
「アレキサンダー」
こういう歴史映画が公開されるたび、なんで「今」?と思います。なんで今、アレキサンダー大王なのか? この映画の公開は2005年ですが、紀元前4世紀、今から2,300年も前の人物がなぜ今取り上げられるのか?しかもメガホン取ったのはご存じ「社会派」のオリバー・ストーン。アレキサンダーの「征服戦争」を米国のイラク戦争と重ね合わせる人も多いようですが、どうなんでしょう? ちょっと意味合いがチガうような気がします。
アレキサンダー(ギリシア語でアレクサンドロス)大王は、マケドニア王フィリップ(同じくフィリッポス)王の息子です。マケドニアは、ギリシア北方に位置するギリシア民族の国。といっても、現在のマケドニア(正式国名「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」)に住むマケドニア人はスラブ系ですので、アレクサンドロスの時代のマケドニアとは民族的なつながりはありません。
同じギリシア人の国といっても、マケドニアは、紀元前5世紀には民主政治が行われていたアテネなどの都市国家(ポリス)と違って、王政がずっと残りました。アレクサンドロスが生まれたのは紀元前356年ですが、この頃にはもう「ポリス世界」は衰退しており、前338年のカイロネイアの戦い【覚え方:「さんざんやられて、もうかえろう」】でフィリッポス2世に敗れ、ギリシア全土がマケドニア王国の支配下に入ります。
で、勢いに乗るフィリッポスは、かつて(といっても100年以上の前のことですが)ポリス世界を脅かしたペルシアに復讐を!と決意、ペルシアへの遠征を計画するのですが、前336年に暗殺されてしまいます。そこで、息子のアレクサンドロスがその遺志を継いで、東方遠征に出かけることになったわけです(前334年)。
当時オリエントを支配していたのはアケメネス朝ペルシア。今でいえばイラン人(ペルシア人)が、中央アジアから西アジア(アラビア半島を除く)、トルコ、、エジプト一帯を支配下に入れていたということです。かつてほどの勢いは失せていたとはいえ、東方の大帝国に果敢に挑んだ20歳の若者アレクサンドロスは、前333年のイッソスの戦い、前331年のガウガメラの戦いでペルシア軍に勝利し、ついに220年続いたアケメネス朝を滅ぼすのです(前330年)。
その間、エジプトも制圧したアレクサンドロスは、東に進路をとります。目指すは「世界の果て」インド! 今で言うトルクメニスタン、ウズベキスタン、アフガニスタン、パキスタンといった国々のあたりまで兵を進め、ついにその向こう岸はインドという、インダス川まで到達(前326年)。しかし、長い遠征により疲弊した兵士たちの訴えを無視できなくなった彼は、インダス川を越えることなく引き返すことにします。そして、バビロンに戻ったアレクサンドロスは、突如熱病に冒され、前323年、志半ばにしてあの世へと旅立つのです。享年32歳。
映画は、ざっとこのような彼の人生を忠実になぞっていきます。語り手を務めるのは、かつてアレクサンドロスに仕え、彼の死後、エジプトに王朝を築いたプトレマイオス。あのアンソニー・ホプキンズが演じていますが、今回は単なる狂言回しですから、存在感はそれほどでもありません。もったいない。
この映画を見てわかったのは、アレクサンドロスのあの情熱や野心、好奇心、反骨精神、バイタリティといった性質は、母親から受け継いだものだということ。母オリンピアスを演じるのはアンジェリーナ・ジョリー。蛇を体に這わせ、言葉巧みに息子を挑発し、最期は大絶叫する魔性の女。こわいのなんのって。アレクサンドロスは、終生そんな母親を慕い続けるのです。翻って、父親のフィリッポスからといえば、常にアレクサンドロスと対立する関係でした。もっとも、彼の軍事的才能は父親から授かったものには違いないのですが。
いや、もう一つフィリッポスには父親としての大きな功績がありました。幼いアレクサンドロスにアリストテレスという超一流の家庭教師をつけてあげたことです。13歳から3年間、彼はアリストテレスから、哲学はもちろん、論理学や自然学、芸術、政治学など多くのことを学んでいます。彼がトロイ戦争の英雄アキレウスに憧れをいだき、「イリアス」を愛読していたのもアリストテレスの影響です。
ただ、アリストテレスの考え方には、ギリシア民族至上主義的なところがあって、アジア人なんかは奴隷にすべきだと教えていました。師のこの考えが誤っていることを、のちにアレクサンドロスは、自らの手で確認することになるのです。そのことは、この映画の中でも描かれています。それにしても、やっぱり幼いときの教育が人生を左右するんだなということを改めて感じます。彼の遠征にはたくさんの学者が随行しましたが、それも観察と実証を重んじるアリストテレスの影響であることは間違いありません。アリストテレスの教えを受けていなかったら、アレクサンドロスの大遠征もまた別の意味を持っていたはずです。
この映画では、アレクサンドロスを「ゲイ」として描いていることも話題になりました。生涯にわたって彼に忠誠を誓ったヘファイスティオンやペルシア人の従僕との関係に、ストーン監督はそのあたりをにおわせています。アレクサンドロスのことを書いた歴史の本には、決まって、「他のほとんどの英雄がそうであるのに対して、彼が女色にふけることはなかった」といったようなことが書いてあります。たとえば、映画にも出てきますが、ペルシアを征服したとき、王妃や王女には一指も触れることなく丁重に扱った…。しかし、それは裏を返せば彼が「男色」だったからともとれます。事実は知る由もありませんが、なんとなく、当時は男同士の友情とそんな関係は紙一重だったのではないかという気がします。わざわざ「カミングアウト」するまでもなく、それはごく当たり前のこと、だったのではないか。「ヘドウィグ&アングリー・インチ」に出てくるアニメを思い出しますね。
次回は、アレクサンドロスが「遺したもの」について考えてみたいと思います。
「アレキサンダー」>>Amazon.co.jp
こういう歴史映画が公開されるたび、なんで「今」?と思います。なんで今、アレキサンダー大王なのか? この映画の公開は2005年ですが、紀元前4世紀、今から2,300年も前の人物がなぜ今取り上げられるのか?しかもメガホン取ったのはご存じ「社会派」のオリバー・ストーン。アレキサンダーの「征服戦争」を米国のイラク戦争と重ね合わせる人も多いようですが、どうなんでしょう? ちょっと意味合いがチガうような気がします。
アレキサンダー(ギリシア語でアレクサンドロス)大王は、マケドニア王フィリップ(同じくフィリッポス)王の息子です。マケドニアは、ギリシア北方に位置するギリシア民族の国。といっても、現在のマケドニア(正式国名「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」)に住むマケドニア人はスラブ系ですので、アレクサンドロスの時代のマケドニアとは民族的なつながりはありません。
同じギリシア人の国といっても、マケドニアは、紀元前5世紀には民主政治が行われていたアテネなどの都市国家(ポリス)と違って、王政がずっと残りました。アレクサンドロスが生まれたのは紀元前356年ですが、この頃にはもう「ポリス世界」は衰退しており、前338年のカイロネイアの戦い【覚え方:「さんざんやられて、もうかえろう」】でフィリッポス2世に敗れ、ギリシア全土がマケドニア王国の支配下に入ります。
で、勢いに乗るフィリッポスは、かつて(といっても100年以上の前のことですが)ポリス世界を脅かしたペルシアに復讐を!と決意、ペルシアへの遠征を計画するのですが、前336年に暗殺されてしまいます。そこで、息子のアレクサンドロスがその遺志を継いで、東方遠征に出かけることになったわけです(前334年)。
当時オリエントを支配していたのはアケメネス朝ペルシア。今でいえばイラン人(ペルシア人)が、中央アジアから西アジア(アラビア半島を除く)、トルコ、、エジプト一帯を支配下に入れていたということです。かつてほどの勢いは失せていたとはいえ、東方の大帝国に果敢に挑んだ20歳の若者アレクサンドロスは、前333年のイッソスの戦い、前331年のガウガメラの戦いでペルシア軍に勝利し、ついに220年続いたアケメネス朝を滅ぼすのです(前330年)。
その間、エジプトも制圧したアレクサンドロスは、東に進路をとります。目指すは「世界の果て」インド! 今で言うトルクメニスタン、ウズベキスタン、アフガニスタン、パキスタンといった国々のあたりまで兵を進め、ついにその向こう岸はインドという、インダス川まで到達(前326年)。しかし、長い遠征により疲弊した兵士たちの訴えを無視できなくなった彼は、インダス川を越えることなく引き返すことにします。そして、バビロンに戻ったアレクサンドロスは、突如熱病に冒され、前323年、志半ばにしてあの世へと旅立つのです。享年32歳。
映画は、ざっとこのような彼の人生を忠実になぞっていきます。語り手を務めるのは、かつてアレクサンドロスに仕え、彼の死後、エジプトに王朝を築いたプトレマイオス。あのアンソニー・ホプキンズが演じていますが、今回は単なる狂言回しですから、存在感はそれほどでもありません。もったいない。
この映画を見てわかったのは、アレクサンドロスのあの情熱や野心、好奇心、反骨精神、バイタリティといった性質は、母親から受け継いだものだということ。母オリンピアスを演じるのはアンジェリーナ・ジョリー。蛇を体に這わせ、言葉巧みに息子を挑発し、最期は大絶叫する魔性の女。こわいのなんのって。アレクサンドロスは、終生そんな母親を慕い続けるのです。翻って、父親のフィリッポスからといえば、常にアレクサンドロスと対立する関係でした。もっとも、彼の軍事的才能は父親から授かったものには違いないのですが。
いや、もう一つフィリッポスには父親としての大きな功績がありました。幼いアレクサンドロスにアリストテレスという超一流の家庭教師をつけてあげたことです。13歳から3年間、彼はアリストテレスから、哲学はもちろん、論理学や自然学、芸術、政治学など多くのことを学んでいます。彼がトロイ戦争の英雄アキレウスに憧れをいだき、「イリアス」を愛読していたのもアリストテレスの影響です。
ただ、アリストテレスの考え方には、ギリシア民族至上主義的なところがあって、アジア人なんかは奴隷にすべきだと教えていました。師のこの考えが誤っていることを、のちにアレクサンドロスは、自らの手で確認することになるのです。そのことは、この映画の中でも描かれています。それにしても、やっぱり幼いときの教育が人生を左右するんだなということを改めて感じます。彼の遠征にはたくさんの学者が随行しましたが、それも観察と実証を重んじるアリストテレスの影響であることは間違いありません。アリストテレスの教えを受けていなかったら、アレクサンドロスの大遠征もまた別の意味を持っていたはずです。
この映画では、アレクサンドロスを「ゲイ」として描いていることも話題になりました。生涯にわたって彼に忠誠を誓ったヘファイスティオンやペルシア人の従僕との関係に、ストーン監督はそのあたりをにおわせています。アレクサンドロスのことを書いた歴史の本には、決まって、「他のほとんどの英雄がそうであるのに対して、彼が女色にふけることはなかった」といったようなことが書いてあります。たとえば、映画にも出てきますが、ペルシアを征服したとき、王妃や王女には一指も触れることなく丁重に扱った…。しかし、それは裏を返せば彼が「男色」だったからともとれます。事実は知る由もありませんが、なんとなく、当時は男同士の友情とそんな関係は紙一重だったのではないかという気がします。わざわざ「カミングアウト」するまでもなく、それはごく当たり前のこと、だったのではないか。「ヘドウィグ&アングリー・インチ」に出てくるアニメを思い出しますね。
次回は、アレクサンドロスが「遺したもの」について考えてみたいと思います。
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