田宮俊作『田宮模型の仕事』(1997年、ネスコ/文藝春秋)。加筆された文庫バージョンも出ていますが、この本は、単行本の表紙がいい。タミヤのプラモデルの白い箱、「ホワイトパッケージ」を思わせる白地に、TAMIYAの二つ星マーク、そして真ん中に描かれているのは、小さな接着剤のチューブ。そう、タミヤのプラモデルに付属品としてついてきた、キャップのない小さな接着剤です。なぜキャップがついていないのかは未だにナゾですが、あの接着剤はプラモデルづくりの必需品でした。タミヤが世に送り出してきた数知れないプラモデルに共通するものといったらやはりこれしかありませんね。それを表紙に据えるセンスにはすっかり参りました!
それにしても、この本から学ぶことは多い。田宮少年の模型との出会い、木製模型からプラモデルへの転向、小松崎茂氏への箱絵の依頼、傲慢な金型屋とのやりとり、世界を股にかけた取材、ホンダFI模型への挑戦、子どもたちを虜にした「ミニ四駆」の時代…。彼が模型づくり、プラモデルづくりに賭けた半生には、プラモデルに興味のない人でもきっと引きつけられるにちがいありません。なぜなら、彼には常に「信念」があるから。そして、部下を含めて「人」を大切にしているから。
水戸黄門の主題歌じゃないけれど、「人生楽ありゃ苦もあるさ」なのです。でも、彼は「苦」を「苦」のままにしておかないたくましさがあります。「楽」の時でも、彼は常に現状に満足せずに、いつも新しいことに挑戦しようとしています。それは、「模型」が子どもたち、ひいては大人に夢を与え、幸せにしてくれるものという信念に基づくのだろうと思います。
彼がもっとも大切にした「人」は、もちろん模型を買ってくれる子どもたちでした。たとえば、プラモデルの作り方の説明書にしても、彼は子どもでもわかるように、子どもの立場に立って書いています。それはタミヤ以前のプラモデル、あるいは米国のプラモデルにもないことでした。ミニ四駆の大会でも、あくまでも主役は子どもたちであるというスタイルを貫き通す。子どもたちの呼び方一つとっても、「○○君」ではなくて、「○○選手」と呼んだのだとか。子どもたちにしてみれば、ちょっと大人になった気分で、それは大きな喜びだったことでしょう。
この本では、プラモデルに関わる興味深い話もたくさん紹介されていて、中でも私がほーっと思ったのは、「そのまま縮小しても模型にはならない」という点。つまり、スケールモデルといっても、実物の寸法がそのまま縮小されているわけではないということです。特に自動車模型には、大きなデフォルメが施されているという。それはなぜか。
実は、人間の「視点」にその理由が隠されています。私たちは通常、自動車を見るときは、もちろん目線の高さから見ます。ところが、模型は、「上から」見下ろすわけです。田宮氏は、わかりやすく説明してくれています。「ためしに一度、建物の三、四階くらいの高さから、道路に停車している自動車を見てください。ふだん見ている印象とずいぶん違うことがわかると思います。」…うんうん、わかるわかる! 上から見下ろすと、クルマがやけに「細長く」見えませんか? そのまま縮小してしまうと、やっぱりなんだか不格好に見えます。そこで、模型を作る際には、多少変形させる必要があるというわけです。私も、昔ミニ・クーパーのプラモデルを作った時に、できあがりが何となく細長く見えてちょっと違うよなあコレ…と思ったことがありました。あれはタミヤ製ではなかったのかもしれません。
さて、プラモデルは夢を与える、と先ほど書きましたが、タミヤのプラモデルが戦艦や戦車、戦闘機からスタートしたように、プラモデルの多くは「戦争」に関わるものです。プラモデルづくり=戦争好き、と受け取る人もいるかもしれません。これは別のところで田宮氏が語っていることだそうですが、彼が絶対にプラモデルにしたくないものがあって、それは「B29」なのだそうです。日本の本土空襲の主役だった米国機。彼自身の戦争体験が「B29」に嫌悪感を抱かせているのです。ただ、それは田宮氏の場合、であって、たとえば、「零戦」に同じように嫌悪感を持っている米国人もいるかもしれない。実際、ドイツでは、戦車模型にアレルギーを示す人も多かったという話も田宮氏もこの本の中で紹介しています。第二次世界大戦末期に、ソ連軍、米国軍の戦車に国土を蹂躙されたという苦い思いがあるからです。
田宮氏は、最初の頃、そういう事情を知らずにミリタリーモデルを作って世界に売り出したことを「無神経」だったかもしれないと語っています。ただ、ミリタリーモデルのファンが決して好戦的ではないということも主張しています。英国やドイツ、米国の戦車博物館を取材した経験から、「戦車が街ではなく博物館にいるということを、もっとポジティブに受け止めてもよいのではないでしょうか。」とも書いています。
ちょっと複雑な問題のような気もしますが、ただ、平和な時代だからこそ、戦車のプラモデルをのんびりと作って楽しめるし、兵士を交えたジオラマの制作にコツコツといそしむこともできる。そのことを幸せだと感じることが大切なのでしょうね。
それにしても、この本から学ぶことは多い。田宮少年の模型との出会い、木製模型からプラモデルへの転向、小松崎茂氏への箱絵の依頼、傲慢な金型屋とのやりとり、世界を股にかけた取材、ホンダFI模型への挑戦、子どもたちを虜にした「ミニ四駆」の時代…。彼が模型づくり、プラモデルづくりに賭けた半生には、プラモデルに興味のない人でもきっと引きつけられるにちがいありません。なぜなら、彼には常に「信念」があるから。そして、部下を含めて「人」を大切にしているから。
水戸黄門の主題歌じゃないけれど、「人生楽ありゃ苦もあるさ」なのです。でも、彼は「苦」を「苦」のままにしておかないたくましさがあります。「楽」の時でも、彼は常に現状に満足せずに、いつも新しいことに挑戦しようとしています。それは、「模型」が子どもたち、ひいては大人に夢を与え、幸せにしてくれるものという信念に基づくのだろうと思います。
彼がもっとも大切にした「人」は、もちろん模型を買ってくれる子どもたちでした。たとえば、プラモデルの作り方の説明書にしても、彼は子どもでもわかるように、子どもの立場に立って書いています。それはタミヤ以前のプラモデル、あるいは米国のプラモデルにもないことでした。ミニ四駆の大会でも、あくまでも主役は子どもたちであるというスタイルを貫き通す。子どもたちの呼び方一つとっても、「○○君」ではなくて、「○○選手」と呼んだのだとか。子どもたちにしてみれば、ちょっと大人になった気分で、それは大きな喜びだったことでしょう。
この本では、プラモデルに関わる興味深い話もたくさん紹介されていて、中でも私がほーっと思ったのは、「そのまま縮小しても模型にはならない」という点。つまり、スケールモデルといっても、実物の寸法がそのまま縮小されているわけではないということです。特に自動車模型には、大きなデフォルメが施されているという。それはなぜか。
実は、人間の「視点」にその理由が隠されています。私たちは通常、自動車を見るときは、もちろん目線の高さから見ます。ところが、模型は、「上から」見下ろすわけです。田宮氏は、わかりやすく説明してくれています。「ためしに一度、建物の三、四階くらいの高さから、道路に停車している自動車を見てください。ふだん見ている印象とずいぶん違うことがわかると思います。」…うんうん、わかるわかる! 上から見下ろすと、クルマがやけに「細長く」見えませんか? そのまま縮小してしまうと、やっぱりなんだか不格好に見えます。そこで、模型を作る際には、多少変形させる必要があるというわけです。私も、昔ミニ・クーパーのプラモデルを作った時に、できあがりが何となく細長く見えてちょっと違うよなあコレ…と思ったことがありました。あれはタミヤ製ではなかったのかもしれません。
さて、プラモデルは夢を与える、と先ほど書きましたが、タミヤのプラモデルが戦艦や戦車、戦闘機からスタートしたように、プラモデルの多くは「戦争」に関わるものです。プラモデルづくり=戦争好き、と受け取る人もいるかもしれません。これは別のところで田宮氏が語っていることだそうですが、彼が絶対にプラモデルにしたくないものがあって、それは「B29」なのだそうです。日本の本土空襲の主役だった米国機。彼自身の戦争体験が「B29」に嫌悪感を抱かせているのです。ただ、それは田宮氏の場合、であって、たとえば、「零戦」に同じように嫌悪感を持っている米国人もいるかもしれない。実際、ドイツでは、戦車模型にアレルギーを示す人も多かったという話も田宮氏もこの本の中で紹介しています。第二次世界大戦末期に、ソ連軍、米国軍の戦車に国土を蹂躙されたという苦い思いがあるからです。
田宮氏は、最初の頃、そういう事情を知らずにミリタリーモデルを作って世界に売り出したことを「無神経」だったかもしれないと語っています。ただ、ミリタリーモデルのファンが決して好戦的ではないということも主張しています。英国やドイツ、米国の戦車博物館を取材した経験から、「戦車が街ではなく博物館にいるということを、もっとポジティブに受け止めてもよいのではないでしょうか。」とも書いています。
ちょっと複雑な問題のような気もしますが、ただ、平和な時代だからこそ、戦車のプラモデルをのんびりと作って楽しめるし、兵士を交えたジオラマの制作にコツコツといそしむこともできる。そのことを幸せだと感じることが大切なのでしょうね。
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