カクレマショウ

やっぴBLOG

「約束の旅路」─生きて、「何か」になりなさい。

2008-10-17 | └歴史映画
"VA, VIS ET DEVIENS"
"GO, SEE, AND BECOME"

2005年/フランス/149分
【監督】 ラデュ・ミヘイレアニュ
【脚本】 アラン=ミシェル・ブラン ラデュ・ミヘイレアニュ
【出演】 ヤエル・アベカシス/義母ヤエル ロシュディ・ゼム/義父ヨラム モシェ・アガザイ/シュロモ(幼年時代) モシェ・アベベ/シュロモ(少年時代) シラク・M・サバハ/シュロモ(青年時代)

エチオピアの神話によれば、エチオピアは、紀元前1,000年頃、メネリク1世によって建国されました。彼の出自がふるっていて、ヘブライ王国のソロモンとアラビア半島にいたとされるシバの女王との間に生まれた子だと言います。シバの女王は実はエチオピア人なのだとか。いずれにしても、エチオピアという国は、ヘブライ、つまりユダヤと深いつながりがあったことを想像させるエピソードではありますね。

さらにもう一つ、エチオピアとユダヤの関係を示す話があります。「インディ・ジョーンズ」シリーズでも取り上げられた「失われたアーク(聖櫃)」、つまりモーセが神から授かった十戒の刻まれた石板を収めた箱。これが実は、メネリク1世が父ソロモンに会うためにイスラエルまで赴いた際に、密かにエチオピアに持ち込まれたという伝説です。「失われたアーク」は、エチオピアにあるんだってよ~、インディ!

エチオピアは、初めて統一国家を打ち立てたアクスム王朝によって、4世紀にはキリスト教国となりますが、これもユダヤ教の伝統があったからだという人もいます。そして、つい最近まで、ユダヤ人(ヘブライ人)の末裔がエチオピアの高原地帯に住んでいたという。

エチオピアにユダヤ人?! 彼らは、確かに古ユダヤ教を信仰していました。ユダヤ教は、ラビ(高僧)たちがまとめた戒律集「タルムート」(6世紀に成立)をとても大切にしていますが、エチオピアのユダヤ教徒たちはタルムートを知らなかったので、"正統派"ユダヤ教徒は、彼らを仲間とみなしていませんでした。

かつて、2万人もいたエチオピアのユダヤ人(「ファラシャ」と呼ばれます)は、今はほとんどいなくなっています。彼らはどこに行ったのか?そう、イスラエルに移住したのです。彼らにとっても、イスラエルは「約束の地」でした。1984年から85年にかけて、イスラエル政府は、彼らファラシャをイスラエルに帰還させるために、米国の支援を受けて大作戦を敢行します。いわゆる「モーセ作戦」。名目は、貧困と飢餓に苦しむファラシャを救い出し、長年の夢を叶えるためということになっていますが、イスラエルにしてみれば、国力を高めるためには人口を増加させることが必須で、世界に散らばるユダヤ人をできるだけ多くイスラエルに帰還させたいということだったようです。

当時、エチオピア政府は親ソ政権で、国外への移民は堅く禁じられていました。ファラシャは、命がけで国境を越えてまずスーダンに入ります。スーダンの難民キャンプで順番が来るのをひたすら待ち、イスラエルの飛行機で帰還するという手はずでした。この作戦で、8,000人ものファラシャが移住を果たしましたが、同時に、4,000人が移動の際に飢えや病気などで命を落としています。なお、1991年には「ソロモン作戦」が同じように進められ、この時には約1万人の移住に成功しています。

さて、映画は、このスーダンの難民キャンプから始まります。キャンプに集まっていた難民はファラシャばかりではありませんでした。エチオピアから逃れてきたキリスト教徒もたくさんいました。9歳のソロモンの母もそんなうちの一人でした。ここにいても結局は死を待つだけではないのかと考えた彼女は、息子だけでもユダヤ人になりすましてイスラエルに向かう飛行機に乗せようとします。母の決意を知ったソロモンは、泣く泣く別れを告げます。たまたま行列に並んでいた、子どもを亡くしたばかりのハナの手をしっかり握りしめて…。母は、ソロモンに向かってつぶやく。「行きなさい、生きて、そして(何かに)なりなさい──」 "VA, VIS ET DEVIENS"という映画タイトルは、ここから来ています。

イスラエルに移住したエチオピア系ユダヤ人を待っていたのは、人種差別という苛酷な現実でした。そこは彼らが長い間夢見てきた「約束の地」ではなかった。ソロモンは、「シュロモ」と名前を変えられ、とりあえずは収容施設でハナと暮らし始めます。しかし、母と別れて言葉も通じない異国に来たシュロモは、決して食べ物を口にしようとはしませんでした。母と離ればなれになってしまったことへのせめてもの抵抗だったのかもしれません。そして、寝るときはベッドを使わず床に横になる。これは、その方がラクだからでしょうけど。そうこうしているうちにハナも亡くなってしまい、シュロモは脱走を図ったりもする。

そんな彼の前に、イスラエル人夫妻が現れます。彼らには既に子どもが二人いるのですが、あえて黒人を養子にしたいと考えていました。これには父ヨラムの政治的な思惑が込められていたらしいことがあとになって分かってきますが、夫妻はシュロモに実の我が子のように愛情を注ぎます。シュロモは新しい家庭に来ても、依然として食べ物を口にしようとはしない。それでも、彼にとっては「3人目」の母親となるヤエルは、シュロモが食べてくれるようになるまでじっと待つのでした。シュロモは学校で友だちにいじめられているばかりか、父母の間でも、「黒人」の子どもと一緒に学ぶことを快く思わない人たちがいました。ある日、ヤエルの怒りが爆発する。学校に迎えにきた父母や子どもたちの前で、「私の息子は世界で一番美しい子よ」と叫び、シュロモを抱きしめて、その顔にキスの嵐を浴びせるのです。その凛とした態度は、まるで実の母親のようです。

さすがの頑固なシュロモも、こうして新しい家族の愛情に包まれるうちに、次第に心を開いていきます。けれど、成長するにつれ、自分の祖国とはいったいどこなんだろうか?という悩みが募っていく。自分はユダヤ人でもなく、イスラエル人でもない。かといって、今やエチオピア人でもない。自分はどこからきたのだろう? そんな悩みが思春期の彼を襲います。自分に好意を寄せてくれる女の子(サラ)にも素直に接することができない。

そんな彼がただ一人悩みを打ち明けられる人がいました。ユダヤ教のラビのケス・アムーラ。フランスで医学を学び、帰国して医者になろうとするシュロモに、ケスは帰ってくるなと説く。イスラエルでは、まさにシュロモのように、ユダヤ人と偽ったエチオピア人の存在が大きな社会問題になっていたのです。ようやく「祖国」と思い始めたイスラエルにさえ戻れないとは! 大人になっても、シュロモの自分探しは終わらない。そして、やがて彼が最後にたどり着いたのは…。かつて実の母親がつぶやいた、「何かになりなさい」という言葉。図らずも、彼はちゃんと「何か」になっていました。

この映画は、実にいろいろなことを考えさせられます。ここではとても書き切れません。ただ、シュロモのように、自分のルーツを見失ってしまった人たちは、きっと世界中にたくさんいるのでしょう。そういう時、自分のことを何もかもひっくるめて包んでくれる人がそばにいて見守っていてくれることがどんなに大切か。そんなことも感じたことだけ記しておきます。

約束の旅路 デラックス版




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