくでしょうね。

宮沢賢治は「農民芸術概論概要」で、「農民芸術」を興隆する必要を説きました。そこにも、「アーツ&クラフツ」の考え方が見てとれます。

 かつてわれらの師父たちは乏しいながら可成楽しく生きていた
 そこには芸術も宗教もあった
 いまわれらにはただ労働が 生存があるばかりである

労働・生活と芸術・宗教とは、本来一体化しているべきもので、生活とかけ離れたところに真の芸術は生まれないし、労働は深い祈りとともにある。旧石器時代のアルタミラやラスコーの洞穴絵画の題材は、人間が生きるために狩っていた牛や馬でした。あるいは、原始の人類が好んで作ったと言われる女性裸像は、多産への祈りが込められたものでした。労働や生活だけが、芸術や宗教から独立して存在することはあり得ないことだったのです。

さて、ウィリアム・モリスは、彼は自ら「モリス商会」を設立して、様々なインテリアを生み出していきます。ステンドグラスや家具から、住空間における壁紙、ファブリックなどのテキスタイル、ブックデザインに至るまで、彼らがつくり出した作品は、室内装飾のすべてに及ぶといってもいい。モリスは、それらの作品を定期的に「アーツ&クラフツ展」に出品していました。そして、彼の精神は次の世代にも受け継がれていき、さらに海を越えてヨーロッパ大陸や米国にも広まっていきます。米国では、あのフランク・ロイド・ライト(日本の旧・帝国ホテルの設計者)にも影響を与えています。今回の展覧会でも、彼のデザインした椅子やステンドグラスがはめ込まれたドア、照明器具などが展示されていました。

背もたれの高い椅子、ロッキングチェア、ベンチなど、様々な「椅子」に特に目を引かれました。いろいろな角度からそれぞれの椅子をながめてみると、ほんとうに「無駄がない」ことがわかります。どのラインをとっても、惚れ惚れするほどの美しさを感じました。ああいうデザインこそ、生活の中に「溶け込んでいる」と呼べるものなのでしょう。そこに「在る」のが当然という静かな自己主張。

結局、生活の中のアートって、「こだわり」なんでしょうね。自分にふさわしいかふさわしくないか、ではなくて、自分がこだわって選んだもの(ホントは自分で作ることができれば一番いいのでしょうけど)が、自分にとっての「アート」なのでしょう。自分自身、自分の仕事、自分の生活にこだわる人は、使うモノにもこだわっていますね。

 

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