カクレマショウ

やっぴBLOG

「主従」でなく、「援助関係」のために。

2012-02-15 | ■教育

病院という世界には、病院独特のルールみたいなものがあって、医師も看護師も入院患者も付き添いも見舞い客も、みんなそのルールに否応なく縛られている。ここ数ヶ月、ある大病院に通っているうちに、だんだん分かってきました。

 

病院の使命は、患者の病を治して社会復帰させること。その目標に向かって、関係する人みんながそれぞれに自分の役割を果たしています。医師や看護師さんが親身になって治療にあたってくれて、本当にありがたいことだと感謝の言葉しかありません。

 

ただ、どこの世界でもそうだと思いますが、病院にも上下の関係というか、主従の関係が存在することもだんだん見えてきたりして。単純にいえば、医師・看護師・その他の職員と、患者・家族・見舞い客という関係。もちろん、前者が「主」で、後者が「従」。お医者さんの言うことは絶対で、次に看護師さんが発言権を持っていて、患者・家族はほとんどの場合、それに従うしかない。今やインフォームド・コンセントが普通になったとはいえ、医療行為にかかわる最終的な決定権は、やっぱり「主」側が握っています。多くの場合、患者側は「そんなのいやだ」と主張するだけの「根拠」を持っていないのです。医者や看護師が「正解」を持っているという意味では、この関係は学校での教師と生徒の関係に似ていなくもない。

 

そういう関係にあって、「立場」とコミュニケーションのかかわりについて改めて考えるところがありました。たとえば、私より若い医師が、私の親世代の患者に対してまるで子どもに接するような口のきき方をするのはどうかと思うわけで。医師としては、親しみを込めた接し方をしているつもりなのでしょうが、これが、もし医師と患者という関係ではなく、病院以外のどこかの場で会っていたら、彼も決してそんな口のきき方はしないでしょう。「僕の言ってることわかる?」ではなくて、「私の申し上げていることがご理解いただけますでしょうか」になるはず。病院という閉ざされた空間でしかそういう失礼な言い方は通用しない。

 

同じように、学校という空間、教室という空間でしか通用しないものの言い方もあります。生徒に対する「先生」だからこそ可能な物言い。もちろん、それが必要な時もある。でも、「立場」でばかりものを言っていると、「その世界だけでしか通用しないこと」がまかりとおっていく。で、その空間はますます閉ざされたものになっていく。それは決していいことではないと思う。

 

で、思い出したのは、『ナースのための自己啓発ゲーム』(1997年、医学書院)という本。以前、参加型学習やワークショップのことを調べていた頃に読んだ本です。著者は長野県看護大学の先生方。看護教育の一環として著されたものです。看護師は、患者とのコミュニケーションを基本とする職業であることから、この本では、そのための「自己啓発」の手法を様々な角度から紹介してくれています。

 

むろん、「自己啓発」は何も看護師だけでなく、すべての人に必要なことですが、この本では、患者―看護者の関係は「援助関係」であるという前提のもと、

1 人と対等な人間関係をもつ

2 相手に援助的なケアをする

3 職場での人間関係の改善

4 より豊かな人間として生きる

という4つの観点から、自己啓発が看護実践に生かされるとしています。

 

実際に紹介されている「ゲーム」は、「一人で行うゲーム」から、自己紹介ゲーム、絵による自己表現、ロールプレイング、コラージュ、エンカウンターグループといった「グループで行うゲーム」まで、まあ今では一般的に行われているものがほとんどなのですが、看護教育の場でも参加型学習が取り入れられていることに、当時は驚いたものでした。

 

すべての看護師や医師が、このような自己啓発ゲームを通して、自己をふりかえり、他人を知り、円滑なコミュニケーションのスキルを身に付けることができたなら、「立場」でものを言うことも少しは改善されていくのかもしれません。もちろん教師にも全く同じことが言えますね。

 

「主従関係」でなく「援助関係」であることを、「主」の側が気付かないことには、状況は何も変わらないのです。

『ナースのための自己啓発ゲーム』≫amazon

 

 


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