カクレマショウ

やっぴBLOG

引き際だけが「美学」じゃない。

2009-06-14 | ■社会/政治
「引き際の美学」っていかにも日本人が好みそうなフレーズです。才能や力を惜しまれつつ第一線から退く姿こそ美しいと。昨日辞任した総務大臣も、あれが自分なりの「美学」だったのかもしれません。

逆に、最後に恨み言を言ったり、逆ギレしてやめていった首相などは、引き際が醜いと言われる。たとえどんなにいい仕事をしたとしても、引き際が美しくなければ決して評価されないのが日本社会。逆に引き際が見事であればあるほど、それまでの業績はとたんに輝きを増す。それほど引き際は大事にされます。

国民に対して少なからぬ責任を持つ政治家とはちょっと違いますが、プロスポーツや芸の世界で優れた才能を発揮している人にとっても、引き際が取りざたされるのは同じです。王貞治や長嶋茂雄は、まだ十分力を残したままの現役引退であり、「美学」の典型としてよく引き合いに出されます。舞台「放浪記」が上演2000回を越えた森光子は、まだ現役でがんばると宣言しています。正直、テレビでみる限りでは、かつての演技のキレはもはや望むべくもない。「美学」という観点から見れば、今回の大台を契機にもうそろそろ…という気がしないでもないのですが、それでも、本人が「続けたい」という気持ちがあるのなら、周りがとやかく言うことではありませんね。引き際は本人が決めることですから。

今日NHKのスポーツニュースで見た工藤公康投手もまだまだ現役でがんばる46歳。今シーズンから横浜ベイスターズに所属しています。先発投手としてこれまで200勝以上を記録している工藤ですが、新天地ではこれまで経験したことのないリリーフ投手を務めています。

工藤は言う。「先発だけでやめていたら経験できなかったことを経験させてもらっている」と。ピンチの場面で先発投手からボールを受け継いだリリーフがどんな気持ちでマウンドに立っているか、確かに先発投手にはその気持ちは分からないでしょう。「経験しなければ分からない」という当たり前のことを、彼は46歳にして真摯に受け止めている。

工藤投手の「現役」にこだわる生き方は、「引き際の美学」に、もしかしたら反するのかもしれない。でも、あえて「退かない」ことで、彼自身がどんどん成長しているような印象を受けます。現役にこだわるその姿は決して「醜く」なんかないし、「引き際」とは逆の意味で美しいと思う。

それにしても、「引く」ということは、次の一歩のスタートでもあるわけです。自分の人生に自ら1本の線を引いて新しいスタートを切ること。とかく「引き際」だけに私たちは注目しがちですが、次の一歩をどう踏み出すかということの方がほんとうは大切なのかもしれませんね。

アップル社のスティーブ・ジョブスが言った、「ドロップアウトで得たエネルギーを別のことにドロップインするために使う」という言葉、改めて思い起こしています。


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