リコーのCM(「夢」編)に手嶌葵がカバーした「流星」(曲・詞:吉田拓郎)が使われています。1979年につくられたこの曲には、私にとっても数々の思い出があります。2008年の東京国際フォーラムのコンサートでもこの曲でつい涙があふれてきた。
そして、今、同じ曲が、こんな形でよみがえる。うれしいことです。
たとえば 僕がまちがっていても
正直だった 悲しさがあるから
Wow… 流れていく
静けさにまさる 強さは無くて
言葉の中で何を 待てばいい
Wow… 流れていく
たしかなことなど 何も無く
ただひたすらに 君が好き
夢はまぶしく 木漏れ陽透かす
少女の黒髪 もどかしく
君の欲しいものは 何ですか
君の欲しいものは 何ですか
手嶌葵のささやくような歌もいいし、このCM自体が、なんだかじーんとさせます。
リコーの社員が、次々と語っていく。「子どもの頃、プロ野球選手になりたかった」、「ミュージシャンになりたかった」、それから、宇宙飛行士、小説家、F1レーサー、バレリーナ、アイドル歌手、お花屋さん、ケーキ屋さん、画家、パイロット…。子どもの頃の夢を聞かれて、みんな、ちょっとはにかんだ、いい笑顔を見せています。百人百様、子どもの頃の夢って、それぞれですね。なぜそれが夢だったのかを語らせたら、もっといろんなストーリーが生まれるだろう。
そして、向井理のナレーション。
「子どもの頃、見ていた夢とは違うかもしれない。」
さらに、
「だけど、この仕事でほんとうの自分になれた。」
ま、取り立ててうがった見方をしなくても、どうせリコーがどんなにいい会社かっていう宣伝でしょ、といえばそれまでですが、でも、ちょっと待った。このメッセージは、リコーという会社じゃなくてもじゅうぶん通じるんですよね。
「ほんとうの自分になれる」仕事。
このセリフが、「ほんとうの自分を見つける仕事」じゃなくてよかった、と私は思います。「ほんとうの自分」は、「見つける」ものじゃなくて、「なる」ものだから。自分の人生は、自分で「なっていく」ものだから。
子どもの頃の夢がいつ夢でなくなったのか、それもまたそれぞれに違うでしょう。でも、その代わりに、別の夢が「志」として生まれてきたはずで、その結果が、今の「職業」となっている。その「職業」の中で、どんな「仕事」をしているかが実は一番大事なところで、そのあたりは、同じリコーのCMシリーズ(「二人三脚」編、「縁の下の力持ち」編)でちゃんとフォローされています。
ただ、今の世の中、夢を持てる子どもたちは幸せです。実際には夢さえ持てない、ましてや「志」など全く持てない子どもたちがたくさんいます。特に中学生、高校生ともなると、現実の社会、現実の自分が否が応でも見えてきて、夢だろうが志だろうが、それを抱く以前の子どもたちがいかに多いことか。そして、大人はすぐ言うんだよね。夢を持つのは大切だ、何でもいいから夢を持て…ってね。
それは確かにそうだけど、大人が何も示してくれないのに、夢を持つなんて無理な話だと思う。
「流星」の歌詞じゃないけれど、子どもたちに問うのなら、まずは自分たちのやっていることを見せた上で、「君の欲しいものは 何ですか?」と問うべきなのではないでしょうか。「現実の社会」の中で、大人たちがどんなふうに「仕事」をしているのか、どんな苦しい思いや辛い思いをしているのか、そして、どんな楽しいことがあるのかを子どもたちに伝えていくことがやっぱり大切なんだよな、とこのCMを見るたびに思う。
もちろん、子どもの頃の夢をかなえちゃったスゴイ人たちも、少数派だけれど、ちゃんと存在するっていうことも伝えなくてはならない。
すべての大人には、子どもたちに「仕事」について伝える義務がある。それが、「教育」ってものでしょう。
今年もまた、本当の自分になれるために転職しようと思っています。
人生のメニューは多すぎて一つに決められないでいるのだ
と思っていたけれど、
心のそこからやりたいものがまだ見つけられていないのかもしれない。
やりたいこととやれることは違うのかもしれない。
なんだか色々考えさせられてました。
そして今私は思っています。
明日からもこうして生きていくだろうと。
知るところから始まるものでしょう
けれどそれにしたって
どこでどう変わってしまうか
そうです
わからないまま生きて行く
明日からのそんな自分です
拓郎ははるか昔にこんな曲作っていたんだねー。すごいね。
転職できる人はそれだけいろんな可能性を持っているということです。うらやましい。
ほんとうになりたい自分って、一生探し続けるものかもしれないね。
とりあえず、次の仕事が今の仕事よりも充実したものであることを願っています。