カクレマショウ

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常田健が描く「大地の恵み」と人間たち

2008-10-13 | ■美術/博物
昨日の続きですが、常田健の絵について。

東京の画学校に通っていた常田青年は、「プロレタリア美術家同盟研究所」で学んだということもあって、帰郷してからも農民運動家として活動し、検挙、拘留も体験しています。彼の「反体制」的な思想は、初期の作品はもちろん、生涯にわたって貫かれているような気がします。

彼の作品に出てくる農民たちは、ほとんどが顔が描かれていないか、描かれていたとしても無表情です。それは、昔も今も変わらない農業の厳しさを表しているかのようです。「寒い夏」による凶作や減反政策に、農民たちはいつも苦しんできました。

それでも、彼の描く田んぼやりんご畑はなんと美しい色彩に彩られていることでしょうか。今回展示されていた「かかし」(1998年)や「稲の花どき」(1992年)で一面に塗られたパステル調の「田んぼの色」は彼でなければ出せない色だろうと思います。毎日刻々と変わる田んぼの色を見ているからこそああいう色遣いができるのでしょう。

一方で、「母子」像や「父子」像など、希望に満ちあふれた家族の作品群にも目を奪われます。父親に肩車されている裸の子ども、ひまわり畑の中で高々と母親に抱え上げられる子ども、農作業の合間にあやされる子ども。常田健の描く子どもは、いつも家族の愛をいっぱいに受けている。彼がこうした子どもたちを描いたのは、「1970年代」が多いようです。彼自身にも孫ができた頃なのでしょうか。子どもたちに農業の未来を託したいというその頃の彼の思いは、いったい届いているのかなと思います。

「六月の夕」(1970年代)。この作品の色調は、他の作品には見られないものを感じました。サーモンピンクの夕照に照らされて、遠くの山並みは青く映え、山すそには黄色い民家の灯りがぽつりぽつりと見えてくる。しろかきも終わり、田植えを控えて水をたたえた田んぼは薄ピンク色に染まっています。あぜ道にはシロツメクサが咲き乱れる。そこにたたずむ一人の農民の黒いシルエット。

最初、彼には珍しい「風景画」と思って見ていましたが、その黒いシルエットを発見して、常田健はやっぱり人間を描きたくてしょうがないのだなとつくづく思いました。彼の描く人間は無表情ですが、そこに秘められた強烈なエネルギーを、どの絵からも感じることができます。そのエネルギーはどこから来るのかといったら、やはり「土」からなのでしょう。それこそが「大地の恵み」なんだろうなと思う。

仏教の天台密教にある「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」という教えを思い出します。人間だけが「成仏」できるわけではなく、草や木あるいは石や土などの無機物も含めた万物が「仏性」を持っていて、仏になれるという考えです。というより、たぶん、それは人間が成仏するときに、その人が関わる草や木も一緒に成仏するということだろうと思います。あるいは、作物を通して得られる大地の恵みこそが人間を仏にする際の原動力になる…と考えることさえできます。それは、常田健が描く、大地と人間の世界そのものだよなあと思いました。


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