
東京都美術館で開催中の「バルテュス展」。
なんでも、ピカソをして「20世紀最後の巨匠」と言わしめたという画家バルテュス(1908-2001)。少女を描いた作品が多いことから、「称賛と誤解の」とか「スキャンダラスな」などというセンセーショナルな形容詞がキャッチとして用いられていますが、こうして彼の作品をひと通り鑑賞してみると、彼の画家としての類まれな才能と、それを裏打ちするかのような彼自身の「厳しさ」を感じました。
パンフレットにも使われている「夢見るテレーズ」。本物を目の前にして、言葉を失う。タイトルとは裏腹にさえ思える大胆なポーズ、物憂げでツンとした横顔。夢見るロマンチックな少女というよりは、人の目なんか気にしない、孤高の少女のように、私には映りました。バルテュスは、「少女」のこういう純粋さを愛していたのではないかと思いました。
孤高と言えば、少女の傍らには水を飲む1匹の猫が描かれています。猫もまたバルテュスの作品に数多く登場します。彼自身、自らを「猫の王様」と読んでいたそうです。凛として決して人に媚びない。「少女」や「猫」に、バルテュスはきっと自分との共通点を見出していたのでしょうね。そういえば、彼の描く猫の顔はどことなく人間くさい表情を浮かべています。

また、バルテュスが東洋的な山水画に強い影響を受けていたことはよく知られています。というより、自分が描きたかったのはこういう絵なんだ、と彼が言っているように、もともと、感性的に彼は東洋の人、なのではないかと察します。妻は節子さんという日本人で、晩年を共に過ごしたグラン・シャレのアトリエでは、好んで和服を身に付けていたそうです。

そのド・ローラ節子さんが著した『バルテュス 猫とアトリエ』という本には、彼の作品をはじめ、グラン・シャレの邸宅やアトリエの写真とともに、妻から見たバルテュスの素顔が描かれています。彼は、「画家」であることに強い信念を持っていました。ヨーロッパの古典画家たちの作品に積極的に学び、自分の作品に対しては微塵も妥協を許しませんでした。「人物の位置があと1cmずれていなければならない」と言って、ほぼ出来上がった作品を塗りつぶして書き直したこともあったとか。「「画家は仕事を離れて生きることできない。なんと幸せなことだろう」とよく申していました。バルテュスにとって画家という人生は、生きることそのものであったと言えましょう。」と節子さんも書いています。
彼の絵には「異様な静けさ」があると美術評論家の高階秀爾氏は言う。何気ない日常の一コマを、バルテュスは彼なりの計算され尽くした構図の中に収める。その絵を前にした私たちは、「異様な静けさ」の中で言葉を失ってしまう。これこそ「絵の力」だろうと思う。人間、本当に感動した時には言葉が出ないもの。バルテュスの絵には、まさにそういう力が秘められていました。
なんでも、ピカソをして「20世紀最後の巨匠」と言わしめたという画家バルテュス(1908-2001)。少女を描いた作品が多いことから、「称賛と誤解の」とか「スキャンダラスな」などというセンセーショナルな形容詞がキャッチとして用いられていますが、こうして彼の作品をひと通り鑑賞してみると、彼の画家としての類まれな才能と、それを裏打ちするかのような彼自身の「厳しさ」を感じました。
パンフレットにも使われている「夢見るテレーズ」。本物を目の前にして、言葉を失う。タイトルとは裏腹にさえ思える大胆なポーズ、物憂げでツンとした横顔。夢見るロマンチックな少女というよりは、人の目なんか気にしない、孤高の少女のように、私には映りました。バルテュスは、「少女」のこういう純粋さを愛していたのではないかと思いました。
孤高と言えば、少女の傍らには水を飲む1匹の猫が描かれています。猫もまたバルテュスの作品に数多く登場します。彼自身、自らを「猫の王様」と読んでいたそうです。凛として決して人に媚びない。「少女」や「猫」に、バルテュスはきっと自分との共通点を見出していたのでしょうね。そういえば、彼の描く猫の顔はどことなく人間くさい表情を浮かべています。

また、バルテュスが東洋的な山水画に強い影響を受けていたことはよく知られています。というより、自分が描きたかったのはこういう絵なんだ、と彼が言っているように、もともと、感性的に彼は東洋の人、なのではないかと察します。妻は節子さんという日本人で、晩年を共に過ごしたグラン・シャレのアトリエでは、好んで和服を身に付けていたそうです。

そのド・ローラ節子さんが著した『バルテュス 猫とアトリエ』という本には、彼の作品をはじめ、グラン・シャレの邸宅やアトリエの写真とともに、妻から見たバルテュスの素顔が描かれています。彼は、「画家」であることに強い信念を持っていました。ヨーロッパの古典画家たちの作品に積極的に学び、自分の作品に対しては微塵も妥協を許しませんでした。「人物の位置があと1cmずれていなければならない」と言って、ほぼ出来上がった作品を塗りつぶして書き直したこともあったとか。「「画家は仕事を離れて生きることできない。なんと幸せなことだろう」とよく申していました。バルテュスにとって画家という人生は、生きることそのものであったと言えましょう。」と節子さんも書いています。
彼の絵には「異様な静けさ」があると美術評論家の高階秀爾氏は言う。何気ない日常の一コマを、バルテュスは彼なりの計算され尽くした構図の中に収める。その絵を前にした私たちは、「異様な静けさ」の中で言葉を失ってしまう。これこそ「絵の力」だろうと思う。人間、本当に感動した時には言葉が出ないもの。バルテュスの絵には、まさにそういう力が秘められていました。
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